清聴登場

映画・社会・歴史を綴る

デービッド・アトキンソン『国運の分岐点』を読む

 この著者の発言やテキストは、いつ見ても実に歯切れがよく、分かりやすい。先ごろ出版されたこの本も、読みはじめると、ほとんど立ち止まるところもなく、先へ進むことができた。それというのも、その論旨が明快だからだ。要するに、日本の生産性が国際比較でみても低迷しているのは、その背後に、多すぎる中小企業を存続させている“悪の存在”があるからであり、その力に阿ることなく、先ずは中小企業の数を大幅に減らすことで当面の難問は解決するというのである。
 一読者としては、特に、最低賃金の引上げの必要や過少消費からくるデフレ圧力に関する指摘に共感を禁じ得ないものがある。そして、それらを人口減少との結びつきの中で読み取ろうした点にも十分頷かされるものがある。しかし、それらは著者独自の着眼点というわけではない。
 それにしても、この本を読み終わって心の中に残った幾分殺物足りない読後感は、一体、どこから来るのであろうか。それは恐らく、“諸悪の根源”たる中小企業に関する省察がそこにはほとんど見当たらないということによるものであろう。そこで、評者として、若干の物足りなさの原因と思われるものを、ここに数点記してみたいと思う。

(1)一括りの「中小企業(論)」では、何も語ったことにはならない。

 先ず、著者が中小企業の現状を標的にしておきながらも、そこに中小企業と呼ばれるものについての幾分でも踏み込んだ診断や解析があるわけではなく、産業論としての、いわば最低限度の省察の目も向けられていない。
 例えば、一口に中小企業と言っても、小売業や飲食業と製造業、あるいは情報通信業運輸業など業態によってまったく分析の視点やアプローチが異なってくるのであるが、そうしたごく基本的な分類も行われていないし、商業を一つとっても、チェーンシステムを形成しているケースと町中で商店街を構成している個店とでは分析のツールも違ってくる。そこには、これまで展開されてきたさままざま中小企業論や業態別の分析に関する検討も見当たらないのである。
 そのことがまた、例えば製造業であっても、直接消費財を加工してマーケットに売り出す食品製造業と、長い製造工程の一翼を担って生産財を国内の大企業や海外の大手企業に提供する電子部品業などを一括することの拙さに思い至らないことへと結びついているように見える。これでは、アナリストに相応しい「分析」にはとうてい及ばないと思うのだ。

(2)産業組織論的なアプローチも見当たらない。
 そもそも、中小企業と一括して呼ばれるものが、単なる保護政策の対象としてだけでなく、1970年代半ばころから再び着目されるようになったのは、国際経済における影響力もしくは存在感を発揮した日本の大企業の成功神話が広く語られるようになったことと並行して、その要因(秘訣)が探求された頃から、日本固有の産業システム、すなわち系列(大企業-中小企業関係)がその一つの大きな要素として研究されたことに端を発している。
 例えば、トヨタにおける「改善」や「研究開発」の成果が小さな町工場のイノベーションを促進していったことなどが取り上げられた。また、そうした系列が時には親企業が下請け企業に対して行使する圧力につながったという弊害を伴いながらも、大企業が開発した先進的な技術をよりスピーディに、相対的に資本力の脆弱な中小工場に伝播する機能効果をもたらしたとの研究成果も出されていたのであって、画一的な中小企業=非効率論では処理できない省察もなされてきたのである。
 わけても、金型・鋳鍛造などのいわゆる素形材産業の展開が日本の製造業の発展に如何に寄与したものであるかの分析は今日でも価値あるものであろう。主に川崎や東京・大田区墨田区に集積したことで知られる、それらの素形材産業は、日本の代表的産業でもある自動車、航空宇宙、電力、家電や重電などの大手企業のすそ野を形成して、それらの品質を支える共通の産業能力として着目され、研究されてきたものである。それは、一見、大企業の成果と見られた日本の産業の成功物語の時代にあっても、それが、いわゆるトータルな産業システム、すなわち、ある種の「系列」によって成り立っていたことを示す一方、街中の小さな企業の集積が産業の分厚い裾野を担ってきたことを示唆している。そこでは、アトキンソン氏の言うような大企業=効率(より高い生産性)、中小企業=非効率(より低い生産性)といった単純な区分では割り切れない世界がある。
こうしたことは、主に製造業に関して実証的・理論的に解明されてきたのであるが、今日では、システム技術の発達も与って、コールドチェーンや経営組織上のチェーンストアなどにもジャスト・イン・システムが導入されてからは、製造業に限らずより普遍性の高い分析ツールとしても応用されてきたところである。つまり、今日では、企業単位・事業所単位でその規模を色分けする旧い中小企業観では、そうした産業システムの全容を捉えることがほとんどできないのだ。

(3)これでは、グローバル化し新たな産業システムへの移行を見届けられない。

 殊に、現代では、グルーバルな国際規模の産業リンケージが深化しており、中小企業と括られるビジネスの中にも、そうした産業の発展形態に敏感に反応して新たな市場の開拓につなげているケースが数多く生まれている。東アジア地域では、いまや、そうした産業リンケージ・システムが国境を越えて形成されている。しかもそれは、中国の予想以上の産業高度化のインパクトによって、東アジア全体がグルーバルな産業リンケージの中に組み込まれて行く様となって立ち現われている。
 とりわけ、2008年のリーマンショック以降は、そうした様相が一層顕著になった。それまで、中国を含めてアジアの中進国・地域は、世界のアブソーバー機能を一手に引き受けていたアメリカへの輸出によって経済成長を成し遂げてきた。韓国がそれまでの開発独裁を捨てて一気に貿易立国を目指したことでモデル的な成功を収めたものとして注目されたのも、このためであった。1970年代末からNICSと称された韓国・台湾・香港・上海の四つの国・地域、あるいはまた中国本土を含めた「四つの龍」(中国・香港・上海・台湾)などの台頭に注目が寄せられ、19世紀末に日本が非西洋地域で産業的成功を収めて以降およそ百年後の軌跡が起ころうとしていたのである。それも、世界の産業センターを誇っていたアメリカの吸引力に救われものだった。
 ところが、2008年のリーマンショック以降は、そうした構図も大きく様変わりしたのである。衝撃的な大不況の中で、世界の経済再生を担ったのは、中国の巨額な財政支出であった。なにしろ、大不況の震源地であったアメリカにその役割は果たせそうにもない。そんな中で、今度は中国が世界のアブソーバーを担ったのである。そう、世界の産業システムの背景となる世界経済の「風景が変わった」のである。ちなみに、日本の戦後経済は不況に落ち込むと、必ずアメリカの吸引力に依存して輸出を回復し、その勢いで国内の在庫を一掃しては設備投資を復活させるというサイクルを描いてきた。ところが、このリーマンショックの直後は、戦後はじめて、中国の大型景気対策に引き寄せられるようにして景気回復を果たしている。以降、日本の最大の貿易相手国はすでにアメリカではなく中国となっている。
 これを契機に、中国では自ら「中心国の罠」を避けるため、国を挙げて産業の「現代化」に向けて驀進する。今や電子産業分野や電気自動車や宇宙産業はもとより、それまでアメリカが世界を席捲していたプラットホーム産業の分野でも、AIや5Gの世界でも先頭を走る勢いである。実は変わったのは中国だけではない。この時期を境に、韓国や台湾をはじめとする東アジアの国や地域が中国を中心とする産業リンケージ・システムへと組み込まれていくことになったのである。そして、このグローバルな産業リンケージの形成が、日本をはじめ韓国・台湾などの国・地域の中小企業のあり方に大きなインパクトをもたらしている。
 著者が日本の「グランドデザイン」を描くと称しながらも、こうしたグローバルだが身近な産業システムのへ変容に対するアプローチがまったく見受けられないのは誠に残念である。

(4)台湾と韓国のケースで中小企業を見る。

 当面の中小企業問題との関連でいえば、この点においては、同じように東アジアで経済発展を成し遂げた韓国と台湾の比較が興味深いケースであろう。
 韓国はいまや日本にも迫る勢いで、一人当たりGDP3万ドルを超える経済立国を成し遂げている。その間、この国の経済・産業をリードしてきたのがいわゆる「財閥」であった。サムソンや現代などの財閥企業が提供してきたのは、主に中国や東南アジアで台頭してきた「中間層」向けの消費財であった。ところが近年になってその大企業による輸出戦略に陰りが見えはじめた。そして、それらの消費財中国企業が自前で提供できるまでに成長してきたうえ、彼らの方がより先端的な製品を製造・供給する能力を発揮しはじめたからである。
 このためもあって、韓国ではいま、財閥企業へのモラル的な非難と同時に、経済が足踏みするとともに、大企業と中小企業との間の顕著な経済格差が社会問題として取り上げられるようにもなった。そして、層の薄い産業のすそ野が国際競争力の脆弱性と結びついているとの指摘も受けて、能力の高い中小企業の育成に注目が寄せられるようになったのである。折しも日本との産業軋轢が顕在化する中で、この国ではやっと素形材産業の育成が国を挙げての産業政策上の課題となっている。
 これに対して、台湾のケースはまったく逆である。台湾では、その経済発展のスタートから中小企業の存在が大きな力を発揮してきた。ちなみに、アトキンソン氏が「問題」とする中小企業の存在はこの国ではとても重要な役割を占めていて、日本をはるかにしのぐ存在感を示しており、その産業全体に占めるウェートも実に98%に達している。それどころか、そうした中小企業が対外輸出のいわばバネとなって台湾の経済成長を支えてきたのだ。特に、中国が世界の製造業を担い始めた頃に合わせて、大陸部への部品・製造システムの提供基地化と変容し、自国の産業を支えするとともに、主に生産財を供給することによって成功を成し遂げてきている。
 韓国との比較で言えば、台湾では中小企業が産業のすそ野を形成していて、それが自国の経済発展を可能にしていると同時に、この国の安定的な民主主義を成り立たせているとの指摘すらも受けているのである。
 私はここでどちらが正しいのかということを伝えたいわけではない。ただ、一律に中小企業の存在を「敵視」しても何も言い当てたことにはならない事例として述べているだけである。それにしても、この点、こうした省察も欠けたまま、末尾で、取って付けたようにして、中国の「属国」懸念が引き合いにされて、著者の“警告”に重みをもたせようとの意図が透けてみえるものの、惜しいことかな、その冷静な分析の跡も見られないままである。

(5)一括りの「中小企業」という言葉の先へ突破する迫力が必要だ。

 結局、アトキンソン氏自らがその所説を正当化するために使用した一括されたものとしての「中小企業」という言葉に、もう一度立ち戻らねばならないようだ。この曖昧なままに流布された言葉が、著者自身が直感的に読み取ったように、官僚組織の生理と業界の論理によって産み落とされた、いわば“造語”のようなものである。官僚はそれによって“弱者”である中小規模企業の保護者として自らを明瞭に位置づけて権限と予算を確保し、業界団体は、自らその脇に「政治連盟」なるものを創り上げて影響力を行使することでその存在感を増長させてきたのである。この点においては、著者の危惧と告発は当を得ていると言えるが、その、言わば“奴ら”と同じ言語をもって戦おうとしたところに一つの明瞭な落とし穴があったと言えよう。
 そんな言葉を真に受けて、「中小企業」という用語で何かを語ったかのように振る舞うことには明らかにジレンマがある。仮にその論の入り口で「中小企業」という言葉を使うにせよ、そこに斬り込む鋭い“分析”がなければ「出口」は見えないのだ。
 アトキンソン氏は、この官製の言葉自体を解体するところから始めるべきではなかったかというのが評者の拙い感想である。

ロスジェネ世代の「問題」は何でないのか(1)

