清聴登場

映画・社会・歴史を綴る

12年後の夜

 岐阜からやってきた知人を案内しようと、僕は単身赴任先の東京から札幌に飛んで、久しぶりの札幌すすき野の案内役を買って出ることにした。地元の友人の招待で、ちょっと贅沢な和食を囲んで陽気な時間を過ごした後、彼らを率いて得意げに言った。

「まだ、札幌で仕事をしていた頃に、毎週のように通ったスナックがあるんだ。まだそのまま残っているかどうか判らないけど、とにかくそこを訪ねてみようと思うんだ。」

僕は彼らの先頭に立って、目当ての店のある繁華街のビルへ向かった。もうかれこれ10年以上も御無沙汰しているところだ。 そのビルの5階の奥に、「マガラ」と記した横に細長い看板があった。

「ここだよ、僕が通った店は。」

とても懐かしい人に出会ったかのような喜びを感じて、僕は胸の高鳴りを抑えるようにして声を上げた。

スナック「マガラ」の濃い褐色のドアを開けて中に入ると、レイちゃんが独りで店を守っていた。彼女は、僕の姿を認めて驚いた様子だった。長い黒髪をトレードマークのようしているレイちゃんは、以前と変わらず、あれから長い時間が過ぎたことを忘わすれさせるほどだった。

懐かしさのあまり、僕は思わず言った。

「レイちゃん、全然年取らないね。昔のままだよ。」

穏やかで物静かな彼女が、僕に水割りをすすめながら、昔を思い起こすように語り始めた。

「Mさん、どれほど会っていなかったのかしら。どう言えばよいのか、でもあなたに真っ先にお伝えしたいことがあるの。ママも理恵さんも、二人とも亡くなったのよ。」

「え、ママも理恵ちゃんも?」

「そうよ、ママが亡くなってもう9年にはなるわ。3年半の闘病の後、静かに眠るように亡くなったの。家族葬だったけど、一泊の葬儀に参列したわ。」

10数年ぶりに訪れた小さなスナックの店の中で、僕はあのママの死を知らされた。この店がまだ「リオン」と名乗っていた当時のままの姿がそのまま残っている。レイちゃんは、そのママが引退した後を継いで今日までこの店を守ってきたのだった。

「それだけじゃないの、ママが自宅に戻って最期を迎えようとしてしていた時、私は理恵ちゃんと一緒にお見舞いにいったのよ。ところが、その彼女がママの一周忌の前にすい臓がんであることが分かり、それから1年と7カ月で逝ってしまったの。私一人が残されてしまったんだわ。」

僕はここで過した楽しい時のことを思い出しながら、二人の死を知らされて、ただ茫然としていた。

…………………

札幌すすき野の夜景はやけに明るかった。もう夜の9時を過ぎているというのに人影が少なくなることもなく、それどころか、賑わいはこれからといった勢いだった。僕は、いつものように黙ってみんなの後ろについたままそのラウンジに入っていた。軽音楽が流れ、走馬燈がくるっくる回る広いホールを囲むようにしてカウンターやソファーセットの置かれたお店が幾つか並んでいる。どの店の客たちも陽気に振る舞っていた。

「ママ、バーボンがいいな。水も一杯くれないか。」

僕の職場の大先輩が、目鼻立ちのすっきりとした和服姿の女に声をかけた。

まだ20代半ばだった僕には随分年上の大人の女に見えた。その女は物静かに腰を折り曲げて承りまりましたという姿勢を覗かせたかと思うとそっとその場を立ち去った。しばらくして、他のテーブルに挨拶をしてまわっていた彼女がまた僕たちのテーブルに戻って来て、注文の飲み物とつまみと一緒に笑みを運んできた。どことなく陰があるものの気品ある微笑みだと思った。

少し年上の先輩が、「こいつはあまり酒が飲めないから、薄い水割りでもやってくれ」と言っていたので、その女性は音も立てずに僕の前に薄められたウィスキーの入ったグラスを置いた。そして、またすーっと姿が見えなくなった。

誰かが言った。

「ここは、一つの広場だけど、周囲の一つひとつの店にそれぞれママがいるんだ。でも、俺はこの店のママが一番だと思っている。」

僕は、いまは姿の見えなくなったその女の美しい表情を思い描いて、訳もなく頷いた。無口な僕にいつも気を配ってくれているUさんが、突然、一同の笑いを誘う愉快な話を始めた。その滑稽さに僕たちも腹を抱えて大声を出して笑った。この男は、いつもこんな場所にやってきては、周囲を和ませるコツというものをよく知っている男だった。

いつの間にか、ソファーの斜め向かいの黒皮の椅子に腰をかけていたママが白い歯を見せて笑っていた。僕はその何とも言えない笑みが彼女をさらに美しくさせているように感じた。

そのお店に連れていってもらうことがしばらく続いた。その度に、先輩たちが「やあ」とか「お久しぶり」とか声をかけるので、僕には彼女と挨拶を交わす機会すらなかった。何度通っても黙って大きなテーブルを囲んで並べられた椅子の一番端の方に坐っていた。そもそも、アルコールも進まない僕だったが、こうしたお店ではしゃぐということはなかった。いつも酔いつぶれた同僚や陽気に振る舞う先輩たちの様子を斜めから観察している方が僕には性に合っていたのである。

 

ある日、Uさんが別用があるといっていつものこの店に現れなかったことがあった。そんな時、ママは静かに佇んだままで、白い歯を見せることもなかった。その時、僕は何故か理由はとくになかったのであるが、そのUさんに代わってママを笑わせることが自分の義務でもあるかのように感じて、必死の思いで、はるか昔にラジオで聞いた小噺や落語、漫才のことを思い出しながらみんなの笑いを誘う話を始めた。周囲は突如として口を開いた僕に驚いた様子だったが、やがて僕の話に合わせて普段と同じように盛り上がった。とうとう彼女も白い歯を見せて笑った。それが嬉しくて、僕はさらに笑い話を繰り出した。

それは一つの至福だった。僕にとって彼女の笑みは宝物のように思えた。そして、彼女の飾らない笑顔に僕は夢中になった。

それから数年も過ぎたころだった。

Uさんが、広い職場の隅の方でぽつんと一人残って仕事をしている僕の机のそばに来て、大きな声で言った。

「お前、そんな分厚い眼鏡をかけて、そんなに細かい字を読んで楽しいか?」

そう言ってド近眼の僕を大袈裟にからかったのである。そして今度は、声のトーンを下げて言った。

「おれはこれから飲みにゆくが、お前もついてくるか。その仕事は明日でも十分だろう。」

彼は、背中を丸めて机に向かっている僕のことを思ってわざと声をかけてきたのだ。僕はこの先輩がとても好きだったので、仕事の手を休め、「そうですね、では遠慮なくお供します」と返事をした。

もう外は真っ暗だった。近くのホテル前でタクシーを拾い、僕たちはネオンが輝くすすき野に向った。車の中で、Uさんが言った。

「お前、フランス広場にいたママを知ってるだろう。あのママが自分の店を持ったんだ。なに、ちっぽけなスナックだら大したところじゃないけどな。」

まるで僕が彼女に憧れを抱いていることを見透かしていたかのようだった。

スナック「リオン」はすすき野の端のビルの5階にあった。

店の中には、半円形状の大きなカウター席があり、奥の方に7,8人は座われそうなソファ席があった。その奥の席でお客さんたちを相手にしていたママが立ち上がって、こちらを振り返った時、僕はお思わず緊張している自分に気づいた。彼女の方も驚いた様子だった。 僕たちは、カウンター席に並んで腰をかけた。中には二人の女の子がいた。ショートカットの一人は「理恵」と名乗った、なかなか利発な女だった。もう一人は長い黒髪が印象の、おっとりした感じの人で、「礼ちゃん」と呼ばれていた。

Uさんが、愉快な話題を提供し、彼女たちはそれに合わせて、よく笑った。カウンターのこちら側で黙っている僕を指してUさんが言った。

「こいつ変な奴でね、細かい字ばかりを見ているかと思うと、話の中味がやけにリアルなんだ。どうしてこいつに世間のことが解るのか、奇妙な奴だよ。」

先輩は、日頃何かに憑かれたような眼をして細かい文字や数字を追いかけている姿を揶揄しつつ、その割には話に説得力があって、どことなく不思議な奴だと繰り返した。「こいつの書く文章も妙にリアルなんだ」と付け加えた。

その話に興味をもったのか、理恵と名乗る女が僕に尋ねてきた。

「Mさんは、何に関心があるの? お仕事や本が好きみたいだけど…、それ以外に。」「いいや、特に趣味というものはないんだ。特技もないし、何の取柄もないつまらない人間…。でも、強いてあげれば、時折映画を観ることだけが僕の唯一の愉しみのようなものかもしれないな。」

