清聴登場

映画・社会・歴史を綴る

明治座公演『ふるあめりかに袖はぬらさじ』

大地真央が舞台の中央で、床にしゃがみ込んだままの姿で、最後の「一人芝居」を見せる。芝居は、いよいよ終幕へと近づいていた。

「あーあ、恐かったぁあー。」

ちょっと前まで啖呵を切っては男たちをきりきり舞いにするほどの元気を見せていた女が、大きな口を開けたまま、いまにも泣き出さんばかりの大声を張り上げた。

その童のように無防備な声に、観客がどっと笑い出す。

お園は、血気盛んな若い侍たちに取り囲まれて恫喝され、今にも切り殺されるか知れないという恐怖を前に顔面蒼白になって震えていた。その侍たちが不敵な笑みを残して立ち去った後も、床にしゃがみ込んだまま立ち上がることもできない。恐怖のあまり腰が抜けて、何度試みても立ち上がることができないのだ。その大きな体をくねらせ這うようにして床の上を移動する。その様子を見て、観客席の僕たちも思わず固唾を呑んで、お園の一挙一動を心配そうにして眺める。  

なのに、お園は、その不様な姿を晒し必死の形相で床を這いながら、手に触れた徳利の酒を次々と飲み干し始めた。そして、何やらしきりに粋がっている。

「畜生! なんだい、へッ、抜き身が怖くて、刺身なんか喰えるかってんだ。」

と言い終わる間にも、お園は徳利の中を覗き込み、空っぽになったそれを逆さにして酒のしずくが落ちないかを確かめている。そのうち、床を這うのが、女が腰を抜かしているせいなのか、酔っぱらっているせいなのか、解らなくなってしまいそうっだった。

…………………

この芝居は、亀遊という名の薄幸なひとりの「おいらん」と、吉原のときから芸者を続けてきたベテランの気丈なお園との物語である。有吉佐和子原作の『ふるあめりかに袖はぬらさじ』を基に、その役に大地真央を初起用しての演出だった。上記は、そのラストシーンで大地真央演じるお園が迫真力満点の演技を見せた場面だった。舞台の上で、1人残されたお園こと大地真央が悲しさと滑稽さを最後まで綯い交ぜにしながら独演するシーンはまさに<圧巻>としか言いようがないものだった。

おそらく、ここに居た観客たちのすべてがそれを覗き見て、大いなる満足に浸ったことであろうと思われた。

そして、 お園は、<本当>と<嘘>が入り混じった現実の世界で、たとえ揺れ動く心の只中にあっても、ただ一人<真実>に見入っていた。終わりの近くで彼女が吐くセリフがそれだった。

「おいらんは、亀遊さんは、淋しくって、悲しくって、心細くって、ひとり死じまったのさ。」

人知れず、世間の目をさけるようにして葬り去られた一人の「おいらん」の死をお園は忘れることができない。ここに生きていたんだ、それもひょっとすると<幸せ>を手にすることもできたかも知れないというのに、亀遊はその手前で自らの命を絶ったんだ、お園はそう叫んでこの芝居を結ぼうとしていた。

この絞り出すようなお園の台詞に触れて、ぼくは思わず身震いした。

そして年甲斐もなく涙を堪えることができなかった。

………………

舞台は華やかな遊郭の世界を色鮮やかなミュージカル仕立てで開演した。幕末の異国人を押し込めるためにわざわざ開発された居留地「横浜」には、異人を専らの顧客すとする遊郭が建ち並んでいた。いまではその勢いは本場吉原を凌ぐほどのものになっていた。その華やかさを演出する工夫がここに立ち現われていた。

原作には見当たらないその明るいシーンにぼくはほんのちょっと違和感のようなものを感じていたが、それがこの芝居の前触れだった。

この後も、例えば、不機嫌になった米国人客イルウスの機嫌を取ろうと、洋風の派手な厚化粧をした女たちが次々と現れては踊り出し、ついには全員でダンスと歌を披露する。何とも奇妙な姿の女たちが醸し出す俄か仕込みの(?)ミュージカルに、観る者たちもいきなり<笑い>の世界へと引きずり込まれてゆく。

大橋某というたいそうな先生を慕う攘夷の志士たちも、男衆五人が出揃ったところで、このミュージカルをやって見せる。そして、まるで幕間のように差し込まれるその歌舞の後に、真に迫る本筋が顔を覗かせては、僕たちをふたたびシリアスな世界へと引き戻すのである。舞台は、こうして<陰>と<陽>、<明>と<暗>のコントラストを描きながら進行していった。

オープニングでいきなり派手な歌舞を見せた直後、場面は一転して暗がりのなかに塞いだ納戸のような小部屋へと転じていった。

お園が、普段着のままで、階段を上って現れる。

「おいらん、具合はどうですか。あら嫌、真っ暗だよ。」

その行燈部屋に、「おいらん」が一人、粗末な布団で寝ている。横浜岩亀楼の看板女郎として売り出すはずだった亀遊である。だが、いまや病で伏せているだけだった。

お園は持ち前の元気な声で、若い女郎たちが行燈を片付けにきたときくらい、外の明かりを入れてくれればいいものをと愚痴を口にしながら、小さな雨戸を開ける。明かりとともに、目の前に横浜港の全貌が広がって見えた。

「いいお天気ですよ、おいらん、ほら、ここから見ると港は本当にいい眺めですよ。……おや、大きな船、こないだまで見かけなかったけど、あれはどこの船かしら。」

お園の言葉に亀遊が半身を起こしながら答える。

「館の白い綺麗な船でしょう。アメリカの船なんですって、おとといの晩が入船だったのよ。」

「おや、おいらん、あれがアメリカの船だなんて、いったいどうして分かったの?」

「それは、あの、それは、ね。」

しどろもどろになる亀遊に、お園はふと何かを感じるが、その場はそのままやり過ごす。

亀遊のところを訪れる若者があった。

横浜岩亀楼の通事として働く藤吉だった。彼は蘭学を勉強し、やがてアメリカに渡って西洋医学を学びたいとの夢を抱いていた。その藤吉が、薬を届けるという口実をもってしばしば亀遊の部屋を訪れていたのである。どおりで、字の読めない亀遊のところに「攘夷党が暴れた」なんぞが書かれた瓦版が置かれていたわけだ。お園は、ふと湧いてきたような艶話の兆しを喜んだ。