❑ドイツと日本の狭間で作品を発表し続けている多和田葉子が、岩波現代文庫にもなった『エクソフォニー』というエッセイ集の中で、こんなエピソードを紹介している。

―もう20年以上も前になるが、まだ日本に住んでいた頃、アテネ・フランセで『車に引かれた犬』という映画を見た。日本で暮らす西アフリカから来た日本文化研究者の話だが、彼は、日本に住んでいるフランス人たちには、「アフリカには飢餓している人がいるのに君は日本学なんかやっていていいのか」と言われ、飲み屋では酔っぱらった日本人に、「アフリカでは人の肉を喰らうって本当ですか?」と聞かれ、かっとなってテーブルをひっくり返してしまう。」
 そしてー
「フランス語を教えるアルバイトをしようとして広告を出すと、希望者の若い日本人の女性が家を訪ねて来るが、彼がアフリカ人であるのを見ると、驚いて、走り去って逃げて行ってしま」った。
 このエピソードは、まだ日本人が「西洋」を中心にして世界を眺めている、ある意味でハッピーな時代の出来事であるが、ここには、言葉と偏見がもっとも透明に立ち現われている。
 〇フランス人→白人→西洋人→富裕・文明
 〇アフリカ人→黒人→非西洋人→貧困・野蛮
 言葉の一つひとつに連鎖するイメージが張り付いていて、人はそれに拠りかかって世界を解釈している。それが、当事者をして悪意のない偏見と差別を生み出しているのである。そして、そこに人間による人間の<排除>も生まれる。

❑僕たち、と言っても日本人である僕たちのことだけ指して言うわけではない。僕たち人間という種は、世界を眺めるとき、あるいは世界について語り出すとき、それが<言語>という奇妙な装置を使って眺め、思考し、伝達表現する。つまり、人は、<ことば>という<覗き穴>あるいは<色メガネ>を通して初めて世界と切り結ぶことができるのだ。
 むろん、当然のことだが、眼鏡が違えば、世界も異なって見える。そこには常にバイアスというリスクが伴う。キリスト教徒たちは「神の眼」で世界を解釈し続けようとするだろうし、かつてのマルクス主義者たちは、すべて歴史の出来事を「階級闘争」の一色で理解しようとした。そこまで大上段な事例を引き出すまでもなく、われわれは、様々な偏見や予断の中で、つまり、さり気ないバイアスを生きている。
 そうしたもののうちで、もっとも典型的なものが、この国で長く引きずって来た「男尊女卑」の偏屈な生活習慣とそれらを補う言葉だ。たとえば、「良妻賢母」という言葉がこれらを端的に表していた。「女は女らしく」「夫が外で仕事をして、妻は家を守る」という社会通念が<ふつう>だとされてきたのである。
 僕たち人間は、こうしたさまざまな<観念>の海の中で育てられてきた。そして、優柔不断でくよくよと悩む男、責任を潔く引き受けることなく逃げ回る男をつかまえて、こういったものだった。
 「女の腐った奴みたいだ」。
 今の時代にこんな言葉を使ったら、直ぐさまネットで叩かれかねない表現がついこの間まで平然と使われていたのである。で、今や、むしろ「男の腐った奴」の方が現実に近いのではと思われるほど、世の中が様変わりし始めてしまった。そして、これらの<社会通念>もまた、言語が再生し、流通させてきたものだったのである。<女らしさ><男らしさ>の二分化思考が、僕たちの思考範囲を狭いものに仕立て上げてきた。
 この問題にはもっと根深いものがある。
 言語という道具を使って世界を変革し、作り変えてきたはずの人間が、いつの間にかその言語の虜となって身動きが出来なくなるほどに「言葉の囚われ人」になってしまうということだ。それは、僕たちが言葉に対する警戒心を怠り、ますます無自覚になってゆくに連れて強固なものとなって、真綿のように僕たちの思考を締め上げてくる。そして、一度作られた言語の外に出られなくなり、その惰性的な支配の下で無邪気に暮らすようになる。
 そして常に、少なくともこれまでは、支配力を持った側が次々と言葉を編み出し、それを制度化してきた。その興味深い一例をここに紹介してみようと思う。

<正規・非正規>という言葉の「檻」の中で

 いま、この国の中央に大きな分断線が引かれている。<正規>と<非正規>を分断する壁がそれを厚く覆っている。これは、<ふつう>と<ふつうではない>、<まっとう>と<まっとうじゃない>という色分けともそっくりだ。
 ついこの間までは、「ニートなんてまともな生き方じゃない」「異性愛者なんて、ふつうじゃない」「子供を産まない女は、まっとうじゃない」みたいな言葉まで、飛び出しては物議をかもすこともしばしばだったが、こうした思考は、現在の日本社会の底に深く沈殿したままだ。
 そして、そうした色分けを堅固な<制度>として視覚化させているものの一つが、<正規>と<非正規>だ。労働経済学者やエコノミスト、評論家と呼ばれる人たちまで、この語彙を与件として、何か普遍的な事象でもあるかのように、あるいは自然の出来事のこのように<解説>する向きがある。が、そこにはまた、単なる賃金格差や雇用制度にとどまらない、人間の意識の中に「壁」をつくる作用が働いていることにもっと目を向けるべきであろう。すなわち、この国の人間を二分化して疑わない怠惰な思考がそこに生まれているのだ。
 「非正規」という言葉には、本来るべき姿としての「正規」、つまり<ふつうの><まっとうな>雇用関係が標準としてあり、その標準からの<逸脱>があるという思考慣習が作用している。そして、こうした<逸脱>に対しては自然の勢いのようにして<差別>が伴うのだ。

オランダは「パートタイマー大国」

 すでにヨーロッパでは、正規・非正規というカテゴリーさえ失われているというのに、この国では相変わらず、この二分法がまかり通っている。オランダや北欧、ドイツをはじめとしてこの言葉が死語になりつつある理由は簡単だ。同一労働同一賃金の世界では、時間単位の賃金の差別は基本的になくなっているからである。同種の職務であれは、どのような雇用形態―たとえば、一日8時間労働であろうが、パートタイムであろうが賃金体系や処遇に違いが生じることはないのである。だから、そこに<正規>とか<非正規>とかいう分類は必要もないのだ。
 説明が煩雑になり過ぎると少々理屈っぽくなるので、ここでとても簡潔に分かり易い例を挙げてみよう。
 たとえば、ヨーロッパでも富裕国の一つであるオランダが「パートタイム大国」であることはすでに御存じだろうか。知らない人は、思わず、こう言い出すんじゃないかと僕は恐れているのだけど。
 「ええ、パートタイマーだらけって、ひどいじゃない」
 って。
 でも、そうではないんだ。先ほども言ったように、同一労働同一賃金を達成しているオランダでは、日本で言うとところの「働き方」の違いで賃金やその他の労働条件で差別されることがないので、誰もが自分のライフスタイルに合わせて、自由に労働時間を選択できるためなんだ。
 例えば、小さな子供を抱える若いお母さんが、近くの保育所に子供を預けることができたとしても、やはり親子のスキンシップも大切だといって、週に二日、午後を仕事の休みにして子供と遊ぶための時間を確保する。むろん、労働時間は短くなるので、その分は収入が幾分減ることになるものの、人生の価値を満たす上で大事なものを優先することができるというわけだ。いや、それだけじゃない。こうして手にするのは、仕事と同時にボランティア活動や自己の趣味(自然観察やミュージック活動など)、すなわち社会との能動的な関わりや自己の才能の享受など、人生そのものを豊かなものにするライフスタイルの実現にも生かされている。
 大事なことは、このような国では、わが国でいまだ通用している<正規-非正規>という用語自体が存在しないということだ。そして、誰もが「パートタイマー」として立派に働き、生きているということである。むろん、労働者として立派に保護を受ける存在として、それは受け入れられている。そして、これが今ヨーロッパでいうところのワークライフバランスの本当の姿である。

氷河期世代を救う対策って何のことか?

 ところで、この国の政府は、長い間放置されてきた「失われた世代」に対する対策に乗り出したようだ。名づけて「氷河期世代支援プログラム」というその対策の要点をかいつまんで見ると、要するに、およそ30万人の非正規雇用者を<正規化>する、そのための職業訓練・職業教育などの支援策を講じるというものである。そもそも政府がいうところの「氷河期世代」にはおよそ1,600万人が存在し、そのうちおよそ150万人がその対象となるという中での「30万人救出作戦」であることから、当初よりその効果に疑問が出されていたものであるが、その手法は相変わらず、民間企業に補助金を支給してその政策目的を達成しようというもので、その効果はおろか税金そのものが一部の人材派遣会社に注がれる懸念すら出ているという手法である。かと言って、まったく効果を期待できないというつもりもない。それによって「正規化」を強く望んできた人たちが少しでも救済されるのなら、それはそれで悪くないと思う。
 しかし、この仕組みを作り出した発想そのものには自ずとある種の危うさが潜んでいる。そこには、何よりも「正規であること」が標準であって、そこに人間を当て嵌めることが正義である、あるいはそうなるようにすることが善意である、という思考が根強く作用しているからである。自ら、雇用の流動化と称して「非正規化」を加速しておきながら、それと並行して労働者保護を強化しなくてはならないとの声にも耳を貸さずに右肩上がりの経済成長を夢見てきたことへの責任を一切反古にしたまま、そうしたシステムを変えるのではなく、“悲惨な”氷河期世代を救出してあげようとするわけである、
そして、ここにはもっと深刻な問題が潜んでいる。
 そもそも、こうした思考は、<まっとうでない>ものを<まっとうにする>という発想から出来たものだ。<ふつうでない>ものを<ふつう>に組み入れるための改善策として打ち出されている。だが、ここには、とてつもない軋轢が生じている。これは、単なる「貧困」からの救済対策や就職斡旋の事業などの問題ではない。それは、一つの明確な「文化の衝突」なのである。

これは言葉と文化の衝突だ

 もともとはバブル経済の崩壊に伴う就職難から顕在化したこととはいえ、それがまもなく一世代にも及ぼうとしていることが、文化の変容をもたらした。彼ら・彼女らは、その間に両親世代が当然と思い込んで来た生活スタイルや生き様を、いわば制度の外かから冷徹に眺めながら、サードプレイスとも呼ばれる新しい生活空間を創出して来た。古い企業主義文化や伝統的な家族主義文化に対する強烈な違和感を抱いては、それまでにない「新しいライフスタイル」を創り上げてきた。
 彼ら・彼女らは、古い制度や大きな組織に阿るのではなく、ピュアな仲間関係を大切にし、何よりも互いに「承認」を求めて集う、ささやかではあるが、手応えのある集団と空間における素直な生き方に価値を認めてきた。利益や組織目的のために自己を偽り、あるいは演技をしてまで自己を修正する生き方ではなく、信頼できる仲間の間で培われる共感と承認を何よりも優先する、新しい価値意識と自由で多様なライフスタイルが生れている。
 だからといって、彼ら・彼女らは「働くこと」を拒否していたわけではない。それどころか、「正規」という名の雇用システムの外にあっても、その多くは働き続けてきたのである。そして、「女であれ」「ふつうであれ」という社会の同調圧力に抗して、自らの働き方と自由な生活の確保を模索しづけていた。そこには、自分の外の、「世間」あるいは「社会」という名の得体の知れないものが押しつけてくるものへの違和感と抵抗があった。不条理な縦社会への同意の拒否がある。そして、上から何かの権威のように「同情」して現れては、自分たちの価値観を押し付けてくるものへの抵抗がそこにある。まさに、それがいま、彼ら・彼女らが、今日の日本社会に突きつけている「社会問題」だ。
 時には少々狭い世界のことであったりもする―とは言っても、これはいつの時代も変わらぬ風景である―が、何よりも互いの「承認」を優先する志向、制度化された「権威」よりも身近な「仲間」を大切に思う想像力、そして人間を一つの鋳型にはめ込んで何とも思わない、先行する世代への無言の反発がある。その底に共通して流れているものは、総じて不条理な社会への「抵抗」である。
 ところが、いま新たに打ち出されている<対策>なるものは、その鋳型に彼ら・彼女らをしてはめ込もうとするものである。そこに致命的で、明瞭なズレがある。そこに垣間見えるのは、古い価値意識と新たな価値意識との、言わば「文化の衝突」なのである。
この国はどこへ向おうとしているのか。
 日本はいまや、沈みゆく舟になりつつあるようにも見えるけれども、すでに一人当たりGDPがおよそ4万ドルに達する「豊かな国」となっている。家の中には家電製品が溢れ、ネットで好きな買い物ができるだけでなく、いたるところにコンビニがあり、どこに住んでいても安心して適切な教育や医療を受けられる。都市と農村との違いは相変わらず大きいが、かつてのように地域格差だけでは説明できない<差異>として、人生設計の上での<選択肢>にすらなっている。近年では、「若者の消費欲望が小さくなっている」ことが話題になるほど、この国には<モノ>が溢れている。
 むろん、日本の一人当たりGDPは先進経済国のなかでそれほど目立つものではない。上には上があって、2018年の時点では、日本の3万9,305ドルに対して、ヨーロッパのルクセンブルグ(11万4234ドル)、スイス(8万2,550ドル)、ノルウェー(8万1,694ドル)などと比べるとはるかに見劣りするし、近隣のシンガポール(6万4,041ドル)や香港(4万8,517ドル)にも大きく引き離されている。ドイツ、フランス、イギリスの水準にも達しない。それでも、GDP一人当たり4万ドルというのは、少々大袈裟に言えば、人類史上<驚異的な豊かさ>に到達していることを示していることに変わりはない。
 そもそも、1日8時間労働や9時~17時勤務が当り前という画一的なシステムは、工場労働を基軸とした「貧しい」時代の産物である。これはこれで「貧しさ」からの脱却が課題であった時代にはそれなりの合理性もあったには違いないと思われるが、いまや、その合理性自体が疑われているのだ。問われているのは、戦後日本が再スタートさせた年功序列・終身雇用制というシステムの下で「会社人間」を創り出し、男性中心主義と専業主婦を<標準>とする社会を形づくってきた、その在り方にあるのであって、その逆ではない。