と応えた。

「じゃあ、どんな映画がお薦めなの。これまで観た映画で一番よかったのもは何?」

丸い小顔の理恵さんは、畳みかけるようにして訊いてきた。

奥の席の方から、どっと笑い声が飛んできた。半円形のカウンターでは、大きな花瓶に生けられた赤い大輪の花が褐色の壁を持つくすんだ部屋を華やかに彩っていた。礼さんは、相変わらず、次つぎと運び込まれてくるグラスや皿を洗いながら、時折こちらの様子を眺めては笑みを浮かべていた。

この時、僕は初めて人前で映画の話をしたことをよく憶えている。

「それは何といっても、映画『ひまわり』だね。知っているかい、あのマルチェロ・マストロヤンニソフィア・ローレンが出て来るやつだ。あの映画ほど、美しくて悲しい映画はほかに見たことがない。場面が美しければ美しい程悲しみもまたそれだけ深くなる作品だ。」

「それ、どんなお話なの?」

理恵さんが目を輝かせながら尋ねてきた。

「この映画は美しいだけでなく、芸の細かい演出がちゃんと織り込まれているんだ。冒頭のシーンで、とても幸せな若いカップルが、地中海に面する浜辺で、まるで子犬のようにいちゃついている場面が出て来る。この時ソフィア・ローレンの上になったマルチェロ・マストロヤンニが彼女を愛撫するように覆いかぶさるところで、急に咽(むせ)って慌てるんだ。何だ思う?」

「何かしら? で、それで?」

マルチェロは、彼女のイアリングを飲み込みそうになったんだ。それでいきなり咽ってしまったんだ。実は、この時のイアリングが、この映画のラストシーンで再び登場して来るんだよ。もう二度と一緒になれない二人が再会するというその場面で、それは、さりげなく登場する。それが心憎いまでの悲しみをもたらすんだから、たまらないね。」

「へえ、そんなにいい映画なの。私、早速ビデオを借りて観たいわ。」

「やがて二人は結婚し、これ以上ないと思われるほど陽気で幸福な時を過ごすことになるのだが、ちょっとしたことがきっかけで夫のマルチェロは、当時の対ロシア戦争に駆り出されて、その最前線に送られるんだ。もう生きては戻れないかもしれない。それが過酷な戦争ととともに、二人を永遠に引き裂くドラマへとつながっていくんだ。」

「場面が変わって、煤けた鉄のアーチが架かったミラノ駅で、戦地に赴いた若者たちを待ち受けようと、大勢の女たちがホームに押し寄せている。自分の息子を探す少し年老いた母親、夫や恋人の帰りを待ち続けていた若い女たち、その淋しい雑踏のなかにソフィア・ローレンがいる。みんなそれぞれの夫や息子たちのモノクロ写真を持っているんだ。誰か、私の息子、私の夫の行方を知っているかもしれないとの一縷の望み望みを抱いて。だが、夫の姿は現れない。疲れ切った様子のソフィア・ローレンの前を一人の兵士が通り過ぎようとしたとき、彼は突然立ち止まり、こう言うんだ。『仕方がなかったんだ。雪の降り積もったロシアの平原を必死で行軍を続けている間に、その真っ白な雪の上に、次つぎと若い兵士が倒れていく。今朝まで仲間だ兵士が倒れても誰も助けることなどできない、彼もそうした一人だった。僕にはどうすることも出来なかったんだ』と。」

理恵さんは黙って僕の話を聴いていた。話ながら煙草を口に咥えた僕の前でライターに火を灯した。そして、そのままじっと耳を傾けていた。

「激しく運命を妬むソフィア・ローレンが気を鎮めることもできずに荒れるんんだ。やがて、気を取り戻し、夫が生きているかもしれない、そうでなくとも彼の生死を確かめたいと思うようになり、当時は東西冷戦で東の国に行くことすら困難と思われた時代に、彼女は、その頃世界一長いエスカレータがあるとされたモスクワに渡るんだ。あれ、『冷戦』って、理恵さんたちにわかるのかなあ…。」

「わかりますよ。その時代のことだったのね。」

「そう、そんな時代の戦争の出来事が舞台なんだ。映画のタイトルの『ひまわり』というのは、その戦争で亡くなった無数の無名の青年戦士たちを弔うために設けられた墓地に、その弔いの意味を込めて造られた膨大な一面のひまわり畑を指してつけられたものなんだよ。それが、とっても美しくて、妙に悲しさを増幅させるんだ。その人間の背丈ほどに成長したひまわり畑の中を疲れ切ったソフィア・ローレンが通り抜けて往く。」

そして、僕は思わず声を上げて口ずさんだ。

≪ラララ―ラ、ラララララー、ララララ―ラ、ララーラーラ、ラーララーラー≫

「この花畑のシーンであのテーマ音楽が流れる。すると僕にあの悲しいシーンが次々と押し寄せてくるんだ。」

ママが奥の席から戻ってきて、あの笑みと一緒にいきなり声をかけてきた。

「Mさんのお話、とっても面白いわね。その映画を早速観みなくちゃね。今のお話だけも、もう映画をみたような気分だけど…。」

今度は、Uさんが口を挟んで来た。

「こいつやぱりへ変なやつだよ。お前の映画話は初めて聞いたが、そこにいたわけじゃないのに、まるで昨日見て来たかのように話すんだから。面白いだろう、理恵、このド近眼の話。」

 

以来、僕は、この店に来るたびに映画の話を迫られることになった。僕は理恵ちゃんやママの笑顔を見たさに、「ひまわり」の後も映画の話を続けた。ビットリオ・デシーカ監督の「自電車泥棒」、スト破りがきっかけで周囲から孤立を深めていく「鉄道員」、フェデリコ・フェリーニ監督の「道」などのいわゆるネオリアリズム作品のほかに、邦画の、曽我兄弟の仇討ちをテーマにした「富士の夜襲」や中村錦之助主演の「仇討ち」、そしてまだフーテンの寅さんになるずっと前の渥美清が出る「天皇陛下万歳!」といった作品も語った。やがて、男と女の別れと出会いを見事に演出した「別れ道」、黒人で初めてアカデミー賞を受賞した作品「夜の大捜査網」やあの型破りな映画「コンボイ」、映像美でも人を魅了した「ゴッド・ファーザー」の話もした。

どれもこれもすべて、二人の女性、ママと理恵ちゃんの笑顔を見たさに夢中になって語ったものだった。この頃の僕は仕事も充実し、その後は此処に来て、「もう一つの人生」を楽しんでいたのである。

むろん、アルコールに縁がなかった僕もこの店にボトルを置いて、友人を誘って訪れることも増えていった。東京に出向いて単身赴任で仕事をするようになってからも、札幌に戻ったときはよくここに通ったものだった。そうした日々が続いた後、突然ママが店を礼さんに譲って、すすき野から去っていった。それとともに、次第に僕の足は遠のいていった。

利発な理恵ちゃんともいつの間にか親しくなって、お店では彼女が難解なクイズを用意しては僕たちを悩ませた。そして、僕の方も負けじとさまざまなゲームを持ち込んでは彼女に対する反撃を試みた。その理恵ちゃんもやがて郷土の北見へ帰り、そこで結婚して幸せな生活を送っているとのことだったが、ママも礼ちゃんも、彼女との連絡先を教えてくれることはなかった。ここすすき野で暮らした女たちは過去をすっかり消して、次の人生を築いていかなければならないのかも知れないと思った。

ある時、ママが言った。

「フランス広場で雇われママをしていたときの松ちゃんの様子をよく覚えているの。ほとんど口を開かず、この人、ここにいて楽しいのかしら、と思っていたわ。そんな松ちゃんがこんなにお喋り上手だなんて。あの頃は、心配していたのよ。」

その僕を雄弁にさせたママの姿を一度だけすすき野の外で見かける機会があった。店を継いだ礼さんが、ママは南区で喫茶店をしているのよ、と教えてくれたのである。

ある日、その店を自分で車を運転して訪れた。住宅地の中にひっそりと佇んだその店に入ると、ママは1人でいた。一番壁際の席に座り、ぼくはコーヒーを注文した。二人きりだったので、僕は彼女を笑わせる話をすることもなく、じっと時間が過ぎるままに身を任せていた。

彼女はお店のレジの傍の椅子に腰をかけたままだった。何故か、すすき野のでお仕事をしていた人を訪ねることはよくないことのように感じて僕は委縮していた。少し離れたところにいるママに向って、いまも東京で仕事をしていること、それでも時折り用事を思いついては札幌に戻ってきていることを話題にしてわずかな会話をしただけだった。僕は、その時に見かけたママに、やはり、あのどことなく陰があるものの気品ある表情を覗き見ていた。やがて、この小さな喫茶店に一人の中年の男が入って来たところで、僕は支払いをすませて、店を出た。そして、これが彼女を見かける最後とは知らずに別れた。そのわずか3年後に彼女は闘病生活に入っていたことになる。