亀遊を訪ねて来た藤吉にばったり出会ったお園が、明るい声で言った。

「おいらんを見舞いに来てくれたのかい? 有り難うよ。……おいらんの顔色がよくなった謎がとけたよ。なるほどねえ。」

物静かな藤吉は、バツが悪そうにして言った。

「おかしなことを仰ってはいけませんよ、姐さん。私はおいらんの病気を心配してやってきただけのことですから。」

お園は、自分に隠すことはないよ、大丈夫だから、と二人を安心せる言葉を吐いたあと、こう言うのである。

「けど、お前さん、おいらんが此処で寝てるって一体、誰から聞いたんだい?」

すると藤吉がひょんな事を言う。

「誰って? それは姐さんからですよ。」

実は、10日ばかり前、もうすっかり酒の酔いが回ったお園が、誰に向って言うわけでもなく、「おいらん一人死にかかっていてもハマ(横浜)じゃ誰も見舞いにいかないのかい、不人情な奴らが揃っているよ」とまくし立てていたというのである。

ここには幾つもの伏線が据え置かれている。

先ず、病に気まで沈んでいた亀遊にも<幸せ>がやってくるかも知れないという<希望>の予兆が垣間見える。そもそも、お園が亀遊を「おいらん」と呼ぶのは、江戸の吉原でまだ遊郭では子供扱いしかされない時から身を立てて花魁にまでなった亀遊のすべてを知りつくしているからだった。同じ芸者としてむしろ羨ましくも見えた彼女が借金を抱えたまま、この岩気楼に引き取られた後も、お園は「おいらん」と呼び続けていたのである。その亀遊が惨めな日々を送っているという時に、藤吉という若者の登場で、あたかも一条の光のように<幸せ>が訪れ始めたかと思われる出来事がそこにあった。だが、やがてそれが余計悲劇の色を濃くすることになるのだ。

そしてまた、ここには、世間の<薄情>に憤りをぶつける、お園の人間味、その人情が映し出されている。そんな<非情>があっちゃいけない、たとえ遊女であっても、人それぞれに人生があるんだ、お園はそう言おうとしていたのである。

物語は、米国人客イルウスが岩亀楼に現れたことで急展開する。

当時は、異人を顧客とする遊郭であっても、外国人向けの「唐人口」と日本人向けの「日本口」の二つを区分けして、遊女もそれそれ別の割り当てがなされていた。このうち、前者、つまり異人さんをもっぱら相手にする遊女を「らしゃめん」と呼んで、周囲の女たちから蔑みと嫉妬もつかない特別な目で見られていた。

<蔑み>は、彼女らが言葉も通じない異人さんを相手にしていることに加えて、しばしば和服にスカーフやブレスレットやイアリング・指輪などを身に着けるという何ともド派手な衣装仕立てにも向けられていた。<妬み>は、豊な国からやってきた異人さんの金払いはすこぶるよく、彼女たちが贅沢な暮らしを手に入れていたことに対して向けられたものだった。

案の定、イルウスが登壇する場面では、マリアとか、メリー、バタフライ、ピーチとか名乗る奇妙ないで立ちの女たちが舞台の上に現れた。そして、次々にイルウスに自分を売り込もうと必死になってアピールしている。

だが、イルウスはどの女も気に入らない。そこへ、先ほどまで寝込んでいたはずの亀遊が真っ白な衣装に身を包んでスーとその姿を現した。化粧もしている。それを見て、通事の藤吉も驚きの余り声が出なくなるほどだった。藤吉は、初めて見る「おいらん」姿の美しさに我を失うところだったのである。

イルウスがすっかり見とれて、「この女に取り換えて欲しい。金ならいくらでも払う」と言い出した。最初は、店のしきたりで女を取り換えるのは認められないと言っていた岩亀楼の主人も、だんだん金の話に引き寄せられてゆく。その間にも、亀遊が倒れ込んで、女中たちが彼女を部屋に連れ戻す。ここから先は、通事の藤吉もシドロモドロになって役に立たなくなる。

大混乱の中に<商談>が成立して、亀遊は本人の意思を別に、金六百両でイルウスに売られることになった。それを知ったお園が、夢中でそれを止めようとするものの、事態はもう動かないところまで進んでしまっていたのである。

「き、亀遊さんは、おいらんは、この話を知ってるんですか?」

心配そうに尋ねるお園に、主人の岩亀は応える。

「知ってるわけないじゃないか。いま決まった話だもの。」

お園は陳情するように言う。

「後生だから、それは勘弁してあげて下さいまし。異人さんと寝た女は、もう一生日本人の中では相手にされなくなっしまうんです。」

「何を言い出すんだ、こんなところで。異人さんと言ったって、鬼じゃあるまいし、ことにこの人は金離れもいいし、話の分かるお人だ。」

そう言い終わるや否や、傍の女中に向って、亀遊をここに呼んで来いと声を上げた。

「待って下さい。それは私が……」

そう言い残して、お園は二階の亀遊の部屋へ向かうのだが……。

亀遊は、その小さな暗い部屋で、剃刀で自害していた。

お園は、彼女の死の本当の理由を知っていた。だが、周囲はみな、異人さんに売られることを知って、それを拒み自害したと考えた。

亀遊は、もし自分の健康が回復したら、また遊女の生活を始めなければならない、そうであったら、藤吉とは永遠に結ばれはしないことになる。いや、このままでいても、間もなく藤吉は遠いアメリカという異国に去って行ってしまうだろう、そうすれば自分の生きる夢はすべて絶たれてしまう。どっちにしても、その未来から一切の希望が失せるのだ。それが、亀遊の自害の本当の理由だった。

しかし、岩亀楼の主人にとって何より懸念されたのは、「異人に売られるのを嫌がって自害した」と世間に風聞が流れ出ることだった。そんなことが知れ渡ったならば、この岩亀楼が攘夷を唱える浪人たちの標的にされることは目に見えていた。役人もそのことを惧れて、事を大きくせず、内々に処理する道を選んだ。亀遊の亡骸は、早々に深い土の中に葬り込まれた。そして何事もなかったかのような日々が続いた。