 ところで、先の多和田葉子によるエピソードに戻ると、彼ら・彼女らは、あのような偏見からはすでに自由になっている。人間をマスとして解釈し、その標準でもって「世間並」とする思考からは脱している。世間なるものが造り出した自分及び自分たちの<外>にある基準で物事を推し量ることによって偏見を増長させられることなく、互いを、多様なライフスタイルと趣向をもった、一個の「人間」としての存在を認め合う価値観がそこには流れている。制度や地位や立場で人間を切り分けることを嫌い、そこにある種の異臭をさせ感じ取る新しい生活感覚が潜んでいる。
 遠いどこかの権威によって造り上げられた「常識」や「制度」の鋳型に自己を合わせるのではなく、いわば自生的に創出されてきた仲間の柔らかで、対面的な共感に添って自己の人生を編み上げて行こうとする「新しい生活文化」が、この国でもいま歴史を動かす大きな力になろうとしているのだ。
 オランダの事例は、その新しい生活文化に見合った、仕事、余暇や趣味、ボランティア、そして子育てなどを、自己の生活をより「豊かな」ものにする重要な構成要素とし、それぞれを「パート」して受け入れ生きることの価値に根ざしている。

 先にも触れたように、言語には世界を作り変える力がある。1960年代末頃から先進国を席捲したフェミニズムが社会の風景を一変させたように、<言葉>は世界を編み直す馬力を発揮した。そう、もし社会を変えたいと思うなら、僕たちは、他人が作った言葉に使われるのではなく、自分たちが新たに磨き上げた言葉を、いわば<武器>として用いなければならない。まず、世界を捉える<覗き窓>を変えることから始めまければならないのだ。もう、<正規-非正規>という官製的な言葉の鋳型に人間をはめ込もうとする旧い思考では、この勢いを押しとどめることはできないのである。

松本清聴の映画講座7 ジャック・ニコルソンの「カッコーの巣の上で」

 まだ人が寝静まっている未明、薄明かりの原野を一台の車がゆっくりと画面の前方に向かって進んでくる。車はやがて、いつもの1日が始まったばかりの、山中の精神病棟の前で止まった。場面が一転して、明るい一室に変わり、焦点の合わない大きな眼をギョロギョロさせた男の顔がアップとなった。
 「そりゃ、(若い娘に)目の前でぱっと広げられりゃ、黙っちゃいられない さ。」
 男はいかにも凶暴な目つきのままにしゃべりまくっていた。

 舞台は、オレゴン州のとある精神病院。この男マクマーフィ(ジャック・ニコルソン)は、その凶暴性と異常な行動を理由として、刑務所の強制収容農園から送り込まれたばかりだった。彼が来てからというもの、いままで何ごとも無かった病院に少しずつ変化が現れる。
 マクマーフィは、同僚の聾唖でインデアンの大男チーフ(ウィル・サンプトン)にバスケット・ボールを教えたり、絶えず落ち着きのないチェズウィクらと賭けトランプをしたり、味気ない病院生活に刺激を与えていく。しかし、主任看護婦のラチェット(ルイーズ・フレッチャー)は、精神病患者にとっていちばんの毒は刺激的であることだと知っている人間だった。彼女は患者から一切の刺激的なものを遠ざけ、さらにがんじがらめの規則を押し付けて、彼らに柔順に生きることを植え付けていた。
 グループ療法の最中、マクマーフィがテレビで放映中のワールドシリーズを観ることを提案した。しかし、ラチェットはその要請を事もなげに断るのだった。彼女にとって、患者たちが自由に欲望を満たすこと、いなその自由を手にすること自体許せないことだったのである。それでも、院内のフロアの拭き掃除の合間に、テレビに映ったワールドシリーズをほんの少し観戦することができた。マクマーフィも、仲間たちと一緒にそれを楽しんでいると、突然、「時間だ」と言って、テレビのスイッチが切られてしまった。みんな諦めたようにもとの作業に戻っていった。
 その時、マクマーフィが奇妙な行動をとりだした。彼は、電源が切られて何も映っていないテレビに向かって、あたかもそこにワールドシリーズの画面が見えているかのように手をはたき、歓声を上げて、球宴を楽しんでいるかのような仕草をとったのである。
 「そこだぁ、行け行け!」
 「おお! やったぜ。」
 一同は、驚いた表情でこの奇怪な行動に眼を向ける。「こいつ、ほんまに気が変じゃないか」といわんばかりである。何も見えない画面に向かって、大はしゃぎするなんて何という奴なんだと。だが、マクマーフィは一向にそんなことお構いなしだ。彼には、考えがあった。「あきらめちゃダメなんだ」「もっと自由に欲するものを手にしようと試みるべきだ」と彼が叫んでいるようだった。
 秩序を重んじる余り、生きた人間の自由すら平気で無視してしまうこの管理社会に対して、マクマーフィは強い嫌悪感と同時に、腐臭を放つ精神の病、魂の死の匂いを感じ取っていたのである。

 そんなある日、マクマーフィは、病院のバスを乗っ取り、仲間たちを連れて病院脱出をやり遂げる。彼らはやがて釣り船を占拠して海に出るなどして、外の世界の自由な空気を満喫する。が、それも束の間、再び病院へ連れ戻されてしまった。そしてまた、彼らの無気力な生活が繰り返された。
 それでもマクマーフィの闘いはとどまるところを知らない。日課となっている院内清掃をしているとき、彼は、大きなフロアの中央にあった水道の蛇口の付いたコンクリートの固まりを指して、突如、こう言うのだった。
 「誰か、こいつを持ち上げて、外に投げ出してみる奴はいないか?」
 一同は、またまた彼が奇妙なことを言い出したとでもいうような表情になった。そんなものを持ち上げられるわけがないし、第1、そんなことをして一体、どんな意味があるというのだろうか。
 マクマーフィは言った。
 「俺なら、こいつを持ち上げてみせるぜ。」
 「…?」
 そう言うなり、彼はいきなりそのコンクリートの固まりに抱きついた。そしてその巨大な固まりを抱えるようにしながら、何度何度もそれを持ち上げる仕草をする。むろん、そんなものはびくともしない。相変わらず、連中は押し黙ったままだった。
 だが、彼はこの時、こんなセリフを吐くのである。
 「お前らは笑えばいいさ。だが、俺はとにかく試みたんだ。」
 この一瞬の言葉を、ただひとりインデアンの青年、聾唖のチーフだけが見逃さなかった。

 マクマーフィのはからいである晩、病院のなかで密かに規則破りのパーティが開かれた。院外から女の子たちを招き入れて、ワイワイとやりだしたのである。常に何かに怯えるような眼差しの、自閉を伴ったどもりの若者ビリー(ブラッド・ドゥーリフ)が女の子たちと愉快に戯れている。が、翌早朝、その場面に、あのラチェットが事態を知って押し入ってきた。そして恐ろしいほどの血相でビリーを脅し、嫌がる彼を無理矢理院長室へ連れて行った。その恐怖に怯えて錯乱したビリーはグラスの破片で手首を切って自害する。
 怒り狂ったように、マクマーフィが主任看護婦に襲いかかり、その細い首を力一杯絞めつけた。彼女は病人スタッフの屈強な男たちに助けられて救われるのだが、マクマーフィは病院のどこかへ連れ去られていった。


 数日がたったある日の深夜、寝静まった寝室に、そっと骸のようになったマクマーフィが移動ベッドに乗せられて運ばれてきた。彼は、その凶暴性を除去するためと称してロボトミーの手術を施されたのである。そこにいるのはもはやマクマーフィの肉体ではあっても、あの並外れた想像力と行動力を持ち合わせたマクマーフィではなかった。寝静まった病室に再び暗い沈黙が漂いだした。

 その時、一つの大きな影がむっくりと起き上がるのが見えた。

 チーフである。彼は、2メートルはあるかと思われる大きな体をゆっくりと運ぶと、マクマーフィのベッドの前に立ち、そして黙ったまま彼の口元に枕を力いっぱい押し当てた。ほんの少しの痙攣が起こった。マクマーフの肉体的に死が訪れた。

 そして、いよいよラストシーンだ。チーフは憶えていたのだ。マクマーフィの例のセリフのことを。彼は、マクマーフィが言い残した通りに次の行動に出た。が、それがどんなことだったかは映画を観てのお楽しみということにしよう。

 

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 この作品は、1960年代の若者世代にとってヒーローともなった一人の作家が書いた原作をもとに映像化されたものである。ケン・キージーが著したこの小説はベトナム戦争さなかの反体制文化を支持する若者たちから深く愛読されたという。その原作をもって、1968年の「プラハの春」事件で共産国のチャコスロバキアから政治亡命し、アメリカにやってきたプラハの映画監督ミロス・フォアマンが映画化に成功したのだった。人間を鉄の規則に忠実に従う者とそうでない者とに二分し、後者を社会の秩序を脅かす存在として排除する「管理社会」に抗して、人間の自由を謳歌する作品を映像化したのには彼なりの歴史的体験があったのである。

 この映画は実に見応えのある作品だった。なんと言っても、マクマーフィ演ずるジャック・ニコルソンの演技が冴えて、光っていた。その恐るべき個性と並外れた演技力にきっと君たちも魅了されるに違いない。そりゃあ、ニコルソンに惚れるなと言うほうが無理な注文というものだ、と言いたいほどだ。ちなみに、ジャック・ニコルソンはこの作品で、アカデミー主演男優賞を受賞している。