…………………

それから、およそ12年の歳月が流れていた。礼ちゃんの店「マガラ」を出た後、僕は友人たちと別れてしばらく札幌の夜道を歩いていた。人影も少なくなり、遠くにぽつりとコンビニの明かりが見えた。

  灯りを求めて、影法師二つ  

  人目に触れず、通り過ぎて往く。

 

その晩、厚別の自宅の2階の部屋で、僕は眠られぬ一夜を過ごした。

余計なお世話

暑い日だった。僕は全身に汗をかきながら道を急いでいた。

渋谷駅を出て宮益坂を上り、明治通りを少し戻るようにして進むと、右手の方にその映画館はあった。

だが、エスカレーターで3階に上り、そこからにエレベーターに乗り換えて8階へと進まなければいけない。やっとの思いでチケットの購入と上映作品の掲示板を眺めたら目当ての作品が見当たらない。僕が不安に包まれながら、ぼつんと1人でカウンターにいた若い小柄な女性にそのタイトルを伝えると、彼女は僕に同情するような顔を見せた。

「お客様、その映画はここではやっていません。でも、渋谷でやっていらっしゃるのなら、他の映画館を調べてみますのでお待ち下さい。」

どうやら上演館を間違えたようだった。

僕は、やっとたどり着いたとうのに、これじゃもう間に合わないかもれないと思って、ふっと声を漏らした。

「ああ、そうですか。じぁあ、もう駄目かも知れませんね。」

すると、彼女は僕を宥めるような優しい声で言った。

「今すぐお急ぎになれば大丈夫ですよ。ここから歩いていけるところですから。」

僕はその若い女に礼を言うと、再び、エレベーターとエスカレーターを使って表の通りに出た。そして、今来た道を少し戻って左に折れ、重い鞄を抱えたまま、今度は、青山通りに向って小走りに道を進んだ。汗が全身から吹き出しくる。

………………… 

カンヌ国際映画祭では審査員を務めるほどの「国際人」となった河瀬直美監督の『光』は、今度は受賞作とはならなかったものの、『あん』で登場させた永瀬正敏を再び起用して、視覚を失ってゆくカメラマン役を演じさせているという。僕は、その作品のことを想い浮かべながら先を急いだ。

間に合った。

飾り気のない、無色のコンクリートで囲まれたその映画館に飛び込むと、今度は痩せた若い男が無表情のまま、チケット売りしていた。

僕は、作品のタイトルを告げると同時に言った。

「シルバーです。」

男はやはり表情を変えることなく、チケットを差し出した。

薄暗い地階へ降りて、中に入り、僕は前列から二列目の左端の席に腰を沈め、やがて始まるだろう『光』を静かに迎えようと態勢を整えた。「態勢」というのはやや大袈裟であるが、僕はこうして作品を受け入れるための、いわば呼吸合わせのようなものを咒(まじない)のようにするのが常だった。映像とともに流れてくる音以外のすべの雑音を排し、仕事や人生のあれこれもすべて遠くへ追いやって、今まさに始まろうとしている作品の世界へ僕は飛び立つのだ。

ところが、どうした訳か、映像が現れる前に、ステージの脇に背の高いスラリとした女性が姿を見せたかと思うと、作品の解説を始めたのだ。

僕には何のことかしばらく意味が解らなかったが、やがてそれは、川瀬監督がこの作品の中で挿入した(?)別の映画作品のことを語っているようだった。認知症の妻を思いやる主人公をテーマとしたまったく別の作品のことだった。

僕は、強い不安に襲われた。

作品の世界を自ら「体験」することを通じて、光と音の魔術に身を委ねること、それが観る者の心を揺さぶり、「感動」という名の<新鮮な記憶>の至福をもたらしてくれる、それが映画というものだ。なのに、その直前に作品に<予断>をもたらす解説を加え、あまつさえ、他の作品のことを取り出して、その<意義>を語り出したのだ。

<不安>は<不快>に変わり、全身に拡がっていった。 観る者の奔放な「受容の快楽」を予め排除して平然としているその態度に、ある種の「解釈の暴力」を感じ、やがて、その冷酷な<暴力>を笑みを浮かべて語るその女に僕は<敵意>に似た感情を抱き始めていた。

それどころか、やっとその<横暴>が終わったかと思う否や、スクリーンには『光』ではなく、「その前に」との合図とともに、何と『その砂の行方』という別のタイトルの作品が映し出されたのである。

<怒り>とも<絶望>ともつかぬ感情を抱いて、僕はわずか10分ほどで映画館を飛び出した。むろん、シルバー料金の1100円をそのまま捨てて、その場を離れたのである。

……………………

僕は渋谷駅近くの喫茶に入り、気を鎮めることにした。それでも、この<不愉快>は収まらない。いや、増幅する一方だった。そして、とうとう20年以上も前の出来事の記憶が僕を襲ってきたのだった。

それは札幌市内の大きな劇場で起こった出来事だった。

韓国の映画監督が制作したという映画のタイトルは『ミンジャ・明子・ソーニャ』というもので、三つの国で過酷な人生を体験した一人の女性を描いたドラマだというので、そのオープニングに合わせて観賞しようと決めて飛び込んだ作品だった。まだ今よりずっと若かった当時の僕は毎晩のように付き合いの約束を入れるのが習わしのように忙しかった。だから、その日も上演時間をしっかり確かめて、映画鑑賞の後に時間をずらして約束事を入れていた。作品を見終わったら、急いで映画館を飛び出さなくてはいけない。

市内でも最も多くの観客を収容できるその映画館の最前列で僕はその映像が大画面に映し出されるのを待った。直ぐ後ろの席では若い二人がまだぺちゃくちゃと喋っている。さらに離れた奥の席からは紙袋を拡げる音がしていた。それらのすべてが僕に対する無神経な雑音となって襲ってくる。僕は、不愉快極まりないそれらの音を無視して、映像を受け入れる態勢を整えることに集中していた。

ところがどうしたことだろう。

突如、ステージの上に司会者と名乗る女が現れ、そして監督だという中年の男が左袖からやってきたかと思うと、いきなり<トーク>を始めたのである。戦中日本の強制連行やロシア・シベリアの過酷な歴史について語り出し、今度は女が韓国人監督の「功績」を長々と説明し始めた。

僕の胸の中の<苛立ち>がどんどん膨らんでいったことは言うまでもない。

彼らは、しきりにこの作品の<意義>とやらについて喋り続けている。そこで演じられていることは、作品の出来栄えでもなく、その映像の印象についてでもなく、ひたすら映画製作者の<意図>と映画の<社会性>なるものについて、観客に一つの見方を喧伝しようというものだった。北海道の夕張を一つの舞台としたその作品がスクリーンに映し出されたのはそれから30分以上が経ってからのことだった。

この時は、僕は自分の中で膨らんでゆく不快をしきりに抑えながら、映画のシーンを見届けることにしたのだが、結局のところ、30分の遅れがたたって、最後まで観ることはできずに映画館を後にするはめになった。

作品そのものは登場する人物1人ひとりの表情を映し出すことに乏しく、筋だけが画面をなぞる実に面白味に欠けるものだった。主人公が、周囲の人たちと愉快な時を過ごす場面もなく、その生活の中に溶け込もうとするシーンも欠けていた。その上、あの夕張の美しい風景も描かれていないのだ。

それにしても、<社会性>という名を武器に、映画の意義をまるで何かの「教訓」のようにして語る、この種の<正義感>に僕は困惑を覚えないわけにはゆかなかった。教訓を伝えたいのなら、どこかで著名な自称有識者の講演会でも開いたらいい。あるいは優れた書き手を見出してそのエッセイや論文を通じで丹念に道徳を語らせるがよい。

映画はそれを「体験」する一人ひとりの様々な人生によって鍛え上げられた感性によって少しずつ違った色合いをおびて迫ってくるものであり、それを一つの教訓でもって束ねることはできない。そうした読み手(観る者)の「解釈の自由」が映画の魅力ともなっているというのに、事もあろうか、事前に一つの解説を加えて、その<自由>を縮減しようとする不遜な態度、その横柄な思考に僕は得も言われぬ<違和感>を感じ、同時にまた強い<憤り>を抱いたのである。

世間ではよく、優れた作者の作品に直面すると、あるいは著名な作者の言葉に触れると、まるで呪いにでもかかったかのように、その作者の意図や創作力が読者もしくは観客たちを一方的に飲み込んでいくように思いがちである。確かに、そういった面もないわけではないが、これを受け止める側の方が圧倒的に多く、かつ多様であることを見落とすことはできない。 その多様な観る者たちが、1人ひとりの<人生>という名の長い物語の世界の中に、作品(映像)を呼び込み、それぞれの固有なもう一つの物語を編み上げているのである。それが、まさに<鑑賞>というものだ。