しばらく時が流れた頃、1人お園だけがその悲しい顛末を怨みながら、二人きりになった場面で、藤吉を責め立てる。

「なぜ逃げなかったのさ。なぜ駈け落ちしなかったのさ。」

いつもの勝気なお園の声に藤吉は、あの日の前日、二人が別れ別れになることを覚悟して抱き合って泣いたことを語り出す。

その時、舞台が反転して、中央奥から真っ白な衣装をまとった亀遊の姿が現われ出て、藤吉と亀遊が手に手をとって静かに歌い出す。強い絆で結ばれたはずの若い二人がステージの上で踊り出す。だが、それは一瞬の閃光のように輝いたかと思うと、亀遊が舞台の上手でゆっくりと廻りながら静かに床の下へと消えていく。観客たちはそれが二人の永遠の別れを再現する場面であることを知る。

その静けさを破る大声が飛び込んで来た。

「大変だ、大変だ!」と男の声。

「どうしたんだい? 何だって?」と女の声。

通りでまかれた瓦版が「岩亀楼の遊女亀遊が、女郎であるにもかかわらず、紅毛碧眼に身を汚されんよりはと親より伝わる懐刀で咽を突きて自害した」、まさに攘夷の魂であり、武士にも優る「烈婦」であると書き記していたのである。しかも、死に際して、見事な筆字の遺書まで残したというのである。字を読める藤吉によれば、その遺書の最後には辞世の一句が認められていて、そこにはこう記されていると言う。

「露をだに、いとふ倭(やまと)の女郎花(おみなえし)、ふるあめりかに袖はぬらさじ。」

お園は、「妙だねえ、おいらんは字なんぞ書けなかった。絵草子すら読めなかったんだ。それに懐刀なんかありゃしないよ、おいらんは剃刀で死んだ」と思わず、口にするも、主人の岩亀に止められる。第一、おいらんは武家の出などではなく、深川の町医者の娘に過ぎない。

そうこうしているうちに、この瓦版を契機に、亀遊は「攘夷女郎」として人々の噂になって語られていく。そして、この噂話によって、岩亀楼が異人相手の遊郭で商売をしていたという事実がかき消され、それを拒んだ武家の鏡のような女郎を抱えていたところだとの評判を受けることになる。

<真相>を知るお園は最初はその<誤解>に違和感を覚えるが、やがて持ち前の明るい立ち振る舞いに合わせて、この<攘夷女郎>話を脚色し、迫真力ある出来事して語り出すことになる。一目その現場を見ようと訪れる客を相手に演じているうちに、何がどこまで本当のことなのか自分でも判らなくなってしまいそうだった。

いつの間にか、亀遊は<亀勇>との表示に変わり、武家の娘になり、吉原でも横浜でも超売れ子の芸者になっていた。イルウスという嫌な米人が払うと言った金も千両にまで吊り上がっていた。

自害した場所も、提灯部屋ではなく、大広間になっていた。その大広間で、尋ねて来た客を前に、お園が一節をぶつ場面がある。

「ようござんすか。亀勇さんはここに坐って、じっと異人さんの眉間に目を据えたまま、かねて覚悟の懐刀を、抜いたと思ったら喉に突き立てた。」

「血は出なかったのかい。」

「あなた、生身の人間が喉を突いたんだ。血はしぶきをあげて、返り血を浴びた異人さんの顔は鬼でしたよ。」

とうとう、本物の攘夷主義にかぶれた侍たちの到来となった。そうこうしている間に、お園が語る大橋某というエラい先生の話と亀遊の書き置きの話が辻褄の合わぬことを知って、攘夷侍たちがが、お園言葉に嘘を読み取った。そして一人の若い侍がいきなり太刀を抜いてお園を切って捨てる構えをみせた。

「ひえッ!」と悲鳴を上げるお園。

この顛末は、大橋某先生の名誉を保つことを優先した侍たちの情けで、何事も無かったかのようにして終える。5人の侍たちが不敵な笑みを浮かべながら下手へと消えてゆく。

そして、先の冒頭の場面が続くのである。

「ああ、恐かったぁあー!」

(ちなみに、ここで再び冒頭の文に戻ってもう一度読まれることをお勧めします/筆者)

…………………

この芝居の時代背景は、開国か攘夷かで、まさに国論が二分化されていた幕末日本の頃のことだった。そんな物騒な世の中で遊郭を一つの舞台にして描いたのが、本作の妙味ともなっている。そして、お園はそうした時代の波に翻弄されながらも、いつの時代にも変わらぬ人間を見つめる率直な眼差しを忘れない女だった。

お園を演じた大地真央は、これまで十八番の「マイ・フェア・レディ」をはじめ、「カルメン」「サウンド・オブ・ミュージック」「ローマの休日」、「クレオパトラ」や「マリー・アントワネット」などのヒロイン役を演じてきた。喜劇と悲劇とが綯い交ぜになったこの作品では、少々お調子者の役を引き受けて、その「人情」を演じて見せるという難しい役に初めて挑戦したという。

それにしても、あの<圧巻>の演技に魅せられたのには参ったね。「これぞ、銭の取れる演技というものであろう」、そう思いつつ僕は明治座を後にした。

外はもう真っ暗だった。人の流れの後をつくようにして夜道を進んでいくと、遠くに灯りがひと塊になって浮かんでいるのが見えた。人形町の辺りだろうと思った。

 

父の日のプレゼントと喫煙・禁煙

近くに住む娘が、2週間も早く、父の日の贈り物だと言って、何やら小さな固い箱を包んだ包装紙のプレゼント持ってきた。喫煙癖から抜けきらない父を想ってか、中には「iQOS」という無煙タバコのセットが入っていた。どうやら、札幌にいる母親と相談しての喫煙家対策のようだった。

そう言えば、近頃は喫煙できる喫茶店の中でも、この「iQOS」とやらを使っている男がやたら増えている。おそらく、自らの健康を意識してというより、マイホームでは喫煙禁止にされていることからやむを得ず、本物のタバコを諦めて、その代用品に「転向」した連中であろうと思っていた。そこには悲しい(?)ことかな、家庭の中での妻との力関係も反映しているに相違ない。

そういう我が家の長男も同居中の彼女に押されて、ついにこの新製品に飛びついてしまった1人である。

………………

僕は公の場ではもちろんタバコを吸わないが、自分の個室にいるときや喫煙可能な喫茶にいるときにはヘビースモーカーになりきっている。依存症と言われればそれまでだが、タバコが僕の情けない頭脳を刺激し、活発化させることは確かなので、とうてい禁煙なんぞあり得ないと思い込んでいる。