松本清聴の映画講座6 「グリーン・ブック」

 この作品は、ニューヨークの下町ブロンクスで生まれ育った一人のイタリア系アメリカ人の物語である。「おじさん二人の物語」と銘打ったキャンペーンが張られた作品だというのに、敢えて<一人の>と言ったのは、映画の全体が一貫して彼の眼を通した形で描かれているからである。
 その主人公トニー・バレロンガは、マフィア世界で稼いだこともあるという点を除けば、さしてこれといった特徴を持った男ではない。イタリア系にしては少々体格が良くて、喧嘩にはめっぽう強いらしいということくらいしか解らない。どうやら、その熱しやすい性格が徒となって、せっかく勤めた清掃車の運転手という堅気の仕事も棒に振ったようだ。そしてまた、いまや高級クラブ「コパカバーナ」の用心棒兼お偉方の運転手をしている。
 大金持の紳士淑女たちに混じってマフィアなどのイカガワシイ連中がところ狭しと詰めかけたホールで、突然、男たちが暴力沙汰を起こして、場内の空気をぶち壊しかねない騒ぎとなった。あれ、どうなるのだろうかと目を凝らそうとする間もなく、体格のいい男たちが忽然とホールの脇から飛び出して、騒動を引き起こした輩を力づくで押さえ込み、そのうちの一人の男が血気盛んな若者をクラブの外に連れ出して半殺しにしかねないほど拳で殴りつけてしまった。
 これが、この作品の主人公の登場である。
 男は激しい暴力を行使することに何の痛痒も感じないほど、一見凶暴に見えたが、彼には美しく愛らしい妻と二人の可愛い子供がいる、守るべき家族があった。イタリア人らしく、一族の中では家族思いで、そのシーンが現れると、どうしてこの男があんな暴力を揮うのか、不思議に思えるほどだった。おそらく、清掃車の運転手に一度はなったのも、そうした家族のために選んだ堅気の道だったのかも知れない、と僕は勝手に想像していた。
 その「コパカバーナ」が改装のため、しばらく店を閉鎖することになった。そんな訳で、凄みの効いた彼の仕事もしばらくはお払い箱となってしまった。
 どいう訳か、彼はマフィアの仲間が進める仕事も断って、何か別の仕事を待っているかのようでもあったが、そう簡単にいい勤めが見つかるものではない。そんな彼に付き人として用心棒と運転手を兼ねた仕事の話が舞い込んで来る。何と、カーネギーホールの上階に住む黒人の天才ピアニストからの依頼だった。
 まあ、世間並みの白人そのものの彼は、黒人に対して少々偏見を懐いてはいたが、それは白人主義の面を被った人種差別意識というほど強いものではなかった。その話にも特に嫌悪を懐くこともなく、俺の条件を呑んでくれるのなら、その仕事を引き受けてもいいと言う。ただし、これには、もう一つ難点があった。それはアメリカ中西部と南部を興行でめぐる長旅となる上、クリスマス・イブの日までそれを続けなくてはいけないということだった。家族とはしばらく離れ離れになるだけでなく、大事な<ブォン・ナターレ>(クリスマス・イブ)にも不在となるかも知れないのだ。男は、何がなんでもイブの夜にはここに戻ってくると言い放って仕事を受けることにしたのである。

 実は、黒人ピアニストのドクター・シャーリーには、腕っぷしが強く、運転歴の長い男を必要とする理由があった。
 シャーリーはすでにピアニストとして成功しており、上流階級の仲間入りまで果たしていた。アメリカ東部や北部、あるいは比較的リベラルな西海岸であれば、十分に高額の報酬を受けることも当たり前だった。
 その男が、チェロとベースとピアノのトリオ・コンサートを、敢えて、さして高くもないギャラで、2カ月の長旅までして南部で実演しようと決めたのには訳があった。東部では白人社会にも受け入れられ、余分な摩擦を避けようとして、彼等に媚びてまでして上流社会に止まろうとする自分の姿に彼はある種の嫌悪を感じていた。黒人であるにも関わらず、名誉と富を一通り手に入れた彼は、単なる才能だけではなく、自分には人間として堂々と生きてゆく<勇気>が果たしてあるのかどうか、それを知りたかったのである。そこで、彼は不安がいっぱいの南部への旅たちを敢行することに決めたのだ。そして、それが、差別と暴力に満ちたコンサート・ツアーを乗り切るために、イザとなれば自分を守り、トラブルをうまく捌くことのできる、一人のタフな男を必要とする事情だった。
 そんなことは何も知らない少々粗野であるが情には厚い一人の男と、無事に演奏ツアーを終えることができるのか人生を賭けて挑む寡黙なもう一人の男との、二人の旅がスタートする。
 下町で身に着けたスラングを使うトニーと、上流階級と同じ言語を放つシャーリーとはまるで住んでいる世界が違い過ぎるほど違うものだった。このため、二人が共通の感情を懐くことさえ無理なことのように見えた。
 その上、この旅は、もう一つの事情によって決して愉快なものではなかった。
 ある街では、黒人は郊外の粗末なモーテルのようなところにしか泊まれない。だが、白人のトニーはちゃんと普通のホテルに宿をとれるのである。また、シャーリーが化粧室を求めると、黒人はホテルの外にある粗末なトイレしか使用できないとされるのである。バーでは白人の危険な暴力を受ける場面があったが、そこでは夜間は黒人の外出禁止という白人たちが勝手に作ったルール違反が問題とされたのであった。
 この映画のタイトル「グリーン・ブック」とは、そうした黒人が旅をする際にどこで、どのホテルを利用できるか、当地では何が禁止されているか、トイレや飲み屋まで白人用と黒人用に分かれていることなどを記したガイドブックのことである。1962年の時代になっても、そうした人種差別がデモクラシーの国アメリカの州や町で続いていたのである。
 実を言うと、音楽にさして詳しくもない僕は、上流階級の言語を巧みに操り、笑顔も見せない天才ピアニストのシャーリーをあまり好きになれないまま、その二人の旅を眺めていた。主人公のトニーも好感を持つには平凡で退屈な男に見えた。それが、とある南部の州の豪邸で演奏するトリオ・コンサートの場面で、煙草を口に咥えながら、窓の外から眺めていたトニーがシャーリーの奏でるピアノに思わず惹き込まれていくところから様相が変わっていくのである。
 そして、シャーリーが酔っ払った勢いで地元のバーに飛び込んでしまったことから白人たちの恐怖の暴力に遭う場面で、必死の覚悟で彼を救い出す。やがて、トニーはいつしかこの孤独な天才を自ら守ろうと思うようになり、南部の陰湿な差別を憎むようにさえなってゆく。いや、それだけでない。トニーは、後部座席にシャーリーを乗せたリムジンを走らせながら、辺りの緑豊かな草原や田畑を美しい光景をとして眺めるまでになっていくのである。

 そんなトニーが遂に爆発するシーンがやってくる。
 冷たい雨が降りしきる真夜中に、道に迷って、おずおずと車を走行させていた時だった。すぐ後ろからパトカーがついて来て、いきなりトニーの運転する車を止めた。そして免許証を出せと迫ったばかりか、大粒の雨の中を車の外に出ろと言い出した。そして中を覗いて後部座席に黒人がいることを知るや、彼にまで外に出ろと威嚇した。若い方の警官は一瞬躊躇するものの年上の方が強引にシャーリーを引きずり出せと迫ったのである。もう、トニーの堪忍袋が切れるのは時間の問題だった。怒り狂った彼はいきなり警官を一発の拳で殴り倒してしまった。もちろん、二人とも町の拘置所に収監されるのであるが、観ている僕たちは、トニーの中に単なる暴力ではなく、何か人間を想う温かいもの、その正義感にも似た熱情を感じるのである。
 いよいよ、この荒んだコンサート・ツアーの最後の日がやってきた。今夜は、クリスマス・イブの華やかな演奏会だ。だが、ここで、再び「事件」が起こる。
 ここは、あの悪名高い黒人差別の州、アラバマ州バーミンガムの豪奢な屋敷だ。金満家たちの為にする音楽夜会に招かれたシャーリーたちが1人の執事に迎えられてその豪邸内に案内される。だが、シャーリーだけは、粗末な納戸のような狭い部屋に連れていかれ、「ここが、あなたの控え室だ」と指示される。思わず怒りを露わにするトニー。それでも、シャーリーはいつもの通り冷静なままだった。
 そして、シャーリーがトイレを尋ねてそこに向かおうとした時、その執事の男がいきなり、「あなたのトイレはあっちだ」と屋敷の外におかれた黒人専用の場所を指さしたのである。今度は、さすがのシャーリーも、それにどう反応してよいのか、途惑いを見せた。とうとう、屋敷の主と思われる人物も現れて、これが決まりだと言い出した時には、トニーとシャーリーの二人は、ここで遂に、「それが認められないのなら、コンサートには出ない」と言い出してしまったのである。慌てふためく彼らを振り切り、堂々とそこを飛び出そうとする二人の姿に、僕は思わず拍手を送ったものだった。

 最後のコンサート地点から東部のニューヨークまでどれほどの距離があるのだろうか。シャーリーを乗せて、その長い路をトニーは雪が積もって思うように先に進まない車を溜まり溜まった疲れと共に運行し続ける。だが、それももはや限界だ。疲労困憊のトニーはここでちょっとした弱音を吐く。家に辿り着けなくとも構わないから、どこかで休みたいと言い出したのである。
 場面は一転し、ネオンが輝くニューヨークの街中で停車する一台の車が現れる。後部座席でぐったりした格好で眠り込んでいるトニー。そして、運転席から降りたばかりのシャーリーが大声で彼を起こすシーンが映し出される。今度は、ピアニストが用心棒を助けて、何とかイブの夜にトニーを家族に送り届けたのである。

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車の中のトニーとシャーリー

 この作品には、存外、「ホッと」する場面が少ない。それもそのはず、いつ、どこで、暴力や理不尽な差別が襲いかかるかも判らない長旅のことだ。そんな穏やかなシーンは最初から望めないのだ。それでも、僕は二つのシーンで救われた気分になった。
 アラバマ州からの帰り道、黒人だけのライブハウスで、ステージに置かれたピアノを弾いて、一瞬彼らのヒーローになったシャーリーが、いつのまにか黒人たちの輪の中で軽快なセッションを演じている。ロシアの音楽学校で正統な教育を受けたシャーリーにとって、シナリオのないセッションなんぞ、まるでトニーのスラングのようなものだった。ところが、その彼が笑顔を見せながらスウィングしている。それを見ていたトニーも思わずスウィングして応える。まったく境遇の違う二人が一つになった瞬間である。それを観ている僕も、思わず「ホッと」する瞬間だった。
 もう一つは、トニーの妻ドロレスに宛てた手紙の話である。
 コンサートの旅の合間に、束の間の休憩があると、トニーは約束した通り、妻に宛てて手紙を書いていた。その、まるで言わば小学生のような<作文>を覗き込んだシャーリーが詩的情緒をいっぱいに含んだ瀟洒な文章を彼に指南する。場面は変わって、トニーの可愛い妻がその文面に涙をためて読んでいる姿が現れる。この一見どこにもありそうな妻への手紙のエピソードが、僕たちの心を落ち着かせる。ニューヨークでトニーの帰りを待っているドロレスはますます彼を愛おしく思うのである。

 ところで、せっかくクリスマス・イブに間に合って、いまや親族に囲まれて一家団欒の席に居るというのに、トニーの表情が冴えない。1人でカーネギーホールの上階に戻ったシャーリーも寡黙なままに孤独に取り囲まれている。心に中に、何か大きな穴が開いたような、そんな気持ちに襲われているのだ。しかも、あの二人の男が同時にそれを感じている! 
 そして、そのラストで、場面が再び動き出す。意気消沈した表情のトニーの家にシャーリーが笑顔とともにワインボトルを持って訪ねて来たのだ。思わず喜ぶトニー。その一方で、白人ばかりの家にやって来た突然の黒人訪問客に一同は一瞬ためらいを覗かせる。その時、妻のドロレスがシャーリーの胸に飛び込み、こう優しい言葉をかけるのである。
 「素敵なお手紙を有り難う、シャーリー」
 彼女にはすべて解っていたのである、手紙のことも、旅の二人がうまくやっていたことも。
 むろん、そのシーンを眺めた僕が「ホッと」したことは言うまでもない。いや、何か熱いものがこみ上げてくるのを感じでいたのである。