一体、彼女らは、何の特権を得て、その多様さ、自由さを削ろうする残酷な仕草をするのだろうか? 僕にはよく理解できないのである。

 

明治座公演『ふるあめりかに袖はぬらさじ』

大地真央が舞台の中央で、床にしゃがみ込んだままの姿で、最後の「一人芝居」を見せる。芝居は、いよいよ終幕へと近づいていた。

「あーあ、恐かったぁあー。」

ちょっと前まで啖呵を切っては男たちをきりきり舞いにするほどの元気を見せていた女が、大きな口を開けたまま、いまにも泣き出さんばかりの大声を張り上げた。

その童のように無防備な声に、観客がどっと笑い出す。

お園は、血気盛んな若い侍たちに取り囲まれて恫喝され、今にも切り殺されるか知れないという恐怖を前に顔面蒼白になって震えていた。その侍たちが不敵な笑みを残して立ち去った後も、床にしゃがみ込んだまま立ち上がることもできない。恐怖のあまり腰が抜けて、何度試みても立ち上がることができないのだ。その大きな体をくねらせ這うようにして床の上を移動する。その様子を見て、観客席の僕たちも思わず固唾を呑んで、お園の一挙一動を心配そうにして眺める。  

なのに、お園は、その不様な姿を晒し必死の形相で床を這いながら、手に触れた徳利の酒を次々と飲み干し始めた。そして、何やらしきりに粋がっている。

「畜生! なんだい、へッ、抜き身が怖くて、刺身なんか喰えるかってんだ。」

と言い終わる間にも、お園は徳利の中を覗き込み、空っぽになったそれを逆さにして酒のしずくが落ちないかを確かめている。そのうち、床を這うのが、女が腰を抜かしているせいなのか、酔っぱらっているせいなのか、解らなくなってしまいそうっだった。

…………………

この芝居は、亀遊という名の薄幸なひとりの「おいらん」と、吉原のときから芸者を続けてきたベテランの気丈なお園との物語である。有吉佐和子原作の『ふるあめりかに袖はぬらさじ』を基に、その役に大地真央を初起用しての演出だった。上記は、そのラストシーンで大地真央演じるお園が迫真力満点の演技を見せた場面だった。舞台の上で、1人残されたお園こと大地真央が悲しさと滑稽さを最後まで綯い交ぜにしながら独演するシーンはまさに<圧巻>としか言いようがないものだった。

おそらく、ここに居た観客たちのすべてがそれを覗き見て、大いなる満足に浸ったことであろうと思われた。

そして、 お園は、<本当>と<嘘>が入り混じった現実の世界で、たとえ揺れ動く心の只中にあっても、ただ一人<真実>に見入っていた。終わりの近くで彼女が吐くセリフがそれだった。

「おいらんは、亀遊さんは、淋しくって、悲しくって、心細くって、ひとり死じまったのさ。」

人知れず、世間の目をさけるようにして葬り去られた一人の「おいらん」の死をお園は忘れることができない。ここに生きていたんだ、それもひょっとすると<幸せ>を手にすることもできたかも知れないというのに、亀遊はその手前で自らの命を絶ったんだ、お園はそう叫んでこの芝居を結ぼうとしていた。

この絞り出すようなお園の台詞に触れて、ぼくは思わず身震いした。

そして年甲斐もなく涙を堪えることができなかった。

………………

舞台は華やかな遊郭の世界を色鮮やかなミュージカル仕立てで開演した。幕末の異国人を押し込めるためにわざわざ開発された居留地「横浜」には、異人を専らの顧客すとする遊郭が建ち並んでいた。いまではその勢いは本場吉原を凌ぐほどのものになっていた。その華やかさを演出する工夫がここに立ち現われていた。

原作には見当たらないその明るいシーンにぼくはほんのちょっと違和感のようなものを感じていたが、それがこの芝居の前触れだった。

この後も、例えば、不機嫌になった米国人客イルウスの機嫌を取ろうと、洋風の派手な厚化粧をした女たちが次々と現れては踊り出し、ついには全員でダンスと歌を披露する。何とも奇妙な姿の女たちが醸し出す俄か仕込みの(?)ミュージカルに、観る者たちもいきなり<笑い>の世界へと引きずり込まれてゆく。

大橋某というたいそうな先生を慕う攘夷の志士たちも、男衆五人が出揃ったところで、このミュージカルをやって見せる。そして、まるで幕間のように差し込まれるその歌舞の後に、真に迫る本筋が顔を覗かせては、僕たちをふたたびシリアスな世界へと引き戻すのである。舞台は、こうして<陰>と<陽>、<明>と<暗>のコントラストを描きながら進行していった。

オープニングでいきなり派手な歌舞を見せた直後、場面は一転して暗がりのなかに塞いだ納戸のような小部屋へと転じていった。

お園が、普段着のままで、階段を上って現れる。

「おいらん、具合はどうですか。あら嫌、真っ暗だよ。」

その行燈部屋に、「おいらん」が一人、粗末な布団で寝ている。横浜岩亀楼の看板女郎として売り出すはずだった亀遊である。だが、いまや病で伏せているだけだった。

お園は持ち前の元気な声で、若い女郎たちが行燈を片付けにきたときくらい、外の明かりを入れてくれればいいものをと愚痴を口にしながら、小さな雨戸を開ける。明かりとともに、目の前に横浜港の全貌が広がって見えた。

「いいお天気ですよ、おいらん、ほら、ここから見ると港は本当にいい眺めですよ。……おや、大きな船、こないだまで見かけなかったけど、あれはどこの船かしら。」

お園の言葉に亀遊が半身を起こしながら答える。

「館の白い綺麗な船でしょう。アメリカの船なんですって、おとといの晩が入船だったのよ。」

「おや、おいらん、あれがアメリカの船だなんて、いったいどうして分かったの?」

「それは、あの、それは、ね。」

しどろもどろになる亀遊に、お園はふと何かを感じるが、その場はそのままやり過ごす。

亀遊のところを訪れる若者があった。

横浜岩亀楼の通事として働く藤吉だった。彼は蘭学を勉強し、やがてアメリカに渡って西洋医学を学びたいとの夢を抱いていた。その藤吉が、薬を届けるという口実をもってしばしば亀遊の部屋を訪れていたのである。どおりで、字の読めない亀遊のところに「攘夷党が暴れた」なんぞが書かれた瓦版が置かれていたわけだ。お園は、ふと湧いてきたような艶話の兆しを喜んだ。

亀遊を訪ねて来た藤吉にばったり出会ったお園が、明るい声で言った。

「おいらんを見舞いに来てくれたのかい? 有り難うよ。……おいらんの顔色がよくなった謎がとけたよ。なるほどねえ。」

物静かな藤吉は、バツが悪そうにして言った。

「おかしなことを仰ってはいけませんよ、姐さん。私はおいらんの病気を心配してやってきただけのことですから。」

お園は、自分に隠すことはないよ、大丈夫だから、と二人を安心せる言葉を吐いたあと、こう言うのである。

「けど、お前さん、おいらんが此処で寝てるって一体、誰から聞いたんだい?」

すると藤吉がひょんな事を言う。

「誰って? それは姐さんからですよ。」

実は、10日ばかり前、もうすっかり酒の酔いが回ったお園が、誰に向って言うわけでもなく、「おいらん一人死にかかっていてもハマ(横浜)じゃ誰も見舞いにいかないのかい、不人情な奴らが揃っているよ」とまくし立てていたというのである。

ここには幾つもの伏線が据え置かれている。

先ず、病に気まで沈んでいた亀遊にも<幸せ>がやってくるかも知れないという<希望>の予兆が垣間見える。そもそも、お園が亀遊を「おいらん」と呼ぶのは、江戸の吉原でまだ遊郭では子供扱いしかされない時から身を立てて花魁にまでなった亀遊のすべてを知りつくしているからだった。同じ芸者としてむしろ羨ましくも見えた彼女が借金を抱えたまま、この岩気楼に引き取られた後も、お園は「おいらん」と呼び続けていたのである。その亀遊が惨めな日々を送っているという時に、藤吉という若者の登場で、あたかも一条の光のように<幸せ>が訪れ始めたかと思われる出来事がそこにあった。だが、やがてそれが余計悲劇の色を濃くすることになるのだ。

そしてまた、ここには、世間の<薄情>に憤りをぶつける、お園の人間味、その人情が映し出されている。そんな<非情>があっちゃいけない、たとえ遊女であっても、人それぞれに人生があるんだ、お園はそう言おうとしていたのである。