そうは言っても、世の中はいまや禁煙ブーム真っ盛りである。東京オリンピックに合わせて、公開の場であれば、飲食店のすべても禁止すべきだとの潔癖主義的(ピューリタン)な意見も出始めた。確かに喫煙は身体によくないとの報告もあるし、何より受動喫煙が社会問題となっている中ではどうも喫煙派には分がよくない。先の都議会選挙で多数派をしめた「都民ファースト」を名乗る集団も禁煙勢力だ。

最近はもうすっかり分煙が当たり前のようになっていて、それを嫌う人のいる閉じられた空間ではタバコを吸わない、通りや広場などの公の空間でも吸わないなど、喫煙者のマナーもしっかり守られるようになってきた。それでも「全面禁煙派」の連中は、タバコそのものが気に入らないようで、それだけにとどまらず「喫煙者」という存在そのものを消しゴムで消してしまいたいような勢いだ。劣勢のままじりじりと後退を迫られる僕にしてみれば、思わず「喫煙者は都民ではないのか」と叫びたくなるほどだ。 

世界保健機関(WHO)の統計2016年によると、日本の男性の喫煙率は33,7%で世界60番目。トップはインドネシアで、これにヨルダン、キリバスが続いてロシアも何と5位にランキングされている。日本は、韓国、中国や東南アジアの国々には及ばないものの、スイス・オランダ・北欧諸国はもとよりドイツ・イタリア・イギリス・フランスよりも高く、いわゆる産業先進国の中でもトップクラスだ。おそらく、こうした事情がオリンピックを前にして喫煙率を押し下げたいとの衝動につながっているのだろう。

これに対して、日本の女性の喫煙率は最近はその高止まりが問題だと国内で指摘される向きもあるが、その数値は10.6%にとどまっている。というのも、女性では産業先進国のドイツ・フランスはもちろん、オランダ・スイス及び北欧諸国よりもはるかに低く、何と喫煙に厳しいカナダやオーストラリアよりも低いのである。むしろここでは、日本が欧米に比べて「男女格差」が目立っていることは少々気になるところである。

女性の喫煙率で世界のトップはナウル(52.0%)であり、これに先のキリバスセルビアが続いている。ちなみに、キリバス共和国は、太平洋上の群島からなるイギリス連邦の1つで、人口11万人の赤道直下の小さな国。また、ナウル共和国イギリス連邦加盟国で、国土面積ではバチカン市国モナコ公国に次いで世界三番目に小さな国だ。

少々話がズレたので元に戻すことにしよう。

タバコは確かに、健康にはマイナス面が少なくなく、決して勧められるものではない。一般に喫煙する人は、あるいは受動的喫煙者であっても、がんや心筋梗塞、気管支ぜんそく慢性閉塞性肺疾患にかかりやすいとの指摘を受けている。

特に近年では、発症する人の9割が喫煙者であるとされた、慢性閉塞性肺疾患に注意が向けられている。一般に、「慢性気管支炎」とか「肺気腫」と呼ばれているものがその例であるが、専門家の間ではこれが将来的に死亡要因の大部を占めるようになるとさえ言われている。ただし、これも必ずしも喫煙との因果関係がすっきりしているわけではない。ディーゼルエンジン排ガスや、ビル群から排出される異常な熱や新鮮な空気に触れる機会の少ない都市生活など多様な環境要因も原因との指摘もあるからだ。

加えて、<タバコ=がん>という、喫煙(者)を敵視するほどに騒がれた因果関係については、今日でも専門家の間で論争が続いている。  

僕自身は愛煙家に近いので、喫煙の害についてあれこれ文句をつけつる資格はあまりないのであるが、タバコにはストレスを軽減・抑制するというメリット効果があるとされているし、長寿にはむしろ適度な喫煙が望ましいとの説もある。

実は、これにはあながち無茶な議論とは言えない興味深い論点が潜んでいる。もしタバコにストレスを軽減する効果があるとすれば、それは様々な病気の抑制や長生きにも貢献している可能性が出てくるからだ。

オランダの研究グループが行った研究調査では、喫煙者は非喫煙者に比べてアルツハイマー病に罹る率が遥かに少なかったことが判明したという。喫煙には確かにボケの防止効果もあるされているのである。これは適度の喫煙が脳の活性化(脳細胞のネットワークづくり促進効果)をもたらしているせいだとも言われている。

また、日本免疫学会会長も務めた順天堂大学の奥村康教授は、自殺者34,000人の中から無作為抽出した2,000人を調べたところ、何とすべての自殺者が非喫煙者であったとの報告を発表している。むろん、この結果に対しては様々な方面から「反論」も出されているが、仮にタバコがストレスを抑制する効用を有しているとするならば、頷ける傾向だと言える。

…………………

しかし何よりも、僕にとって一番気になることは、医学的・実証的結果もさることながら、その検証結果についても専門家の間ですら見解が分かれているにもかかわらず、タバコを嫌う人たちが一斉に<汚れ>を社会から<排除>しようとし、まるで風に草木が靡くようにして、世論が一方向に動き出すことの怖さである。

喫煙反対論者は、その時、自分たちが何をしているのかさえ落ち着いて考えることもしなくなる。それが、例えば、共にどうしようもない強度の喫煙家である、あの創造的なアニメ映画を編み出した宮崎駿や、「北の国から」の人気ドラマを生み出した倉本聰などの人間を<非道>あるいは<非国民>と揶揄して、そうした連中をこの世界から<追放>しようとする試みに通底するということすら思いも寄らぬのだ。

いや、僕は別に喫煙を推奨しているわけでも、ましてや喫煙家たちを称賛して言っているつもりもない。そうではなく、喫煙家の存在も認める<寛容>がこの国には大事だと言いたいのである。

マナーを守り、分煙を徹底することができるならば、その方がはるかに多様性を受け入れることできる懐の深い、より<豊かな社会>を構想することが可能になるのだと思う。少なくとも、世の中を一色に染めて、互いを監視し、社会全体がストレスを貯め込むような風潮は避けたいものである。