 新宿は歌舞伎町の映画館を後にして、僕は、深夜の夕食を済ませようと、ネオンが彩る明るい通りを進んで、以前しばしば立ち寄ったことのある、老舗のカツ屋に飛び込んだ。こんな時間だというのに、中は客でいっぱいだった。レジを任せられた中年の男が、椅子席に座った僕の前にやって来て、小さな声で「お久しぶりですね」と声をかけて来た。すぐ隣のテーブルでは、中国語を話す若者が3人、何やらしきりに叫んでいた。
 注文の食事が出てくる間、僕は映画館で手に入れたパンフレットを拡げて、作品の中心人物、トニー・バレロンガを演じた男優ヴィゴ・モーテセンの顔がアップになった写真を眺めていた。それは、あの粗野なトニーの顔ではなく、どことなく翳を思わせる物静かな顔立ちだった。そのすぐ横には「1958年、アメリカ、ニューヨーク州生まれ。父はデンマーク人。母はアメリカ人」と記されていた。彼はイタリア系アメリカ人ではなかったのだ。それにしても、あの風貌とスラングとで、この男は見事にイタ公役を演じたものだと、改めて感じていた。
 食事も終わり、再びネオンが輝く通りを抜けて、僕は近くのホテルに戻る途中、辺りのことをすっかり忘れて、ここがニューヨークのクリスマス・イブの夜のように思っていた。トニーがどこかで待っているような気がしたのである。

小さな声でー恩師との再会

平成も30年目になる2018年正月の4日、僕は、札幌駅から「スーパーとかち3号」に乗り込んでいた。千歳空港駅の1つ手前の南千歳駅からは、空港に向かう列車、苫小牧や道南の函館に向う列車、そして道東の帯広・釧路へ向かう列車が三つに分岐してゆく。僕を乗せた列車は、そこから南夕張-追分-占冠-トマムを経て長いトンネルを走り抜けていった。
どこまで進んでも辺りは一面の雪景色で埋め尽くされている。枝だけになった裸の木々の向こうに蒼色に染まった針葉樹が整然と並び、その奥には冬の厳しさにじっと耐えている小高い山並みが浮かんで見えた。風もなく、穏やかな陽の光がキラキラと輝いている。次のトンネルを抜けるとそこはもう十勝平野である。

十勝の中心都市・帯広は、ちょうどアメリカ合衆国内陸部の各州の州都が地理的に真中の位置に置かれているように、広大な十勝平野のど真ん中に位置している。その帯広へと鉄路を急ぐ列車が、徐々にスピードを落とし、車内にアナウンスが流れた。

「まもなく、芽室です。停車の時間が短いので、お降りになる方は早めの備えをして下さい。棚に乗せたお荷物をお忘れないようご注意下さい。」

柔らかな男の声が流れたところで、僕は広げていた本を閉じて小さなショルダーバッグに仕舞い込んだ。棚からオーバージャケットを取り出し、手土産の紙袋を下に降ろした。列車が静かに停車する。
家族連れと思われる一行の後に続いて、プラットフォームに降りてみると、外は存外寒くはなく、冬の季節にしては穏やかな空気が全身を包んだ。僕はいま、母校のある郷里の駅前に出て、胸いっぱいにその空気を吸い込んでみた。すっかり様変わりした街並みに幾分の戸惑いを感じながら、目的地に向かう前に、僕は懐かしさを探すようにして、記憶の誘いに任せて通りを進んだ。
歩きながら、確かこの辺には、金物屋の武藤君がいたところだ、あれは高田呉服店があったところだ、文具と書籍の岩田ライオン堂もそこにあったはずだと、僕の中の記憶がソワソワし始めた。ふと、「コーヒー」の看板を提げた店をみつけて中に入った。
中に入ると、大きなテーブルの上で雑誌を広げていた中年の女性が突然の客に驚いたような仕草を見せながら、奥の厨房へと下がっていた。僕のほかに客はいなかったのである。
がらんとした広い喫茶の中で、僕は昼食の時間であることを思い起こして、チャーハンとコーヒーを注文し、上着のポケットから煙草を取り出した。

 

「M先生は、たしか芽室町の老人介護施設に入所しているはずだわ。」

久しぶりの高校同窓会の席で隣り合ったAさんが言った。

「じゃあ、先生の居所がわかるのですか?」

「ええ、でも、会いに行っても仕方がないわ、きっと。M先生はすでに痴ほう症にかかっていて、訪ねて行っても誰だかわからないって、友人が言っていましたたから。」

それを聞いた僕は、一瞬、もう何年も音信不通のままに過して来た自分を責める気分に襲われていた。でも、咄嗟に別の言葉を発して応じた。

「いや、わからなくてもいいよ、とにかくお会いできるうちに会っておかないと後で後悔することになるだろうから、場所を教えてくれたら必ず訪ねて行くつもりだよ。それに……」

「わかるわよ。その介護施設は私たちの同級生のNさんが経営しているところですもの。」

クラスの中でもしっかり者だったAさんが明るい声で言った。
N氏は町の中心街で銭湯屋を営んでいた家の長男だった。その彼が、今では老人介護施設の経営で町の名士になっているという。

「なんだ、N君のところにお世話になっているのかい。なら、大丈夫だ。彼とも連絡をとって訪ねて行くことにするよ。それに、仮に先生がまったく僕のことを思い出さなくても、奥様には会えるかもしれないだろし。」

そう言って、僕はいつものように元気な声を出して応えた。

年が明けて、いよいよ先生のいる芽室町へ向かうことに決めた時、僕は予め確認していたN氏の携帯に連絡をとった。

「おめでとうございます。同窓会メンバーの幸田です。新年早々にいきなり電話して申し訳ありませんね。実は、中学時代の担任だったM先生があなたの経営する施設に入っておられると伺ったものですから、明日にも訪ねて行こうと思っているのですが。」

「ああ、その通りだよ。明日は、俺は出かけているかもしれないが、施設の方にはちゃんと伝えておくので、そのまま向かってくれればいいようにしておきますよ。でもね、先生にお会いになっても、君のことがわからないと思いますよ。お正月休みだというのに、わざわざ無理に向かわなくても…」

「ええ、そのことも承知しています。お会いできるだけもいいんです。それに、奥様にもお会いできればと…」

「いや、奥さんはすでに亡くなられています。」

「え、奥様は亡くなっているんですか?」

僕は、恰幅のよいN君の姿を想像しながら、その報せに困惑していた。
人間の一生なんて、実に身近いものだ。東京で単身生活をしている間に、僕は恩師や奥様に対する感謝の言葉を伝えることもなく、時を過ごしてしまったのだ。僕は、「やっぱり明日は、是が非でも先生のところに行こう」と強く胸の中でつぶやいていた。

 

食事を済ませて一服しつつ、お店の人に道を尋ねた。

「老人ホームの曙園へ知人に会いに向かうところなんですが、たしか、ここから歩いてゆける場所ですよね。」

「そうね、駅前の大通りをまっすぐ北に進んで、四つ目の角に郵便局がありますから、そこを西の方へ曲って下さい。しばらく進むと小さな坂を下ったところにありますので。」

「助かります。おかげで迷わずに行けそうです。また、チャーハン、とてもおいしゅうございました。有り難うございます。」

そう言って、僕はその喫茶を後にした。

外は相変わらず穏やかで、通りには陽が射していた。それでも人影が少ない歩道を一人歩いていると、だんだん身体が冷えて来るのが分った。積もったまま凍てついた雪の道を進むと、足元で靴音がキュッキュッと鳴った。広い真っ白な通りを赤い小さな車が先を急ぐようにして走りぬけて行った。
かつてこの町には珍しい酒造蔵があった辺りに、酒屋さんの看板が見えた。四角い建物の郵便局は、大通りを挟んでその反対側にあった。
通りを挟んで郵便局の前を過ぎたところで、西に向って道を進んだ。この通りは、僕がまだ子供の頃、母や姉たちと一緒に住んでいた小さな家があった道だった。その遠い記憶と共に僕は、一歩一歩足元確かめるようにして歩いた。しかし、すでに当時の面影を感じさせるものは殆どなく、まるで初めて通るような気分に襲われていった。道は、どこまでも真っ白である。
やがて、なだらかな勾配の坂道にさしかかった。ここを下れば、もうすぐ曙園があるはずだ。札幌から持ってきたお土産の紙袋を下げていた手がすっかり冷たくなっていた。僕は少し歩を速めて歩き出していた。

木造二階建ての瀟洒な佇まいのその老人ホームの正面に立って、僕は軽く深呼吸をしてみた。冷たい空気が胸の中にいっぱい入って、僕の心をきゅっと締めつけてきた。そして、それが何故か、これから始まる密かな出逢いの予兆であるかのように感じた。

ガラス越しに中を覗くようにしてドアを開けると、落ち着いた風情の女が顔を出した。

「あのう、この施設の経営者のNさんと同級生の幸田といいます。今日は、中学校の時代の恩師であるM先生を訪ねてまいりました。」

 僕が挨拶を兼ねてそう言うと、女はすかさず応えて言った。

「お待ちしておりましたわ。主人からお話を伺っておりましたの。」

N氏の妻だというその女性は、「主人は今日は外回りで不在であること」を予定通りに来客に伝えると、そのまま先に進んでエレベーターで2階へ誘導し、静かな廊下の奥の方へと案内してくれた。そして、その一番奥の部屋のひとつ手前のところで立ち止まり、ここがM先生の部屋だと言った。

僕は彼女の背中の後について中に入った。

「M先生、お客さんですよ。」

女は、ベッドの上に横になっていた男にひと際明るい声をかけた。
男は眠り込んでいたというより、微睡みに浸っていたかのような眼をこちらに向けて、いきなり闖入してきた二人を眺め返した。
今度は僕が前に出た。

「先生、M先生。僕です。中学校時代にお世話になった幸田です。幸田修です。」

女が続けて声をかけた。

「Mさん、わかりますか? 幸田さんですよ。」

男は、温和な表情でこちらを眺めながら、こくりと頷いた。

「さあ、起きて頂戴。寝てばっかりじゃダメですよ。それにお客さんが来たのだから、ちゃんと起きないといけませんわ。」

そう女が言うと、先生はゆっくり体を起こし、ベッドの横に脚をぶら下げるようにして座り込んだ。
僕がまた大きな声で言った。

「M先生、幸田です。わかりますか?」

男は、ニコリと僅かに微笑んで、再びこっくりと頷いた。

狭い部屋の壁には、おそらく先生の教え子たちが描いたものであろうと思われる、絵入りの寄せ書きが飾られていた。ベッドのすぐ手前のキャスター付きワゴンの上にはポットと湯飲み茶わんとグラスのほかにお菓子袋などが並べられていた。その向こうの壁側に、奥様の肖像を撮った小さな写真が据えられていた。
まもなく女が部屋を去っていたので、僕と先生の2人きりとなった。

「先生、教え子たちがお見舞いに来てくれるんですね。よく訪ねてくるんですか?」

男は、またニコリとしながら頷いた。

もうすっかり痩せているので、その分顔の皺も目立つものとなっているが、あの若い頃の熱血先生の面影が蘇ってきた。その目が驚くほど透明に澄んで見えた。あの頃の先生は、体形は小柄だったものの、なかなかの美形で、ちょうと俳優の水谷豊の鼻を少し高くしたような顔立ちだった。中学時代の僕は、その先生の表情がとても好きだった。

この部屋に入ってからずっと、先生が一言も音声を発していないことに気づいた。
それでも、とにかく僕は先生にいつもより大きな声をかけて、二人の「対話」が成立しているかのようにして語り続けていた。

「先生は、出された食べ物は何でもちゃんと食べているのですか? 好き嫌いはありませんか?」

先生は黙ったまま頷いた。
ふと、札幌のデパートで手に入れたお土産のことを思い出し、先生に声をかけた。

「先生は甘いものが好きですか?」

今度は、「ウン」という表情を浮かべたような気がしたので、僕は持ってきた紙袋の中から餡の入ったお菓子を取り出し、先生の細い手にそっと握らせた。すると、先生はそれを両手で持ち直して、いかにも美味しそうにして口に運んだ。僕は、そうした先生の横顔をじっと見つめていたが、そこでやっと先生と親しい会話ができたような気分に襲われた。