物語は、米国人客イルウスが岩亀楼に現れたことで急展開する。

当時は、異人を顧客とする遊郭であっても、外国人向けの「唐人口」と日本人向けの「日本口」の二つを区分けして、遊女もそれそれ別の割り当てがなされていた。このうち、前者、つまり異人さんをもっぱら相手にする遊女を「らしゃめん」と呼んで、周囲の女たちから蔑みと嫉妬もつかない特別な目で見られていた。

<蔑み>は、彼女らが言葉も通じない異人さんを相手にしていることに加えて、しばしば和服にスカーフやブレスレットやイアリング・指輪などを身に着けるという何ともド派手な衣装仕立てにも向けられていた。<妬み>は、豊な国からやってきた異人さんの金払いはすこぶるよく、彼女たちが贅沢な暮らしを手に入れていたことに対して向けられたものだった。

案の定、イルウスが登壇する場面では、マリアとか、メリー、バタフライ、ピーチとか名乗る奇妙ないで立ちの女たちが舞台の上に現れた。そして、次々にイルウスに自分を売り込もうと必死になってアピールしている。

だが、イルウスはどの女も気に入らない。そこへ、先ほどまで寝込んでいたはずの亀遊が真っ白な衣装に身を包んでスーとその姿を現した。化粧もしている。それを見て、通事の藤吉も驚きの余り声が出なくなるほどだった。藤吉は、初めて見る「おいらん」姿の美しさに我を失うところだったのである。

イルウスがすっかり見とれて、「この女に取り換えて欲しい。金ならいくらでも払う」と言い出した。最初は、店のしきたりで女を取り換えるのは認められないと言っていた岩亀楼の主人も、だんだん金の話に引き寄せられてゆく。その間にも、亀遊が倒れ込んで、女中たちが彼女を部屋に連れ戻す。ここから先は、通事の藤吉もシドロモドロになって役に立たなくなる。

大混乱の中に<商談>が成立して、亀遊は本人の意思を別に、金六百両でイルウスに売られることになった。それを知ったお園が、夢中でそれを止めようとするものの、事態はもう動かないところまで進んでしまっていたのである。

「き、亀遊さんは、おいらんは、この話を知ってるんですか?」

心配そうに尋ねるお園に、主人の岩亀は応える。

「知ってるわけないじゃないか。いま決まった話だもの。」

お園は陳情するように言う。

「後生だから、それは勘弁してあげて下さいまし。異人さんと寝た女は、もう一生日本人の中では相手にされなくなっしまうんです。」

「何を言い出すんだ、こんなところで。異人さんと言ったって、鬼じゃあるまいし、ことにこの人は金離れもいいし、話の分かるお人だ。」

そう言い終わるや否や、傍の女中に向って、亀遊をここに呼んで来いと声を上げた。

「待って下さい。それは私が……」

そう言い残して、お園は二階の亀遊の部屋へ向かうのだが……。

亀遊は、その小さな暗い部屋で、剃刀で自害していた。

お園は、彼女の死の本当の理由を知っていた。だが、周囲はみな、異人さんに売られることを知って、それを拒み自害したと考えた。

亀遊は、もし自分の健康が回復したら、また遊女の生活を始めなければならない、そうであったら、藤吉とは永遠に結ばれはしないことになる。いや、このままでいても、間もなく藤吉は遠いアメリカという異国に去って行ってしまうだろう、そうすれば自分の生きる夢はすべて絶たれてしまう。どっちにしても、その未来から一切の希望が失せるのだ。それが、亀遊の自害の本当の理由だった。

しかし、岩亀楼の主人にとって何より懸念されたのは、「異人に売られるのを嫌がって自害した」と世間に風聞が流れ出ることだった。そんなことが知れ渡ったならば、この岩亀楼が攘夷を唱える浪人たちの標的にされることは目に見えていた。役人もそのことを惧れて、事を大きくせず、内々に処理する道を選んだ。亀遊の亡骸は、早々に深い土の中に葬り込まれた。そして何事もなかったかのような日々が続いた。

しばらく時が流れた頃、1人お園だけがその悲しい顛末を怨みながら、二人きりになった場面で、藤吉を責め立てる。

「なぜ逃げなかったのさ。なぜ駈け落ちしなかったのさ。」

いつもの勝気なお園の声に藤吉は、あの日の前日、二人が別れ別れになることを覚悟して抱き合って泣いたことを語り出す。

その時、舞台が反転して、中央奥から真っ白な衣装をまとった亀遊の姿が現われ出て、藤吉と亀遊が手に手をとって静かに歌い出す。強い絆で結ばれたはずの若い二人がステージの上で踊り出す。だが、それは一瞬の閃光のように輝いたかと思うと、亀遊が舞台の上手でゆっくりと廻りながら静かに床の下へと消えていく。観客たちはそれが二人の永遠の別れを再現する場面であることを知る。

その静けさを破る大声が飛び込んで来た。

「大変だ、大変だ!」と男の声。

「どうしたんだい? 何だって?」と女の声。

通りでまかれた瓦版が「岩亀楼の遊女亀遊が、女郎であるにもかかわらず、紅毛碧眼に身を汚されんよりはと親より伝わる懐刀で咽を突きて自害した」、まさに攘夷の魂であり、武士にも優る「烈婦」であると書き記していたのである。しかも、死に際して、見事な筆字の遺書まで残したというのである。字を読める藤吉によれば、その遺書の最後には辞世の一句が認められていて、そこにはこう記されていると言う。

「露をだに、いとふ倭(やまと)の女郎花(おみなえし)、ふるあめりかに袖はぬらさじ。」

お園は、「妙だねえ、おいらんは字なんぞ書けなかった。絵草子すら読めなかったんだ。それに懐刀なんかありゃしないよ、おいらんは剃刀で死んだ」と思わず、口にするも、主人の岩亀に止められる。第一、おいらんは武家の出などではなく、深川の町医者の娘に過ぎない。

そうこうしているうちに、この瓦版を契機に、亀遊は「攘夷女郎」として人々の噂になって語られていく。そして、この噂話によって、岩亀楼が異人相手の遊郭で商売をしていたという事実がかき消され、それを拒んだ武家の鏡のような女郎を抱えていたところだとの評判を受けることになる。

<真相>を知るお園は最初はその<誤解>に違和感を覚えるが、やがて持ち前の明るい立ち振る舞いに合わせて、この<攘夷女郎>話を脚色し、迫真力ある出来事して語り出すことになる。一目その現場を見ようと訪れる客を相手に演じているうちに、何がどこまで本当のことなのか自分でも判らなくなってしまいそうだった。

いつの間にか、亀遊は<亀勇>との表示に変わり、武家の娘になり、吉原でも横浜でも超売れ子の芸者になっていた。イルウスという嫌な米人が払うと言った金も千両にまで吊り上がっていた。

自害した場所も、提灯部屋ではなく、大広間になっていた。その大広間で、尋ねて来た客を前に、お園が一節をぶつ場面がある。

「ようござんすか。亀勇さんはここに坐って、じっと異人さんの眉間に目を据えたまま、かねて覚悟の懐刀を、抜いたと思ったら喉に突き立てた。」

「血は出なかったのかい。」

「あなた、生身の人間が喉を突いたんだ。血はしぶきをあげて、返り血を浴びた異人さんの顔は鬼でしたよ。」

とうとう、本物の攘夷主義にかぶれた侍たちの到来となった。そうこうしている間に、お園が語る大橋某というエラい先生の話と亀遊の書き置きの話が辻褄の合わぬことを知って、攘夷侍たちがが、お園言葉に嘘を読み取った。そして一人の若い侍がいきなり太刀を抜いてお園を切って捨てる構えをみせた。

「ひえッ!」と悲鳴を上げるお園。

この顛末は、大橋某先生の名誉を保つことを優先した侍たちの情けで、何事も無かったかのようにして終える。5人の侍たちが不敵な笑みを浮かべながら下手へと消えてゆく。

そして、先の冒頭の場面が続くのである。

「ああ、恐かったぁあー!」

(ちなみに、ここで再び冒頭の文に戻ってもう一度読まれることをお勧めします/筆者)

…………………

この芝居の時代背景は、開国か攘夷かで、まさに国論が二分化されていた幕末日本の頃のことだった。そんな物騒な世の中で遊郭を一つの舞台にして描いたのが、本作の妙味ともなっている。そして、お園はそうした時代の波に翻弄されながらも、いつの時代にも変わらぬ人間を見つめる率直な眼差しを忘れない女だった。

お園を演じた大地真央は、これまで十八番の「マイ・フェア・レディ」をはじめ、「カルメン」「サウンド・オブ・ミュージック」「ローマの休日」、「クレオパトラ」や「マリー・アントワネット」などのヒロイン役を演じてきた。喜劇と悲劇とが綯い交ぜになったこの作品では、少々お調子者の役を引き受けて、その「人情」を演じて見せるという難しい役に初めて挑戦したという。