親切過ぎる女

「お客さま、お飲み物は何にいたしましょうか?」

羽田から千歳に向う飛行機の中で、僕は女性の声で目を覚ました。薄いグリーンのコスチュームに身を包んだスチュワーデスの声だった。首には濃い赤と緑のネッカチーフを巻いている。

どうやら、通路側の狭いシートに深く沈んだまま、ぐっすり居眠りしていたようだ。それもそのはず、羽田空港にぎりぎり飛び込んで、やっとのことで搭乗手続きに間に合った僕は、昨晩、というか今朝まで続いたパソコン作業のために寝不足で、飛行機が飛び立ったらそこで睡眠時間を稼ごうと決めていたのだ。

その思惑が目論見と少し違ったのは、僕は自分が乗った飛行機が滑走路を飛び立つ前に、強い睡魔に襲われてしまい、離陸の瞬間すら覚えていなかったということだった。

ややベテラン風のそのスチュワーデスが声をかけたのは、窓側の若い男性のお客さんに対してのものだった。僕は、僕の頭上で発したその声に、いきなり眠りから引き起こされたというわけである。

薄目を開けた僕に気づいた彼女は、今度は僕に声をかけてきた。

「お客さま、何にいたしましょうか?」

僕は、機嫌を損ねた顔を向けながら言った。

「いいえ、結構です。」

…………………

それにしても、こうしたことは国内便でも国際便でもしばしばあることだった。

もう半年以上も前のことであるが、ベトナムハノイの空港を深夜の12時過ぎに飛び立った飛行機の中で、突然、英語で声をかけるスチュワーデスの声で起こされた。食事の時間だというのである。

日本食がよいか、洋食がよいかと尋ねるその声に不機嫌なまま目を覚ますと、何と夜中の4時半である。

前日、ハノイから車で1時間ほど離れた農園を見学に向った時は、まさに炎天下で白いワイシャツ姿の僕はそこを一通りめぐっただけですっかり疲れ切っていた。それに狭い車の中に詰め込まれての移動だったので、それだけでもエコノミー症候群になりそうな1日だった。

当然、僕はハノイ空港を飛び立った瞬間から体を休めようと、備え付けの毛布に身を包んで居眠り態勢を整えていた。それでもなかかな寝付かれずにいたところに飲み物を差し出されてそれを受け取り、しばらく日本から持ち込んだ文庫本を拡げて小さな文字を追いかけていた。そして、いつの間にか深い眠りに落ちていったのだった。

不機嫌な僕は、小柄なそのスチュワーデスに向って言った。

「有り難う、でも食事は結構です。」

そう言い放つと、再び眠り込んでいったつもりだったが、まもなく便は下降を続けて成田国際空港への着陸態勢に入るとのアナウンスに呼び戻されてしまった。

僕にはどうしても、この飛行機の中の<奇妙な親切>に馴染むことができない。<熟睡>という名の至福を妨げるこの<残酷>を許せないのだ。それでも彼女たちはマニュアル通りに僕を起こすことに笑顔をつくって迫って来るのである。

とうとう僕は1つの事件に巻き込まれてしまった。

北京から羽田に戻る便で、今度は隣の席にいた年配の女性に何度もたたき起こされたのである。

「お客様、あいにく間の席しか空いておりません。」

訳あって一便早くの時刻で帰路に立とうと搭乗手続きを済ませる僕に、カウンターの向こうの綺麗な女性が流暢な日本語で言った。

僕のシートは三人掛けの真中の席だった。

エコノミーなので狭く、心配しながら機内のその席を見届けると、中年女とやや年配の女が中国語で空いた真中の席を挟んで何やらしきりに話し込んでいた。これはやばいな、と思った瞬間、窓際の年配女性が僕に席を譲ると言ってきた。二人の女性は旅仲間のようで会話を続けるために、僕に窓側の席に座るよう勧めたのだった。僕がすかさずその提案に快諾したのは言うまでもない。

便が北京国際空港を飛び立つの確かめてから、新渡戸稲造『武士道』誕生の軌跡を綴った本を拡げて読み始めていた。

事態はここで起こった。

その親切な年配女性は日本語が得意で、通路側の中年女性に中国語で語りかけたかと思うと、今度は窓際に顔を向けて日本語で僕に話をかけてきた。僕は窓際の席に坐れたことを感謝しながら、声をかけてくるその女の気遣いに付き合わされることになった。

それでも、しばらくして例にもれず睡魔が襲ってきたので本を畳み、そのままの姿勢で眠りに落ちていった。ところが、この女性に僕は三度も起こされる事態に巻き込まれたのである。

一度はビザ申請を必要とする用紙に記入するためのものだった。どうやらスチュワーデスに手渡された黄色の紙を、眠ってる僕を起こして差し出そうとしたらしい。が、ふと気づいてそれが日本人の僕には不要であることを思い直して、彼女は詫びを入れてきたのだったが、僕の睡眠がそれによって妨げられたことは言うまでもない。

二度目は、飲み物サービスがあった時だった。スチュワーデスではなく、その女が僕を起こして尋ねてきたのである。

「何にします? コーヒー? それとも…。」

僕は、その<親切>にお礼を言いながら丁寧に断り、再び眠りに就いた。

そして三度目が襲ってきた。

今度は機内食のサービスだった。僕はそれも断りつつ礼を言おうと思った。でも、僕は不機嫌と共に目を覚ましながら、今度はその親切を受けることにした。彼女が好意をもって僕を起こしたことは確かだっだし、これ以上断り続けるのにも少々気が引けたのである。北京空港に向かう直前まで食事を囲んで農業研修の話をやり取りしていたので、お腹は空いていなかった。僕は差し出されたトレイの中からデザートを口に入れるだけで<食事>を済ませた。

…………………

結局、僕はほとんど熟睡することなく、チャイナ航空の機内で時を過ごした。窓の外はもうすっかり夜になっていた。ちょうど朝鮮半島の上空を通りぬける頃だったのだろう、眼下には金色に輝く町の灯りがぎっしり詰まって見えた。

通路側の席はいつの間にか、中年の男に代わっていた。おそらく、日本語が得意な彼女を頼って中国人一行が日本への旅行を計画したのであろう、と思われた。やがて小さな子供も姿を現した。

それはそれで実に微笑ましい光景なのであるが、それにしても、どうして飛行機の中ではこうも人の睡眠を平気で妨げることが続くのか、僕は密かに、その<親切過ぎる女>の横顔を見つめながら思った。