そうしている間に、僕は次のセリフを考え込んでいた。
やはり、奥様のことを訊いてみよう。先生が嫌がるかもしれないけど、ここに来た以上、そのことを直接触れずに済ませるわけにゆかないような気がしたのである。
僕は思い切って尋ねてみた。

「先生、M先生、奥様は亡くなられたんですって?」

一瞬、先生の手が止まった。そして少し間を置いた後、先生は正面の壁を見つめたまま、その首を横に振った。先ほどまで、ひたすらこくりと頷いていた先生が初めて、それを認めようとしなかったのである。
今度は、僕が黙っていた。
部屋の奥に誂えられた小さな窓の向こうにキラキラ輝く陽が力なく注いでいるのが見えた。

先生はそのまま何事もなかったかのようにして甘いお菓子を食べ続けていた。
僕は話題を変えようと思い、お菓子を食べ終わるのを待って、少々陽気な声で言葉をかけた。

「M先生、先生は、時々、外を散歩することがああるのですか?」

先生は黙ったままじっとしていたが、僕の方に顔を向け、困ったような表情を見せたので、僕はすかさず付け加えて言った。

「先生、廊下を歩きませんか? 寝てばかりじゃ身体によくないし、せめて廊下を一緒にあるきましょうよ。」

先生は、ベッドから脚を下ろし、スリッパをはき始めた。そして、少し先を行く僕の後をついて静かに歩き出した。廊下の灯りは弱弱しく、物音一つ聞こえない静けさに包まれていたので、突然、二人きりの世界に入り込んでしまったかのような気がした。
背がずいぶん小さくなったように見えたが、思ったより、先生の足取りはしっかりしていた。僕たちはテレビのある明るい広い部屋、この施設の「居間」と思われるところに辿り着いた。
大きな四角いテーブルに隣り合って椅子に腰をかけ、先生の小さな手を握りながら先生に向って言った。

「先生、先生はこうやってテレビを見にやってくることもあるんですか?」

でも、何故か先生はしきりに僕を珍しそうに眺めるだけで応えようともしなかった。それでも、それが彼にとってこの瞬間を楽しんでいることだけは判った。というのも、僕の顔をしきりに眺めながら、ニコニコと笑顔を向けていたからである。僕は再びその先生の透き通った瞳を覗き見ていた。

結局、最後まで先生は音声を発しなかった。

先ほどの女がその居間に現れたところで、僕は一度先生の個室に荷物をとりに行き、その場に戻って先生に別れを告げた。

「先生、今日は有り難う。お会いできてよかったです。また、来ますからそれまでお

元気でいて下さいね。」

そう言い終わるや否や、先生はまた大きくニコリを笑みを浮かべた。
女が言った。

「M先生、この人誰? わかりますか?」

むろん、先生は一言も発しないままだった。

…………………
和服姿のM先生がテーブルの向こうのソファーに座りながら言った。

「うちのカミさんが、いまでも君のことをまるで弟のように心配して、時々思い出したように、君のことを聞いて来る。<あの子、いまどうしているかしら?>って言うんだ。」

僕は先生の後ろの方で膝をつきながらこちらに顔を向けている奥様に向って、幾分萎縮しつつ応えた。

「先生の奥様にそんな心配をさせているなんて、何といったらよいのか…」

奥様が何か言おうとしたが、それを待たずに先生が言葉を繋いだ。

「だって、初めて俺の家に来た時、最初の挨拶以外、君は一言も言葉を発せず、せっかくだから夕飯を食べていきなさいとすすめたのに、箸にも手を付けずに帰っていったのだから、よほど印象が深かったんだな。ま、その頃の君は、いまで言えば、自閉症児のようなものだったよ。」

あの頃の僕は人前でしゃべるということにある種の強い恐怖を抱いていた。一同の視線が僕に向って来ることを極度に恐れていたのだった。だから、人に道を尋ねられた時とか、お店で買い物をする時のように、必要に迫られた時以外は、自ら他人に音声を発することもなかったのである。

そんなある日の午後、平塚君と近くの川べりで遊んだ後、彼が突然こう言い出したのだった。

「おい、幸田、これから先生の家に行くぞ。もう遅いし、そろそろ暗くなってきたけど、今のうちに向えば大丈夫だ。」

「え? 先生の家に?」

それが隣のクラスの担任の先生のことだと気づくまでに一瞬の間があったが、どうやら平塚君はしばしばその家に足を運んでいた様子だった。
仲良しの友達を除いて会話をすることもなかった僕は、それまで先生のお宅に訪ねるということは全くなかった。ましてや、予定もなく、いきなり訪ねていくなんて、とうてい考えられないことだった。

「でも、その先生、僕の担任じゃないし、それに知らない人の家に行くなんて僕にはできないよ。」

「構いやしないよ。先生はいつでも歓迎だと言ってくれてるんだ。」

僕は川の浅瀬に石の囲いで作っていたビニール袋の水槽から小さな魚を放して、黙っていた。

「おい、行くぞ。幸田。」

平塚君は膝まで濡れていたズボンの裾をまくりながら裸足のまま靴を履いて歩き出した。その後を追うようにして、僕も濡れた靴下を脱いで靴を履き、小走りに先を急いだ。あたりはもう薄く夜の影が覆い始めていた。遠くで山鳩が鳴く声が聞こえた。

先生の家は、街の南側の公営住宅の中にあった。
平塚君がドアの横のブザーを押すと、中から男の人がドア越しに顔を出した。M先生である。

「おう、よく来たな。平塚。」

先生は嬉しそうな声で言いつつ、初めてみかける僕の方にちらりと目を向けた。

「幸田です。一緒について来ました。」

僕はぺこりと頭を挙げてお辞儀しながら小さな声で言った。
家の中は思ったよりも狭い造りだった。居間の真中に大きな丸テーブルがおいてあり、テレビを背にソファーが置かれていたので、それだけで部屋が余計狭く感じられた。僕と平塚君は差し出された座布団の上で正座して坐り、先生にもう一度挨拶をした。
台所から先生の奥様が顔を出し、冷たいジュースを運んできて、声をかけてきた。

「あら、それじゃ足がしびれるわよ。胡坐でもかいてもっと楽にしなさい。」

その声に、僕は胡坐に姿勢を変え、平塚君は足を前に伸ばした。
その時、どんな会話をしたのか、今となってはよく覚えていない。ただ、先生が職員室での人間関係や教室でのトラブルなどについて、あるいは問題児ことばかりでなく、勉強のよくできる生徒たちのこともいろいろ心配していることを語っていた記憶がある。僕の方は一言もしゃべらず、先生の話に聞き入っていた。明るい性格の平塚君は、先生の奥様と愉快な話をしていた。クラスの友人のこと、クラブ活動に関すること、そして何故か家族の事もしゃべっていた。ベランダのガラス戸の傍の扇風機が音を立て回っていた。

先生が言った。

「俺は、教師の仕事は、でしゃばる奴にはしたいことをやらせて、むしろ目立たない生徒の方を励ますことにあると思っている。そんな子らは、何か一つのきっかけがあるだけで、自信を持つようになり、自分の力で頑張るようになるんだ。」

いまから考えると、先生はまだ若かったのだ。僕と12,3歳ほど年上ということだから、当時は26,7歳の<若造>だったはずである。おそらく新婚さんになったばかりで、まだまだ情熱を持って教師の仕事に挑んでいた頃だったのだろう。先生の声には熱がこもっていた。

時計の針が7時を指そうとなった頃、先生はテレビのスイッチを入れながら言った。

「もう夕飯の時間だ。何もたいしたものは出せないが、晩御飯を食べていったらいい。」

そう言い終わるや、傍にいた奥様に食事の用意をするよう声をかけた。
僕は先生の家にお邪魔するだけでも恐縮していたので、夕飯までお世話になるとは思ってもいなかった。平塚君に「もう、引き上げようよ」と言ったが、彼は帰る様子をみせなかった。
先生の話では、クラスの生徒たちがよくこの家に遊びに来るとのことで、連中の中にはわざわざ晩御飯をめがけて訪れるやつもいるとのことだった。洗濯ものをまとめて持ってくるやつもいると言った。奥様の手捌きも馴れたものだった。けれども、運び出され食事の前で、僕はますます萎縮し、全身が固くなっていくばかりだった。僕はその後も差し出されたものに箸をつけることもなく、ひたすら先生の言葉にじっと耳を傾けていた。

その翌年、M先生は僕のクラスの担任になった。
先生は、何事にも自信がなく、人前で音声を発することもなかった僕の様子をいつも見届けていたのであろう、ある日、校舎の廊下の端を歩いていると、そっと僕の傍に寄ってきて、こう囁いた。

「幸田君、先生はいつもキミの味方だからな。」

以来、先生はしばしば廊下で、誰にも聞こえない小さな声で、この言葉を繰り返した。そして、この小さな声が僕に確かな勇気を与えた。
やがて僕は人前で声を発し、自分の意見を言い、いつしか勉強にも精を出すようになった。それらはすべて先生の期待に応えられる人間になりたいとの熱望にもなっていった。たった一つの言葉が、それほどに僕に大きな影響をもたらしたのである。

 

それから十数年の歳月が流れていた。
和服姿の先生は、あの頃とさして変わった様子もなかったが、すでに教員を辞めて室蘭で教育主事の仕事をしていた。
僕も32歳になっていて、子どもが二人いる大人になっていた。

「先生は、どうして教師をお辞めになったのですか?」

僕の言葉に先生はこう応えた。

「教師を続ける自信が無くなったんだよ、幸田君。実は、教師生活を送っているうちに生徒をよく理解できないことが続いて少々道に迷っていた頃だった。俺の教室でホームルームを開いている時のことだ。クラスで一番勉強のできる子が突然立ち上がって、こんなことを言い出した。<このクラスに給食費も払っていないのに、のうのうと食事を食べている奴がいる>と。実は、給食費を払えない生徒というのは、両親が亡くなって親戚の叔母さん夫婦に預けられた貧しい家の子だった。それをやつは「告発」したんだ。しかも、彼はこう言ったんだ。それが認められることかどうか、ここで採決しようと。俺は頭に血がのぼって想わず大声だ彼を叱りつけた。そうしたら、今度は父兄からクレームが来たんだ。」

先生はその見栄えのする顔をゆがめながら苦しそうにして語り出していた。

「でも…。」

と、僕は言った。

「それでも、先生は止めるべきじゃなかったと思う。そんな時こそ、先生のような人が必要なんであって、そこで教師をやめったら、一体誰がその貧しい子の立場になって応援するんだろう。」

そう言った後で、僕は付け加えた。

「すみません。事情もよく知らないまま勝手な意見を言ってしまって。でも、僕自身がM先生に勇気づけられて自分を変えてきた経験を持っているので、それでついきつい言葉になってしまいました。」

先生は、黙っていた。
奥様も何も言わずじっとしていた。
そして、こんな会話が先生との最後のやり取りとなった。

…………………

別れ際に、僕はもう一度先生の方に向って手を振りながら言った。

「M先生、サヨナラ。また、来ます。」

やはり言葉はなかったが、先生も手を静かに振って応えてくれた。

曙圓を後にして、僕は来た時とは違う別の道を通って歩を進めた。足元でまた靴の下がキュッキュッとなった。突然、空の上から鳥の囀りが聞こえたような気がした。思わず上空を見上げてみた。鳥の姿は見つからなかったが、メガネが大きな露で濡れ、目の回りが急に冷たくなっていった。僕は、それが自分の涙であることにしばらく気づかなかった。

松本清聴の映画講座5 根岸吉太郎監督の『雪に願うこと』

季節はもう春だというのに、温かな陽が差し込むことがない。僕は、仕事帰りの黒い鞄と一緒に、夕暮れ時の繁華街を通り抜けて映画館に飛び込んだ。友人が勧めてくれた作品を想い出して、何の予見も持たずにその作品と出会うことになった。