それにしても、あの<圧巻>の演技に魅せられたのには参ったね。「これぞ、銭の取れる演技というものであろう」、そう思いつつ僕は明治座を後にした。

外はもう真っ暗だった。人の流れの後をつくようにして夜道を進んでいくと、遠くに灯りがひと塊になって浮かんでいるのが見えた。人形町の辺りだろうと思った。

 

父の日のプレゼントと喫煙・禁煙

近くに住む娘が、2週間も早く、父の日の贈り物だと言って、何やら小さな固い箱を包んだ包装紙のプレゼント持ってきた。喫煙癖から抜けきらない父を想ってか、中には「iQOS」という無煙タバコのセットが入っていた。どうやら、札幌にいる母親と相談しての喫煙家対策のようだった。

そう言えば、近頃は喫煙できる喫茶店の中でも、この「iQOS」とやらを使っている男がやたら増えている。おそらく、自らの健康を意識してというより、マイホームでは喫煙禁止にされていることからやむを得ず、本物のタバコを諦めて、その代用品に「転向」した連中であろうと思っていた。そこには悲しい(?)ことかな、家庭の中での妻との力関係も反映しているに相違ない。

そういう我が家の長男も同居中の彼女に押されて、ついにこの新製品に飛びついてしまった1人である。

………………

僕は公の場ではもちろんタバコを吸わないが、自分の個室にいるときや喫煙可能な喫茶にいるときにはヘビースモーカーになりきっている。依存症と言われればそれまでだが、タバコが僕の情けない頭脳を刺激し、活発化させることは確かなので、とうてい禁煙なんぞあり得ないと思い込んでいる。

そうは言っても、世の中はいまや禁煙ブーム真っ盛りである。東京オリンピックに合わせて、公開の場であれば、飲食店のすべても禁止すべきだとの潔癖主義的(ピューリタン)な意見も出始めた。確かに喫煙は身体によくないとの報告もあるし、何より受動喫煙が社会問題となっている中ではどうも喫煙派には分がよくない。先の都議会選挙で多数派をしめた「都民ファースト」を名乗る集団も禁煙勢力だ。

最近はもうすっかり分煙が当たり前のようになっていて、それを嫌う人のいる閉じられた空間ではタバコを吸わない、通りや広場などの公の空間でも吸わないなど、喫煙者のマナーもしっかり守られるようになってきた。それでも「全面禁煙派」の連中は、タバコそのものが気に入らないようで、それだけにとどまらず「喫煙者」という存在そのものを消しゴムで消してしまいたいような勢いだ。劣勢のままじりじりと後退を迫られる僕にしてみれば、思わず「喫煙者は都民ではないのか」と叫びたくなるほどだ。 

世界保健機関(WHO)の統計2016年によると、日本の男性の喫煙率は33,7%で世界60番目。トップはインドネシアで、これにヨルダン、キリバスが続いてロシアも何と5位にランキングされている。日本は、韓国、中国や東南アジアの国々には及ばないものの、スイス・オランダ・北欧諸国はもとよりドイツ・イタリア・イギリス・フランスよりも高く、いわゆる産業先進国の中でもトップクラスだ。おそらく、こうした事情がオリンピックを前にして喫煙率を押し下げたいとの衝動につながっているのだろう。

これに対して、日本の女性の喫煙率は最近はその高止まりが問題だと国内で指摘される向きもあるが、その数値は10.6%にとどまっている。というのも、女性では産業先進国のドイツ・フランスはもちろん、オランダ・スイス及び北欧諸国よりもはるかに低く、何と喫煙に厳しいカナダやオーストラリアよりも低いのである。むしろここでは、日本が欧米に比べて「男女格差」が目立っていることは少々気になるところである。

女性の喫煙率で世界のトップはナウル(52.0%)であり、これに先のキリバスセルビアが続いている。ちなみに、キリバス共和国は、太平洋上の群島からなるイギリス連邦の1つで、人口11万人の赤道直下の小さな国。また、ナウル共和国イギリス連邦加盟国で、国土面積ではバチカン市国モナコ公国に次いで世界三番目に小さな国だ。

少々話がズレたので元に戻すことにしよう。

タバコは確かに、健康にはマイナス面が少なくなく、決して勧められるものではない。一般に喫煙する人は、あるいは受動的喫煙者であっても、がんや心筋梗塞、気管支ぜんそく慢性閉塞性肺疾患にかかりやすいとの指摘を受けている。

特に近年では、発症する人の9割が喫煙者であるとされた、慢性閉塞性肺疾患に注意が向けられている。一般に、「慢性気管支炎」とか「肺気腫」と呼ばれているものがその例であるが、専門家の間ではこれが将来的に死亡要因の大部を占めるようになるとさえ言われている。ただし、これも必ずしも喫煙との因果関係がすっきりしているわけではない。ディーゼルエンジン排ガスや、ビル群から排出される異常な熱や新鮮な空気に触れる機会の少ない都市生活など多様な環境要因も原因との指摘もあるからだ。

加えて、<タバコ=がん>という、喫煙(者)を敵視するほどに騒がれた因果関係については、今日でも専門家の間で論争が続いている。  

僕自身は愛煙家に近いので、喫煙の害についてあれこれ文句をつけつる資格はあまりないのであるが、タバコにはストレスを軽減・抑制するというメリット効果があるとされているし、長寿にはむしろ適度な喫煙が望ましいとの説もある。

実は、これにはあながち無茶な議論とは言えない興味深い論点が潜んでいる。もしタバコにストレスを軽減する効果があるとすれば、それは様々な病気の抑制や長生きにも貢献している可能性が出てくるからだ。

オランダの研究グループが行った研究調査では、喫煙者は非喫煙者に比べてアルツハイマー病に罹る率が遥かに少なかったことが判明したという。喫煙には確かにボケの防止効果もあるされているのである。これは適度の喫煙が脳の活性化(脳細胞のネットワークづくり促進効果)をもたらしているせいだとも言われている。

また、日本免疫学会会長も務めた順天堂大学の奥村康教授は、自殺者34,000人の中から無作為抽出した2,000人を調べたところ、何とすべての自殺者が非喫煙者であったとの報告を発表している。むろん、この結果に対しては様々な方面から「反論」も出されているが、仮にタバコがストレスを抑制する効用を有しているとするならば、頷ける傾向だと言える。

…………………

しかし何よりも、僕にとって一番気になることは、医学的・実証的結果もさることながら、その検証結果についても専門家の間ですら見解が分かれているにもかかわらず、タバコを嫌う人たちが一斉に<汚れ>を社会から<排除>しようとし、まるで風に草木が靡くようにして、世論が一方向に動き出すことの怖さである。

喫煙反対論者は、その時、自分たちが何をしているのかさえ落ち着いて考えることもしなくなる。それが、例えば、共にどうしようもない強度の喫煙家である、あの創造的なアニメ映画を編み出した宮崎駿や、「北の国から」の人気ドラマを生み出した倉本聰などの人間を<非道>あるいは<非国民>と揶揄して、そうした連中をこの世界から<追放>しようとする試みに通底するということすら思いも寄らぬのだ。

いや、僕は別に喫煙を推奨しているわけでも、ましてや喫煙家たちを称賛して言っているつもりもない。そうではなく、喫煙家の存在も認める<寛容>がこの国には大事だと言いたいのである。

マナーを守り、分煙を徹底することができるならば、その方がはるかに多様性を受け入れることできる懐の深い、より<豊かな社会>を構想することが可能になるのだと思う。少なくとも、世の中を一色に染めて、互いを監視し、社会全体がストレスを貯め込むような風潮は避けたいものである。

親切過ぎる女

「お客さま、お飲み物は何にいたしましょうか?」

羽田から千歳に向う飛行機の中で、僕は女性の声で目を覚ました。薄いグリーンのコスチュームに身を包んだスチュワーデスの声だった。首には濃い赤と緑のネッカチーフを巻いている。

どうやら、通路側の狭いシートに深く沈んだまま、ぐっすり居眠りしていたようだ。それもそのはず、羽田空港にぎりぎり飛び込んで、やっとのことで搭乗手続きに間に合った僕は、昨晩、というか今朝まで続いたパソコン作業のために寝不足で、飛行機が飛び立ったらそこで睡眠時間を稼ごうと決めていたのだ。

その思惑が目論見と少し違ったのは、僕は自分が乗った飛行機が滑走路を飛び立つ前に、強い睡魔に襲われてしまい、離陸の瞬間すら覚えていなかったということだった。

ややベテラン風のそのスチュワーデスが声をかけたのは、窓側の若い男性のお客さんに対してのものだった。僕は、僕の頭上で発したその声に、いきなり眠りから引き起こされたというわけである。