北京はもう夏

北京国際空港は、とにかくバカでかい。この日は、朝のエア・チャイナ便で北京へ飛んだが、予定より30分ほど遅れて到着した上に、いつものように第三ターミナルの長すぎる通路を通り抜け、シャトル電車でさらに移動して手荷物検査を終える頃にはすでに昼時間になっていた。

…………………

ちなみに、世界最大の旅客数を誇る国際空港は米国のアトランタ国際空港であるが、この北京首都国際空港はいまや旅客数でも世界第2位を占めるという。およそ10年前には、東京国際空港(羽田)やロンドンのヒースロー空港、パリのシャルル・ドゴール国際空港にも後塵を拝していたが、北京オリンピックを契機にターミナルを大改造・拡充して、堂々たる大空港になったのである。

それでも世界の空港敷地面積では、サウジアラビアのキング・ファハド国際空港が最大規模で、何と空港一つで、隣国のバーレーンの国土面積を上回るというのだから驚きだ。それと比べるとさして大き過ぎるというほどでもないように思えてくる。

それにしても、やはり北京国際空港は飛行機を降りてからが無意味に広すぎる。いくら人口の多い国だとは言え、それにしては閑散とした空間もやたら多いのだ。ところどころで、人気のないエアポケットのような、少し薄暗い小さな広場のベンチで横になっている中国人らしき旅人の姿も見受けられるほど。それもそのはず、この空港には3つのターミナルが造られているが、その3つを合わせた総面積98万平方メートルは世界最大規模だとのことであった。デカ過ぎるわけである。

やっとの思いで、第3ターミナルを通り抜け、大勢の出迎えの人たちが立ち並んでいるフロアに出ると、いつものように友人の中国人Riさんと中国在住日本人のTさんが笑顔で待っていた。

「入国手続きで混んでいたのでしょね」

Riさんが、僕の旅行バッグを引き取りながら言った。

「いやぁ、入管も手荷物検査も混んでいなかったばかりか、むしろ空いていましたよ」

と僕が伝えると怪訝な表情になったので、思わず応えた。

「時間が遅れたようです。気が付いたら30分ほど時間が余計にかかったみたいで‥」

そう言いながら、到着時刻の遅れを表示する電光掲示板やアナウンスが無かった様子だったことから、どうやら空港の上空で旋回して時間を費やし、さらに滑走路に降りた後も待機時間が続いたことが遅延の要因だったことに気づいた。まだまだ、日本のように分刻みでの運航には至っていないのかも知れないと思った。

地下のこれまたバカでかい駐車場に出た。Riさんが携帯で連絡をとって待機させていた車を呼んでいる様子だったが、なかなか現れない。ところ狭しと並んだ車はどれも高級車ばかりだった。ベンツやBMWアウディなどのほか、トヨタアルファードのようなワンボックスカーも目立った。ここには「発展する中国」がいっぱい詰まっている。

まだ6月半ばだというのに、外気が流れ込む地下駐車場は暑い夏を思わせるに十分なほど気温が上がっていた。

「暑いね、北京は。東京より暑いよ」

と僕が言うと、 Riさんと一緒に僕を迎えてくれていた、山東省から飛んできたというTさんが言った。

「北京はあまり来たいところじゃないね。用事がなけりゃ、あえて来たいとは思わないところだよ」 と口を挟んだ。

山東省の海辺の町に暮らすTさんにしてみれば、北京の夏は無暗に暑く、官庁手続きのためか、仕事の用でもなければ、魅力に乏しいところらしい。それでもPM2.5に脅かされる「冬の北京」よりはましだと付け加えることを忘れなかった。

僕たち3人を運ぶワンボックスカーは、一路、S社の本社があるビル街へと向かった。相変わらず、車の量が多い。それでも、いつもより順調に進んで目的地にたどり着くと、先ず、その近くで昼食をとることにした。

冷房の効いた車を出ると、上着を脱いで白いワイシャツ姿で先へ急ぐ僕の背中に、石畳に叩きつけるかのようにして太陽が熱い空気を注ぎ込んでくる。

「Mさん、ここは水餃子がとても美味しいお店です。」

と言ってRiさんが案内してくれたのは、大きなビルに囲まれて埋もれてしまいそうな古風なレストランだった。日本ではあまり見たこともない料理が次々と運ばれ、僕たちは外の暑さを忘れて少し贅沢な昼食を済ませた。

…………………

中国はいま破竹の勢いで経済発展をとげている。その勢いは世界中の評論家たちの「中国経済崩壊説」などの<警告>にもいっさい構わず、続いている。確かに、この国は、膨れ上がる巨大な不良債権問題や突出した過剰生産に立ち往生しているかの様相を見せている。しかし、それでも、その旺盛な消費活動は一向に衰えを見せない。10億を優に超える人口規模の国民経済は世界史上類例を見ないものであり、想像を絶するエネルギーに充ち溢れている。

僕はふと、レストランの愉快な食事を終えて、外の大気を胸いっぱいに吸い込みながら、この早すぎる「暑い夏」がまるで今の中国を象徴しているかのように想っていた。

                     (文:志根摩奸太郎)

松本清聴の映画講座4 『トランスアメリカ』

彼は、子どもときから男性であることに違和感を抱いていた。そして、世間体を重んじる一族のなかで、次第に孤独感を募らせていった。周囲の誤解に取り囲まれて、「孤独」はますます深まり、人が人を無意識のうちに傷つけ合う社会への強い違和感となってそれは膨らんでいった。「本当の私は何なの?」という素朴だが、深い自問を胸に、彼は「自分らしさ」に辿り着くための道を自ら選択しようと決意する。

‥‥‥‥‥‥‥

ロサンゼルスの片隅にひっそっり暮らすブリーは、「女」になることで確かな自分というものを取り戻そうとしている性同一性障害者である。すでにホルモン治療によって豊かな胸を持ち、トレーニングで女の声も身につけた彼女、いや彼は、周囲の無理解を肌で感じつつも、女になるための最後の手術を受ける日を愉しみにしている。「もう少しの辛抱で、私はは本当の私になれる」、そんな切々とした心の声が聞こえてくるようだった。