 

陽が沈む頃なのか、それともこれから一日が始まろうとしているのか、まだ白い雪に覆われたままの大地が少し霞んでみえる。そして、狭い、静かな道を一台のタクシーがゆっくりと移動している。あたりには何もない。映画はこうして始まった。まるで、コーエン兄弟の「ファーゴ」の冒頭シーンのような滑り出しだった。だが、これは奇怪な事件や犯罪が画面を覆うこともなく、坦々と物語が進行していく。

主人公の青年・矢崎学(伊勢谷友介)は、この北の暮らしには似合わない薄手のコートを着込み、冷たい風を感じて身をすくめている。背がすらりと高く、もっと威風堂々としていてもよさそうなものなのに、どこか妙に冴えない。
場面はやがて北海道の輓馬のシーンへと誘い、男臭さが充満している観客の中に現れた主人公がますます不釣り合いに思えてくる。その奇妙なズレがある種の予告であることも僕には感じられた。ほどなく、舞台が北の大地の標本のような十勝平野のど真ん中であることを知らされる。
この作品の主人公は、端正な顔立ちの青年であるが、映画を観た者は、本当の主役は、原作の標題のごとく「輓馬」、つまり体重1トンを軽く超える大きな馬であることを知るに違いない。その太い首を激しく揺らし、必死の形相で、レースの途中に設けられた障碍を乗り越えていく様はまさに圧巻である。僕は、その競技の場面を直接見たことはなかったが、まだ子どもの頃、近くの農場で「あれがバンバだよ」と教えられ、その褐色に輝く巨馬に何か眩しいものを感じたことを覚えている。
静けさに包まれた薄明かりの中で、人間と輓馬が競技の練習をしているシーンはさらに印象深いものだった。冷たい空気中にはき出された馬の白い息とその全身から溢れ出る汗が湯気となって沸き立つ瞬間が映し出されている。その幻想的な迫力に思わず興奮し見入ってしまうのは僕だけではないであろう。

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矢崎学は、東京からやってきたばかりだった。荷物一つもっていないところをみると、どうやら逃げるようにして兄のいる矢崎厩舎を訪ねてきた様子だ。だが、場面はそのことを特に語らない。兄の威夫(佐藤浩市)は、13年も前に飛び出したまま母に頼り一枚寄こさなかった身勝手な弟を認めようとはしないが、それにはもっと深い訳があった。それでも、学ぶには他に行くところがない。そうした二人の間の深い「不和」がこの舞台を押し上げていく。
「母さんは、何処にいるの?」
と学は訊くが、
「お前には関係ないだろう。」
と威夫は言葉少なに反応するだけで素っ気ない。

どうしたのだろうと少し気になるが、厩舎の中の馬たちの豊かな表情や仲間たちの愉快な会話を見せられるうちに、このスレ違いは片隅に置かれてしまった。
いつもそうであるが、この作品でも映像がゆったりと流れていく中で、ふと「予感」のようなものが胸の中に沸いてくるシーンが訪れる瞬間があった。映画では、それが二度ほどあり、僕の心を昂ぶらせる場面となった。

一つは、もうピークを過ぎて実績の残せない競走馬ウンリュウと矢崎学との出会いの瞬間である。
学は、ひょんなことから、田舎の大金持ちで、欲と馬と女に目がない男(山崎努)に教えられていた。「レースに勝てなくなった馬は九州に売られてつぶされるんだ」と。競技で結果の出せないウンリュウはそうした馬の運命を辿ろうとしていた。せっかく投資してくれた町の有力者もあきらめ顔で手を引いた。ウンリュウは何も知らずに、厩舎の中に放置されている。
偶々、威夫の押し付けで、厩舎特有の臭いにも鼻を歪めかねなかった彼がその馬の世話をやく係となった。そしてやがて、目が大きく、どこか物静かな表情のウンリュウに次第に引かれていく。ウンリュウもいつしか学の顔に長い鼻を寄せて応えるようになっていた。
そんなある日、小学校時代の同級生で、いまは矢崎厩舎で働いているテツオ(加藤浩司)がこんなことを言ったのである。
「ウンリュウが盛んに口をもぐもぐ動かしているだろう。それ、何だか解るかい?」
「まだ何か食べてるんじゃないか。」
「ちがうよ、あれはあんたが好きだっていう仕草だよ。」
これが、大都会からやってきたヨソ者の学にとっての、初めて「和解」が訪れた瞬間だった。学はウンリュウをますます愛おしく思うようになり、やがて馬が再び競走馬として立ち上がる日を夢見るようになる。

もう一つは、厩舎の「お母さん」こと、晴子(小泉今日子)が兄の威夫とジープに乗って町に出かけるシーンである。二人とも、いつもより少しすっきりとした衣装姿になっている。
車のシートに乗り込んだ春子が言った。
「ねぇ、誘わなくていいの?」
運転席の威夫は不機嫌に応えた。
「ほっとけ、あんなやつ。」
一瞬、二人のあいだに沈黙が訪れた。ジープはゆっくりと前に進み出した。厩舎の裏口で、男たちが枯れ草の山で戯れているのが見えた。むろん、その中にテツオや学もいる。そのすぐ横を通り抜けようとしたとき、ジープが突如停止する。
「呼んでこいよ。」
威夫の言葉に、春子はあたかも褒美でももらったかのような笑顔を見せて、車の外に飛び出した。

残雪が土の道路を濡らしている。その泥だらけの道を抜けて、春子と学と威夫を乗せた車が軽快に走り出した。その行き先がどこか、まだそのシーンが現れる前に感じて、僕の胸は一気に熱くなった。

ひとりの若者が夢を抱いて大都会・東京に出て行った。田舎者であることでバカにされまいと、人前で自分を大きく見せながら、背伸びして暮らしてきた。彼は彼なりに一生懸命だったのだ。だが、ふるさとを省みまいとするその想いが強いほど、家族や母親を忘れている自分に気付かないまま時を過ごしてきた。そしていま、母との13年ぶりの再会を果たそうとしている。

だが、威夫と学の母(草笛光子)は、すでに老人ホームで暮らしていて、その記憶を失い始めていた。やっと訪れることができたとはいうものの、学を迎え入れることも叶わないのだった。

学はすべてを失ったことを知る。ただし、あのウンリュウを除いて。そして、ウンリュウは再びレースへと向かうのだった……。

この映画は、実に粋な作品だった。それは、そこに幾分シリアスなものを覗かせながらも、人間と馬との出会いが人生をもっと輝かしいもの仕立て上げていく、そんなふうに颯爽としたものが心に残る作品だったのである。

20年後―その寂しい風景

カズオ・イシグロノーベル文学賞の発表が行われた時、発表者のスウェーデン・アカデミーのサラ・ダニウス事務局長は、受賞の理由を次のように語ったという。

「感情に強く訴える小説で、世界とつながっているという我々の幻想の下に隠された闇を明るみに出した。」(毎日新聞における「対訳」から)
“who, in novels of great emotional force, has uncovered the abyss beneath our illusory sense of connection with the world”

ヨーロッパ知識人に特有な彼女の難解な言葉が指している意味をどう受け止めたらよいのか、僕には戸惑いしか残らなかった。発表者のサラはまた、直後の記者インテビューに応えて、「ジェーン・オースティンフランツ・カフカを混ぜるとイシグロ氏になる」とも譬えたとのことであるが、この意味も理解は簡単ではなさそうだ。

 

それよりも、青山学院大学の生物学教授の福岡伸一氏の批評「忘れてはならない記憶の物語」(「毎日新聞」2017年10月15日付)の方がはるかに的をついているように僕には読める。その中で福岡氏は、次のようなコメントを行っている。

「イシグロ作品にはディストピア小説、預言小説などと評されることが多いが、私は必ずしもそうは思わない」と断った上で、次のように記している。

「イシグロ作品の通奏低音は『記憶』である。根源的な状況に置かれた誰かであれ、ごく普通に暮らす私であれ、その心を励まし、慰撫し、あるいは乱し、揺るがせるのは、過去の鮮やかで細やかな記憶である。」

「イシグロの小説において、記憶の問題がいかに重要な通奏低音になっているかは彼の長編デビュー作と最新作を読めばわかる。『遠い山なみの光』では、戦後まもない頃の長崎の風景が、まるで小津映画を観るようなきめの細かさで淡々と描かれていく。」

「寡作のイシグロの最新作は『忘れらた巨人』。舞台は中世。鬼や竜が出没する薄暗く、荒涼とした世界。彼は新しい角度から「記憶」の問題に挑んだのだ。個人の記憶ではなく、共同幻想としての集合的な記憶。原題は“The Buried Giant”,埋もれているのは社会的な記憶だ。」

NHKの番組で、イシグロと対談したとき、生物としての人間は絶え間のない合成と分解の流転の中にあり、それゆえ私たちの物資的基盤は確かなものではない、という動的平衡の生命観について私(福岡)が語ると、彼はがぜん興味を示し、だからこそ「記憶は死に対する部分的な勝利である」と言っている(福岡伸一動的平衡ダイアローグ』より)。

僕自身は、イシグロ作品の中でも、『日の名残り』を最も気に入っている。この作品もまた、彼の内面を流れる「記憶」が一つのテーマであるものだが、それもそのはず、主人公スティーブンス氏は、20年前の出来事をまるで昨日のことのように反復し、その20年前をありありと思い描いているのだ。
だが、彼のこの「記憶」は20年という長い年月を一気に飛び越えたもので、彼は最後まで人生が時間とともに大きく変容することに気づかずに時を送っていたことが次第に判明して来る。そして、それがこの主人公に静かではあるが、確かな「悲劇」を呼び寄せることになるのである。

人間とは誠に奇妙な生き物で、おそらく哺乳類の中でも特異な存在であること、それは目の前で推移する「現実」だけではなく、すでに「過去」となった出来事をも生涯抱き続けて生きる、誠に滑稽な生命体なのである。
困難に直面すると、すでにこの世に存在しない父親を思い起こして「父さん、俺どうしたらいいんだ」と叫んでみたり、今は亡き母親に向って「母さん、御免なさい」って謝ったり、死に別れた恋人を思っては、再び涙したりする。そして深い切なさに心を覆われることもあるのだ。この「記憶」という名の不在に語りかける、まことに奇妙な生き物が「人間」の、人間的なところでもある。

だが、そうした記憶はマシーンのように正確なものでは決してない。それどころか、自己に強いインプレッションを与えたものだけを取捨選択して長期記憶という名の貯蔵庫に奥深くストックされた「特別な記憶」なのである。

物語の中で、スティーブンスは、二つの記憶に生きている。大戦後になって、すでに陽気なアメリカ人の主人のものとなった邸宅の執事となっているにもかかわらず、あの「品格」を備えた―と彼自身が今でも誇りに想っている―ダーリントン卿の時代の自信に満ちた記憶と、その時代に出会った女中頭ミス・ケントンとの記憶の二つである。
……………………
物語は、1956年7月のダーリントン・ホールでのことから始まる。そして、ミス・ケントンがここを去ったのは、ちょうど20年前の1936年のことだった。
理想の執事となるべく、これまでの生涯をダーリントン卿に捧げて来たことを誇りに思うスティーブンス。だが、その所有が、戦後米国人のファラディ様に移ったあと、僅か4人で、このダーリントン・ホールの仕事をこなさなくてはいけない。あの頃は17人の雇人を抱えていたこともあったのにである。
そして、どのような状況下に置かれようとも彼は水も漏らさぬ完璧な職務計画を立てて事に臨んでいた。だが、次第にこの計画にはあまりにも「余裕」が無さすぎることに気づいて不安に思うようなる。

 「これほど明らかな職務計画の欠陥に、なぜもっと早く気付かなかったのか。(中略)長 い間真剣に考え抜いた事柄には、えてしてこうしたことが起こるものではありますまいか。なんらの偶発的事件に接し、初めて「目からうろこが落ちる」ということが……。」