薄目を開けた僕に気づいた彼女は、今度は僕に声をかけてきた。

「お客さま、何にいたしましょうか?」

僕は、機嫌を損ねた顔を向けながら言った。

「いいえ、結構です。」

…………………

それにしても、こうしたことは国内便でも国際便でもしばしばあることだった。

もう半年以上も前のことであるが、ベトナムハノイの空港を深夜の12時過ぎに飛び立った飛行機の中で、突然、英語で声をかけるスチュワーデスの声で起こされた。食事の時間だというのである。

日本食がよいか、洋食がよいかと尋ねるその声に不機嫌なまま目を覚ますと、何と夜中の4時半である。

前日、ハノイから車で1時間ほど離れた農園を見学に向った時は、まさに炎天下で白いワイシャツ姿の僕はそこを一通りめぐっただけですっかり疲れ切っていた。それに狭い車の中に詰め込まれての移動だったので、それだけでもエコノミー症候群になりそうな1日だった。

当然、僕はハノイ空港を飛び立った瞬間から体を休めようと、備え付けの毛布に身を包んで居眠り態勢を整えていた。それでもなかかな寝付かれずにいたところに飲み物を差し出されてそれを受け取り、しばらく日本から持ち込んだ文庫本を拡げて小さな文字を追いかけていた。そして、いつの間にか深い眠りに落ちていったのだった。

不機嫌な僕は、小柄なそのスチュワーデスに向って言った。

「有り難う、でも食事は結構です。」

そう言い放つと、再び眠り込んでいったつもりだったが、まもなく便は下降を続けて成田国際空港への着陸態勢に入るとのアナウンスに呼び戻されてしまった。

僕にはどうしても、この飛行機の中の<奇妙な親切>に馴染むことができない。<熟睡>という名の至福を妨げるこの<残酷>を許せないのだ。それでも彼女たちはマニュアル通りに僕を起こすことに笑顔をつくって迫って来るのである。

とうとう僕は1つの事件に巻き込まれてしまった。

北京から羽田に戻る便で、今度は隣の席にいた年配の女性に何度もたたき起こされたのである。

「お客様、あいにく間の席しか空いておりません。」

訳あって一便早くの時刻で帰路に立とうと搭乗手続きを済ませる僕に、カウンターの向こうの綺麗な女性が流暢な日本語で言った。

僕のシートは三人掛けの真中の席だった。

エコノミーなので狭く、心配しながら機内のその席を見届けると、中年女とやや年配の女が中国語で空いた真中の席を挟んで何やらしきりに話し込んでいた。これはやばいな、と思った瞬間、窓際の年配女性が僕に席を譲ると言ってきた。二人の女性は旅仲間のようで会話を続けるために、僕に窓側の席に座るよう勧めたのだった。僕がすかさずその提案に快諾したのは言うまでもない。

便が北京国際空港を飛び立つの確かめてから、新渡戸稲造『武士道』誕生の軌跡を綴った本を拡げて読み始めていた。

事態はここで起こった。

その親切な年配女性は日本語が得意で、通路側の中年女性に中国語で語りかけたかと思うと、今度は窓際に顔を向けて日本語で僕に話をかけてきた。僕は窓際の席に坐れたことを感謝しながら、声をかけてくるその女の気遣いに付き合わされることになった。

それでも、しばらくして例にもれず睡魔が襲ってきたので本を畳み、そのままの姿勢で眠りに落ちていった。ところが、この女性に僕は三度も起こされる事態に巻き込まれたのである。

一度はビザ申請を必要とする用紙に記入するためのものだった。どうやらスチュワーデスに手渡された黄色の紙を、眠ってる僕を起こして差し出そうとしたらしい。が、ふと気づいてそれが日本人の僕には不要であることを思い直して、彼女は詫びを入れてきたのだったが、僕の睡眠がそれによって妨げられたことは言うまでもない。

二度目は、飲み物サービスがあった時だった。スチュワーデスではなく、その女が僕を起こして尋ねてきたのである。

「何にします? コーヒー? それとも…。」

僕は、その<親切>にお礼を言いながら丁寧に断り、再び眠りに就いた。

そして三度目が襲ってきた。

今度は機内食のサービスだった。僕はそれも断りつつ礼を言おうと思った。でも、僕は不機嫌と共に目を覚ましながら、今度はその親切を受けることにした。彼女が好意をもって僕を起こしたことは確かだっだし、これ以上断り続けるのにも少々気が引けたのである。北京空港に向かう直前まで食事を囲んで農業研修の話をやり取りしていたので、お腹は空いていなかった。僕は差し出されたトレイの中からデザートを口に入れるだけで<食事>を済ませた。

…………………

結局、僕はほとんど熟睡することなく、チャイナ航空の機内で時を過ごした。窓の外はもうすっかり夜になっていた。ちょうど朝鮮半島の上空を通りぬける頃だったのだろう、眼下には金色に輝く町の灯りがぎっしり詰まって見えた。

通路側の席はいつの間にか、中年の男に代わっていた。おそらく、日本語が得意な彼女を頼って中国人一行が日本への旅行を計画したのであろう、と思われた。やがて小さな子供も姿を現した。

それはそれで実に微笑ましい光景なのであるが、それにしても、どうして飛行機の中ではこうも人の睡眠を平気で妨げることが続くのか、僕は密かに、その<親切過ぎる女>の横顔を見つめながら思った。

北京はもう夏

北京国際空港は、とにかくバカでかい。この日は、朝のエア・チャイナ便で北京へ飛んだが、予定より30分ほど遅れて到着した上に、いつものように第三ターミナルの長すぎる通路を通り抜け、シャトル電車でさらに移動して手荷物検査を終える頃にはすでに昼時間になっていた。

…………………

ちなみに、世界最大の旅客数を誇る国際空港は米国のアトランタ国際空港であるが、この北京首都国際空港はいまや旅客数でも世界第2位を占めるという。およそ10年前には、東京国際空港(羽田)やロンドンのヒースロー空港、パリのシャルル・ドゴール国際空港にも後塵を拝していたが、北京オリンピックを契機にターミナルを大改造・拡充して、堂々たる大空港になったのである。

それでも世界の空港敷地面積では、サウジアラビアのキング・ファハド国際空港が最大規模で、何と空港一つで、隣国のバーレーンの国土面積を上回るというのだから驚きだ。それと比べるとさして大き過ぎるというほどでもないように思えてくる。

それにしても、やはり北京国際空港は飛行機を降りてからが無意味に広すぎる。いくら人口の多い国だとは言え、それにしては閑散とした空間もやたら多いのだ。ところどころで、人気のないエアポケットのような、少し薄暗い小さな広場のベンチで横になっている中国人らしき旅人の姿も見受けられるほど。それもそのはず、この空港には3つのターミナルが造られているが、その3つを合わせた総面積98万平方メートルは世界最大規模だとのことであった。デカ過ぎるわけである。

やっとの思いで、第3ターミナルを通り抜け、大勢の出迎えの人たちが立ち並んでいるフロアに出ると、いつものように友人の中国人Riさんと中国在住日本人のTさんが笑顔で待っていた。

「入国手続きで混んでいたのでしょね」

Riさんが、僕の旅行バッグを引き取りながら言った。

「いやぁ、入管も手荷物検査も混んでいなかったばかりか、むしろ空いていましたよ」

と僕が伝えると怪訝な表情になったので、思わず応えた。

「時間が遅れたようです。気が付いたら30分ほど時間が余計にかかったみたいで‥」

そう言いながら、到着時刻の遅れを表示する電光掲示板やアナウンスが無かった様子だったことから、どうやら空港の上空で旋回して時間を費やし、さらに滑走路に降りた後も待機時間が続いたことが遅延の要因だったことに気づいた。まだまだ、日本のように分刻みでの運航には至っていないのかも知れないと思った。

地下のこれまたバカでかい駐車場に出た。Riさんが携帯で連絡をとって待機させていた車を呼んでいる様子だったが、なかなか現れない。ところ狭しと並んだ車はどれも高級車ばかりだった。ベンツやBMWアウディなどのほか、トヨタアルファードのようなワンボックスカーも目立った。ここには「発展する中国」がいっぱい詰まっている。

まだ6月半ばだというのに、外気が流れ込む地下駐車場は暑い夏を思わせるに十分なほど気温が上がっていた。

「暑いね、北京は。東京より暑いよ」

と僕が言うと、 Riさんと一緒に僕を迎えてくれていた、山東省から飛んできたというTさんが言った。

「北京はあまり来たいところじゃないね。用事がなけりゃ、あえて来たいとは思わないところだよ」 と口を挟んだ。

山東省の海辺の町に暮らすTさんにしてみれば、北京の夏は無暗に暑く、官庁手続きのためか、仕事の用でもなければ、魅力に乏しいところらしい。それでもPM2.5に脅かされる「冬の北京」よりはましだと付け加えることを忘れなかった。