その彼も、過去にたった一度だけ、男として女と関わりを持ったことがあった。待ち望んでいた祝福の時を間もなく迎えようとしているある日、その女の子どもであり、父親である自分を探しているという少年が現れた。

激しく動揺するブリー。

父親どころか、種としての男すら捨てようとしていた矢先なのに、自分の息子かもしれない人間が現れたということは、あの投げ捨てた過去に自分を引き戻す<悪の力>が襲いかかってきたのも同然だった。

突然に訪れた現実から逃げ出し、当初の目的を果たそうとするブリーに対して、彼女、いや彼の最大のよき理解者であるセラピストのマーガレットが真実と向き合うことを勧める。それでも「最後の手術」にこだわり、事実から目をそらそうとブリーに、マーガレットは厳しい言葉をぶつける。

父親としての責任をはっきりさせるまで、あなたが手術することに署名することはできないわ」

彼女の署名が得られなければ、自分の夢を実現することも叶わないのだ。

人は一度ならずとも、人生の中における偶然の積み重ねを通じていつの間にか自分にあてがわれた役割、例えば、辛抱強い母親であるとか、貞節な妻であるとか、ひたすら勉強に精を出す親思いの子供であるとか、一家のために生真面目に働く父親であるとか、あるいは仕事熱心なサラリーマンであるとかいった役を演じることに疲れを感じて、逃げ出したくなることがあるものだ。外見ではその役割を立派に演じつつも、親としての、あるいは妻としての自分ではなく、すでに過ぎ去った、あの青春時代の輝きに生きた自分に立ち還り、そうすることによって「自己」を取り戻したいと願うときがあるのだ。

たとえ、世間がそれを逃避だとか、無責任だと決めつけようとも、心の奥からほとばしり出てくる、そうした強い衝動の前で、人はしばしば立ち往生し、「もう一人の自分」を発見する旅に出ることも珍しくはない。

ブリーは、ともかくこの重たい状況から「逃げ出したい」と本気で想っていた。本当の「自分」を手にするために、そうせざるを得ないと固く決意していた。

実は、息子がいるということは、ニューヨークの拘置所からかかってきた一本の電話で知ったのだった。少年は盗みの現行犯で警官に捕まったのだが、彼は男娼を仕事としていたという。ブリーは、マーガレットに説得されて仕方なく少年トビーを遠く離れたニューヨークまで迎えに行くことになった。ちょうど、あの「ダイ・ハード」で主人公がニューヨークからロサンゼルス向かったのとは逆のコースを辿って「彼女」は飛んだ。 戸惑いながらも、息子と対面するブリーだが、父親とは名乗ることができずに、トビーの誤解に乗じて、咄嗟の嘘をつく。  

「私は教会から派遣されて、あなたの世話をすることになったのよ」

つまり、信心深い尼さんの役割を演じることになったのだ。それが更なる誤解とすれ違いのドラマとなって、二人を人生のテストにかけてゆく。そして今度は奇妙な二人、つまり男娼だった少年と女になりきっている中年男のロード・ムービーが始まる。二人を乗せた車は広大な草原を走り抜け、小さな田舎道を通り過ぎて、これまた奇妙な人たちとの出会いを繰り広げていった。

スクリーンでは、不器用で、不格好な生き方しかできない中年女(のように見える)ブリーの仕草の1つひとつが滑稽味を誘う。自分の子どもに真実を隠しつつ、その一方で、精一杯の愛情を振り向けようと必死の努力を続ける「彼女」の姿に、やがて観客の僕たちも次第に惹かれていき、そしてこの想いがいつかトビーに伝わることを願うようになる。

だが、ニューヨークを発つときに生れた<嘘>と<誤解>はなかなかハッピーエンドにつながりそうもない。とうとう、<真実>がばれて、場面は一気に<破局>の様相をみせて展開する。「彼女」が男であることを知ったトビーは激しい嫌悪によって、ブリーを責め立てた。ふたたび<孤独>へと投げ出されたブリー。彼女のしゃがれた声とその不自然な化粧がなぜか悲しみをより深く刻み込んでくる。

それでも、長いアメリカ大陸横断の旅を通じて、二人は互いに反撥し合いながら、やがて共に惹かれ合い、そしていつしか心を開いていく。トビーもブリーの<優しさ>が本物であることに気づくようになる。しかし、それもつかの間、自分をまるで愛人のように思い込んで言い寄って来るトビーに、今度は自分がトビーの父親であることを明かして、二人の間は決定的なものとなるのだ。

そもそも、自己を取り戻すということは、単なる薬や手術によっては手にすることができない。それは、自分という存在を認めてくれる人との本物の出会いの中でしか実現し得えない。人は、<孤独>の中で必死にもがいていても本当の自分を見つけ出すことはできないのであって、生きている手ごたえを引き寄せるためにも、信頼できる他者からの「承認」が必要なのである。

やっと念願の「手術」を終えたというのにブリーの心は晴れないどころか、悲しみんの底へと沈んでいく…。

f:id:kantarocinema:20170607031649j:plain

この作品のテーマは実にシリアスなものだったが、場面はどこまでもユーモラスなままに推移した。なんと言っても、ブリー役を演じたフェシリティ・ハフマンの物静かだが、真摯な演技が光った。彼女は「本物の女優」、つまり正真正銘の女性なのだが、すぐれたメイキャップのおかげもあって、画面ではどことなく骨張って見え、それとなく男っぽいのだ。それが笑いを誘い、これが当事者にとって深刻なドラマであることを忘れさせるほどのユーモアを感じさせ、人間の温もりを醸しだしている。それがこの映画の持ち味となって拡がり、思わず、観る者をしてこう叫ばせるのである。

「人生って、捨てたもんじゃない!」

そして、ラストシーンを迎えるころには、もう僕はすっかりブリーの「よき理解者」となり、「よき友」となりきっていたのである。

‥‥‥‥‥‥‥

ところで、この映画は、1人のトランスセクシャルな人間を描いた作品であるが、標題の「トランスアメリカ」には東海岸から西海岸までの大陸横断(トランス・コンチネンタル)という原意と合わせて、「変わりつつあるアメリカ」との意味が込められているとも読めるものだった。アメリカでは、もうずいぶん以前から、道徳主義を唱える集団や人種主義をバックに他者を排除しようとする勢力がその勢いを高めている。そんな中でこの作品は、この国に「本当の優しさ」を取り戻すためのトランスレーションを求めているかのようでもあったのである。