「この場合が、まさにそうでした。ミス・ケントンの手紙を読み、その長い、抑えた調子の文章の合間に、間違いなくダーリントン・ホールへの郷愁がにじみ、もどりたいという願望―だと私は確信しております―が込められているのを感じなかったら、私は計画を見直さなかったかもしれません。」

「考えれば考えるほど、明らかであるように思えてまいりました。このお屋敷に大きな愛情をもち、今日では捜しそうにも捜せない模範的な職業意識をもつミス・ケントンこそ、ダーリントン・ホールの職務計画を完璧にしてくれる人物ではありますまいか。」

主人公のこの「特別な記憶」が、この物語の序章であり、やがて結末へと結ぶ"灰色の伏線"となって展開してゆく。

新しい雇い主ファラディ様の奨めもあって、スティーブンスはちょっとした旅に出る機会を持った。ドライブのための車は、ファラディ様がお貸になるということなので、あとは旅の費用と新しいスーツを用意すれば何とかなるだろう。

「こうしたことを考える一方で、私は道路地図を調べたり、ジェーン・サイモンズ夫人の『イギリスの驚異』シリーズから、該当するいくつかの巻に眼を通したりもしました。全七巻のこのシリーズは、各巻でイギリス諸島を一地域ずつ取り上げております。これが書かれた1930年代には、国中の家庭で話題になったと聞いております。」

「それに、さよう、1936年にミス・ケントンがコーンウォールに去ったあと、その地方のことをまったく知らなかった私は、よくサイモンズ夫人の第三巻を手に取って、じっと眺め入ったものでした。デボンとコーンウォールの魅力が写真入りで記述され、さまざまな画家の、雰囲気に満ちた風景スケッチなども添えてあって、ミス・ケントンはこういう場所で結婚生活を送っているのかと、多少の感慨に浸ったことも覚えております。」

ところが、彼の生真面目過ぎるほどの「計画」にもかかわらず、新しい主人ファラディ様から、スティーブンスはからかいを受けることになる。

「自動車旅行の目的地になぜ西部地方を選んだのか。理由には、サイモンズ夫人の御本から魅力的な情景描写の1つも拝借しておけばよかったものを、私はうっかり、かつてダーリントン・ホールで女中頭をしていた者がここに住んでいる、と申し上げてしまったのです。」

「私のつもりでは、要するに、お屋敷が現在小さな問題を抱えていること、その理想的な解決策が昔の女中頭に見出せるかもしれないこと、私はその可能性を探りにいきたいこと……、そんなことを申し上げたかったのだと存じます。」

スティーブンスは、思わずミス・ケントンの名前を出してしまったあと、すぐに戸惑いをみせた。それというのも彼女のことは確実なことはなにも知らない自分に気づいたからであるが、その一瞬の<戸惑い>が余計にファラディ様のからかいをもたらす<好機>となった。

「おいおい、スティーブンス。ガールフレンドに会いにいきたい? その年でかい?」

「君がそんな女たらしとは、ついぞ気が付かなかったよ。」

「気を若く保つ秘訣かな?」

穴があったら入り込みたくなるような羞恥心に襲われながらも、スティーブンスは思い直し、自らに言い聞かせるようにして、こう思うことでその解消に努めたのである。

「私にはファラディ様を非難するつもりは少しもありません。決して不親切な方ではなく、ただ、アメリカ的ジョークを楽しんでおられたのだと存じます。アメリカでは、その種のジョークが良好な主従関係のしるしで、親愛の情の表現だとも聞いております。」

かくして、スティーブンは主人から借りたロールスロイスで目的地の西部地方へと旅立つ。この物語は、「ミス・ケントン」が住む町へと向かう自動車の旅の話であり、片道わずか1週間ほどの旅の間に、彼は、周りの景色や街並みに関心を寄せることもほとんどなく、ひたすら「過去」を回想し続けることになる。つまり、それはまた「過去への旅」の物語でもあるのだ。

…………………
二日目の朝、まだ「静寂の中で目覚め」たばかりのスティーブンスは、ミス・ケントンの手紙に書かれていることを反芻している自分に気づく。

「ところで、<ミス・ケントン>という呼び方については、もっと前にご説明しておくべきでした。正しくは<ミセス・ベン>といいます。もう20年前からそうなのですが、私が身近に接していたのは結婚前のミス・ケントンですし、ミセス・ベンになるためにコーンウォールに去ってからは、一度も会ったことはありません。(中略)それに、先日の手紙によりますと、<ミス・ケントン>と呼ぶことが必ずしも不適当ではないかもしれません。と申しますのは、悲しいことに、その結婚生活がいま破綻しかかっていると察せられるのです。」

結婚がこんな破局に至るということは、もちろん悲劇的なことです。中年も相当な年になったいま、なぜこんな孤独でわびしい思いをしなければならないのか……と、その原因となった遠い過去を、この瞬間も、ミス・ケントンは後悔とともに思い返しているのではありますまいか。そのような心境にあるミス・ケントンにとって、ダーリントン・ホールにもどれたらという思いが、大きな支えになっているのは、容易に想像できることです。」

この時スティーブンスが描いている「記憶」が、完全に時制が乱れていることに読者はすぐに気づくであろう。彼自身がその前段で「20年前」のことと断っておきながら、そのおよそ20年前の手紙について想起するときには、「先日の」手紙と記し、またその20年ほどまえの出来事であるにもかかわらず、「いま」破綻しつつある、と綴ることの不自然さに気づかないままである。彼は「事実」としては過去のことであることを認めながらも、「記憶」としてはその20年前を「いま」そのままに生きているのである。

いったい、どうして、このような錯誤が生じてしまったのだあろうか。それは、スティーブンス自身の心の裡に、彼女、つまり<ミス・ケントン>は特別に鮮明な「記憶」となって植え付けられ、しかも、この20年の間にも昨日の出来事のように反復されてきたからなのである。そのことは、先のミス・ケントンに対する想起、「ミス・ケントンの手紙を読み、その長い、抑えた調子の文章の合間に、間違いなくダーリントン・ホールへの郷愁がにじみ、もどりたいという願望―だと私は確信しております―が込められている」や「この瞬間も、ミス・ケントンは後悔とともに思い返しているのではありますまいか。そのような心境にあるミス・ケントンにとって、ダーリントン・ホールにもどれたらという思いが、大きな支えになっているのは、容易に想像できることです」に象徴的に示唆されている。

スティーブンスは執事としての誇りの中には「私情」は不要だと思い込んではいたが、その「私情」の奥底では、ミス・ケントンがこのダーリントン・ホールにいつか戻ることをあたかも無意識の欲望のごとく、20年間も抱き続けてきたのである。
それがいかに強いものであったかは、ミス・ケントンが運んできた花瓶をめぐる些細な出来事を鮮明に覚えていることでも「立証」できよう。

スティーブンスはつぎのように「証言」しているのだ。

―あれは、ミス・ケントンと父がお屋敷に来て間もない、ある朝のことでした。食器室で書類整理をしておりますと、ドアにノックがありました。そして、返事も待たずにミス・ケントンが入ってきましたので、あっけにとられたのを覚えております。ミス・ケントンは、花を生けた大きな花瓶を抱え、にっこり笑ってこう言いました。

「ミスター・スティーブンス、これでお部屋が少しは明るくなりますわ」

「なんのことですか、ミス・ケントン?」

「外はお日さまさがまぶしいほどですのに、この部屋は暗くて、冷たくて、お気の毒ですわ。お花でもあれば、少しはにぎやかになるかと思いまして」

「それはどうもご親切に」

「ここは、お日さまが少しも入りませんのね? 壁もじめじめしているみたいで」
「いや、ただの水蒸気の凝縮です」、そう言って、私はまた帳簿に向いました。

ミス・ケントンは、テーブルの私の前あたりに花瓶を置き、もう一度食器室をぐるりと見回しました。

「お望みなら、もっと切り花を御持ちしますけれど」

「ご親切はありがたいが、ここは娯楽室ではないのですよ、ミス・ケントン。気を散らすようなものは、できるだけ少ないほうがよろしい」

「でも、………」

この微妙な会話の直後、スティーブンスは執事の模範的な生き方をしてきた自分の父を「ウィリアム!」と呼び捨てにすることへの苛立ちを含んだ非難を彼女に浴びせるのである。以降、二人の会話もとげとげしいものになっていく。

二人の関係に隙間が広がっていったのには、それなりの理由があった。ミス・ケントンの「大きな花瓶」は、単に薄暗い、湿った部屋への飾りつけということにとどまらず、彼女のスティーブンスに対するある種の好意だった。にもかわらず、スティーブンスは、相変わらず頑な執事の職業意識のままにそれを断ってしまうのである。だが、彼はその「好意」を受け止めるだけの余裕を持ち合わせてはいなかったものの、ミス・ケントその人に対しては心のうちに「特別の関心」を抱いたのである。だから、20年後の今日でもその些細な出来事を反芻することを止めなかったのであろう。

この物語は、もう一つの筋、執事としての誇りの源であるあったダーリントン卿にまつわる黒い噂、彼がナチスへの協力者であったという事実に関する漠然とした不安とそれを受け入れたくないと必死で思う主人公の姿というストーリーがまとわりついている。彼がラストシーンで海辺の夕暮れに映える桟橋の灯りを眺めながら涙するのはこのためである。それは暗い底へと沈んでゆく記憶への別れの涙でもあった。

だが、彼はもう一つの「記憶」の意味を読み取ることもできない不器用な人間でもあった。
なぜ、遠くコーンウォールの街で結婚すると言ってダーリントン・ホールを去っていたミス・ケントンが、かつての上司であるスティーブンスに、何度も家を飛び出しては彼にそのことを伝え、今の結婚に自分の幸福はないとの手紙を寄せたのかについて最後まで気が回らないまま、うぶな質問を彼女にぶつけている。これはもう救いようのない無頓着である。

カズオ・イシグロは、人は、目の前の移ろい続ける「現実」よりも、自己の中に蓄えられた確かな「記憶」とともに生きる存在であることを小説に仕立て上げた稀有な作家である。その彼が、作品「日の名残り」で繰り広げてみせたのは、そうした「記憶」が壊れゆく時、そこに明確な悲劇が立ち現われること、それほど「記憶」は自己という存在にとって欠くことのできないものであることを表現している。


丸谷才一が、1990年11月に「週刊朝日」のために書いたカズオ・イシグロ日の名残り』の書評がある。丸谷才一木星とシャーベット』の収めるときには「桟橋のあかり」という題をつけていたものである。その評論がカズオ・イシグロ(土屋政雄訳)『日の名残り』の「訳者あとがっき」に続いて「旅の終わり」という標題で再掲されている。さすがに要を得て簡潔だが、明瞭にイシグロ文学の特徴を捉えたものであり、ここに若干抜き書きをして紹介しておきたい。

「物語は整然としてそしてゆるやかに展開して、スティーブンスが信じてゐた執事としての美徳とは、実は彼を恋ひ慕っていた女中頭の恋ごころもわからぬ程度の、人間としての鈍感さにすぎないと判明する。そしてこの残酷な自己省察は、彼が忠誠を献げたダーリントン卿とは、戦後、対独協力者として葬り去られる程度の人物にすぎなかった、といふ認識と重なりあふ。
 これは充分に悲劇的な物語で、現代イギリスの衰へた倫理と風俗に対する洞察の力は恐ろしいばかりだ。これだけ丁寧に歴史とつきあひながら、しかしなまなましくは決してなく社会をとらえる方法は、わたしを驚かす。殊に、登場人物に対する優しいあつかひがすばらしい。イシグロは執事、女中頭、貴族を、ユーモアのこもった筆致で描きながら、しかし彼らの悲劇を物語ってゆく。」

この小説は、最後のシーンを捉えて「日の名残り」と標題されているが、物語全体を貫いているものは、明らかに「20年後」の主人公の何とも形容し難い寂しい風景なのである。