僕たち3人を運ぶワンボックスカーは、一路、S社の本社があるビル街へと向かった。相変わらず、車の量が多い。それでも、いつもより順調に進んで目的地にたどり着くと、先ず、その近くで昼食をとることにした。

冷房の効いた車を出ると、上着を脱いで白いワイシャツ姿で先へ急ぐ僕の背中に、石畳に叩きつけるかのようにして太陽が熱い空気を注ぎ込んでくる。

「Mさん、ここは水餃子がとても美味しいお店です。」

と言ってRiさんが案内してくれたのは、大きなビルに囲まれて埋もれてしまいそうな古風なレストランだった。日本ではあまり見たこともない料理が次々と運ばれ、僕たちは外の暑さを忘れて少し贅沢な昼食を済ませた。

…………………

中国はいま破竹の勢いで経済発展をとげている。その勢いは世界中の評論家たちの「中国経済崩壊説」などの<警告>にもいっさい構わず、続いている。確かに、この国は、膨れ上がる巨大な不良債権問題や突出した過剰生産に立ち往生しているかの様相を見せている。しかし、それでも、その旺盛な消費活動は一向に衰えを見せない。10億を優に超える人口規模の国民経済は世界史上類例を見ないものであり、想像を絶するエネルギーに充ち溢れている。

僕はふと、レストランの愉快な食事を終えて、外の大気を胸いっぱいに吸い込みながら、この早すぎる「暑い夏」がまるで今の中国を象徴しているかのように想っていた。

                     (文:志根摩奸太郎)

松本清聴の映画講座4 『トランスアメリカ』

彼は、子どもときから男性であることに違和感を抱いていた。そして、世間体を重んじる一族のなかで、次第に孤独感を募らせていった。周囲の誤解に取り囲まれて、「孤独」はますます深まり、人が人を無意識のうちに傷つけ合う社会への強い違和感となってそれは膨らんでいった。「本当の私は何なの?」という素朴だが、深い自問を胸に、彼は「自分らしさ」に辿り着くための道を自ら選択しようと決意する。

‥‥‥‥‥‥‥

ロサンゼルスの片隅にひっそっり暮らすブリーは、「女」になることで確かな自分というものを取り戻そうとしている性同一性障害者である。すでにホルモン治療によって豊かな胸を持ち、トレーニングで女の声も身につけた彼女、いや彼は、周囲の無理解を肌で感じつつも、女になるための最後の手術を受ける日を愉しみにしている。「もう少しの辛抱で、私はは本当の私になれる」、そんな切々とした心の声が聞こえてくるようだった。

その彼も、過去にたった一度だけ、男として女と関わりを持ったことがあった。待ち望んでいた祝福の時を間もなく迎えようとしているある日、その女の子どもであり、父親である自分を探しているという少年が現れた。

激しく動揺するブリー。

父親どころか、種としての男すら捨てようとしていた矢先なのに、自分の息子かもしれない人間が現れたということは、あの投げ捨てた過去に自分を引き戻す<悪の力>が襲いかかってきたのも同然だった。

突然に訪れた現実から逃げ出し、当初の目的を果たそうとするブリーに対して、彼女、いや彼の最大のよき理解者であるセラピストのマーガレットが真実と向き合うことを勧める。それでも「最後の手術」にこだわり、事実から目をそらそうとブリーに、マーガレットは厳しい言葉をぶつける。

父親としての責任をはっきりさせるまで、あなたが手術することに署名することはできないわ」

彼女の署名が得られなければ、自分の夢を実現することも叶わないのだ。

人は一度ならずとも、人生の中における偶然の積み重ねを通じていつの間にか自分にあてがわれた役割、例えば、辛抱強い母親であるとか、貞節な妻であるとか、ひたすら勉強に精を出す親思いの子供であるとか、一家のために生真面目に働く父親であるとか、あるいは仕事熱心なサラリーマンであるとかいった役を演じることに疲れを感じて、逃げ出したくなることがあるものだ。外見ではその役割を立派に演じつつも、親としての、あるいは妻としての自分ではなく、すでに過ぎ去った、あの青春時代の輝きに生きた自分に立ち還り、そうすることによって「自己」を取り戻したいと願うときがあるのだ。

たとえ、世間がそれを逃避だとか、無責任だと決めつけようとも、心の奥からほとばしり出てくる、そうした強い衝動の前で、人はしばしば立ち往生し、「もう一人の自分」を発見する旅に出ることも珍しくはない。

ブリーは、ともかくこの重たい状況から「逃げ出したい」と本気で想っていた。本当の「自分」を手にするために、そうせざるを得ないと固く決意していた。

実は、息子がいるということは、ニューヨークの拘置所からかかってきた一本の電話で知ったのだった。少年は盗みの現行犯で警官に捕まったのだが、彼は男娼を仕事としていたという。ブリーは、マーガレットに説得されて仕方なく少年トビーを遠く離れたニューヨークまで迎えに行くことになった。ちょうど、あの「ダイ・ハード」で主人公がニューヨークからロサンゼルス向かったのとは逆のコースを辿って「彼女」は飛んだ。 戸惑いながらも、息子と対面するブリーだが、父親とは名乗ることができずに、トビーの誤解に乗じて、咄嗟の嘘をつく。  

「私は教会から派遣されて、あなたの世話をすることになったのよ」

つまり、信心深い尼さんの役割を演じることになったのだ。それが更なる誤解とすれ違いのドラマとなって、二人を人生のテストにかけてゆく。そして今度は奇妙な二人、つまり男娼だった少年と女になりきっている中年男のロード・ムービーが始まる。二人を乗せた車は広大な草原を走り抜け、小さな田舎道を通り過ぎて、これまた奇妙な人たちとの出会いを繰り広げていった。

スクリーンでは、不器用で、不格好な生き方しかできない中年女(のように見える)ブリーの仕草の1つひとつが滑稽味を誘う。自分の子どもに真実を隠しつつ、その一方で、精一杯の愛情を振り向けようと必死の努力を続ける「彼女」の姿に、やがて観客の僕たちも次第に惹かれていき、そしてこの想いがいつかトビーに伝わることを願うようになる。

だが、ニューヨークを発つときに生れた<嘘>と<誤解>はなかなかハッピーエンドにつながりそうもない。とうとう、<真実>がばれて、場面は一気に<破局>の様相をみせて展開する。「彼女」が男であることを知ったトビーは激しい嫌悪によって、ブリーを責め立てた。ふたたび<孤独>へと投げ出されたブリー。彼女のしゃがれた声とその不自然な化粧がなぜか悲しみをより深く刻み込んでくる。

それでも、長いアメリカ大陸横断の旅を通じて、二人は互いに反撥し合いながら、やがて共に惹かれ合い、そしていつしか心を開いていく。トビーもブリーの<優しさ>が本物であることに気づくようになる。しかし、それもつかの間、自分をまるで愛人のように思い込んで言い寄って来るトビーに、今度は自分がトビーの父親であることを明かして、二人の間は決定的なものとなるのだ。

そもそも、自己を取り戻すということは、単なる薬や手術によっては手にすることができない。それは、自分という存在を認めてくれる人との本物の出会いの中でしか実現し得えない。人は、<孤独>の中で必死にもがいていても本当の自分を見つけ出すことはできないのであって、生きている手ごたえを引き寄せるためにも、信頼できる他者からの「承認」が必要なのである。

やっと念願の「手術」を終えたというのにブリーの心は晴れないどころか、悲しみんの底へと沈んでいく…。

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この作品のテーマは実にシリアスなものだったが、場面はどこまでもユーモラスなままに推移した。なんと言っても、ブリー役を演じたフェシリティ・ハフマンの物静かだが、真摯な演技が光った。彼女は「本物の女優」、つまり正真正銘の女性なのだが、すぐれたメイキャップのおかげもあって、画面ではどことなく骨張って見え、それとなく男っぽいのだ。それが笑いを誘い、これが当事者にとって深刻なドラマであることを忘れさせるほどのユーモアを感じさせ、人間の温もりを醸しだしている。それがこの映画の持ち味となって拡がり、思わず、観る者をしてこう叫ばせるのである。

「人生って、捨てたもんじゃない!」

そして、ラストシーンを迎えるころには、もう僕はすっかりブリーの「よき理解者」となり、「よき友」となりきっていたのである。

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ところで、この映画は、1人のトランスセクシャルな人間を描いた作品であるが、標題の「トランスアメリカ」には東海岸から西海岸までの大陸横断(トランス・コンチネンタル)という原意と合わせて、「変わりつつあるアメリカ」との意味が込められているとも読めるものだった。アメリカでは、もうずいぶん以前から、道徳主義を唱える集団や人種主義をバックに他者を排除しようとする勢力がその勢いを高めている。そんな中でこの作品は、この国に「本当の優しさ」を取り戻すためのトランスレーションを求めているかのようでもあったのである。