松本清聴の映画講座3 「ドライビング・ミス・デイジー」

映画の記憶とは不思議なものだ。

ニーノ・ロータのあの独特のトランペット音楽が流れると、条件反射のように僕は、モノクロ映画『道』のジュリエッタ・マシーナの寂しげな顔を思い浮かべてしまい、突如、時間が止まる。それは、例えば、東京・中央線の四ツ谷駅のホームで電車を待っているときであったり、新宿のネオン街で、少し冷たい雨が降り注いでいる中を一人で帰り道を急いでいるときだったりする。そんなとき、僕の両耳に「トゥーラ トゥラーラー、トゥーラ、トゥラーラー、トゥラーラララーラ」という音が鳴り響き、思わず涙があふれ出そうな気分に襲われるのだ。

‥‥‥‥‥‥‥

どういうわけか、『ドライビング・ミス・デイジー』の場合、それは音楽ではなく、主人公のミス・デイジーの静かな声となって鳴り響いてくる。

あたりが真っ暗な世界。

その暗闇にぽつんと置かれた大きな車の後部座席で、一人ぽっちになったデイジーが細い声を上げるんだ。黒人の運転手を呼び戻そうとして。

「ホーク、ホーク、ホーク!」

返事はない。何も見えず、ホークの姿も現れない。一人の老いた女が真剣な声を発するも、それは闇のかなたに吸い込まれて弱弱しく消えていくだけである。

いまでも、『ミス・デイジー』のことを思い出すと、反射的に僕の耳に、そのジェシカ・タンディ(ミス・デイジーを演じている)が叫ぶ声が突然迫ってくる。そして僕の気分は少し沈み込み、あの映画のさまざまなシーンが走馬燈のようにくるくると回り出す。

これは本当に困ったものだ。

それと言うのも、僕には奇妙な癖があって、この「ホーク、ホーク!」と叫ぶ声が聞こえた瞬間、たとえどんな人ごみのなかにいても、もう他の声が聞こえなくなってしまい、映画の世界に舞い戻ってしまうことがあるからだ。

‥‥‥‥‥‥‥

ミス・デイジーは、元学校の教師をしていたという未亡人である。歳はもう70を超えている。夫の資産を受け、立派な大きな邸宅に住んでいる。家には、他に通いの黒人メイドが一人いるだけである。ある日、デイジーが黒い大きな車で出かけようとしたとき、手元が狂い路肩へ落ちてしまう。これがドラマの始まりである。

会社経営をしている息子のブーリー(ダン・エンクロイド)が、老いた母親を案じて、運転手を雇うことにするが、デイジー本人は、そんなもの要らないと言う。第一、私はそんな贅沢をしている人間とは見られたくないと、近所の目も気にしている様子だ。そうしたなか、一人の黒人が運転手として現れた。モーガン・フリーマン演じるホークの登場である。

ところが、このミス・デイジー、最初、とっても嫌味な女なんだね。気難しくって、底意地悪く、何かとホークにいやがらせをするんだ。台所のシャケ缶が一個なくなったと言っては彼を疑い、ホークの運転に応じず、車にも乗ろうとしない。小言をいいながらやっと同乗したかと思うと、「いつものコースとは違う」と駄々をこねては遠回りをさせる、ホント嫌味な婆さんだ。

それでも、ホークは毅然とした姿勢を崩さず、部屋の電灯の煤払いをしたり、庭を手入れしたり、運転以外のことでも、「自分は雇われているので」と言って黙々と仕事をしている。60歳になるまで南部社会で育ったホークにとって、白人のちょっとした意地悪に耐えることは当たり前のことだったのだろうか、彼は、いつも平然としたままだ。その姿が名優フリーマンの人物の大きさを感じさせ、僕は密かにホークに静かな声援を送りたい気持ちになったほどだった。

ホークがやってきてから3年後のある日、彼の運転で、デイジーは夫の墓参りに行く。

晴れた、とても穏やかな日和だ。

デイジーは墓の手入れをしながら、ホークに対して、知人の墓にも花を供えるよう指示する。

「その花、バウアーの墓へお願いね」

「どのお墓ですか?」

「確か、2列目の、あの辺よ」

背を向けて、デイジーは再び墓の手入れを始める。が、ホークは黙って立ったままだった。

「どうしたの?」

訝るデイジーに、ホークはこう答えるんだ。

「私、字が読めないんです」

デイジーは思わぬショックを受ける。そして、立ち往生しながら墓石の形状を訪ねるホークに対して、アルファベットの頭文字<B>と最後尾の<R>とを教えるのである。「だから最初の文字が‥」とデイジー、「ビー」とホーク。「最後の文字は?」「アール」。僕には、まるで二人が、わずか二つの文字を挟んで、楽しそうに会話しているように見えたものだった。

その歳の暮れの、クリスマスの夜、デイジーは密かにホークの家を訪ねて、玄関口で一つのプレゼントを贈る。それは、彼女が小学校の教師時代に使っていた国語の教科書だった。

「まだ、使えるわ。でも、練習しなきゃだめよ」

「ええ、奥様」

敬虔なユダヤ教徒であるデイジーは、「これは、クリスマス・プレゼントではありませんからね」と断り、そして「ブーリーたちには内緒よ」と言い残して立ち去る。僕は、自分のなかに何か熱いものがこみ上げてくるのを感じ、そして何故か「ホッと」した気分に包まれてしまった。

それからどれほどの季節(とき)が流れたのであろうか。アラバマ州の小さな町の伯父さんの家へ、誕生日を祝いに出かけることになった。何もない田舎道をゆっくり走っていると、二人の若い白人警官に呼び止められる。デイジーには登録証を、ホークには免許証を見せろと横柄に振る舞っている。そのとき、やつらはこんな捨て台詞を吐くのである。

「なんだぁ、ニグロのじじぃとユダヤのばばぁか。」

まだ人差別が色濃く残っていた南部で、デイジーが、ホークと二人きりであるとことを知らされるシーンである。

f:id:kantarocinema:20170531023505j:plain

車は言葉少なになったまま夜道を走り続ける。突然、道のど真ん中で、ホークはヘッドライトをともしたキャデラックを停めた。

「どしたの?」

「ちょっと、用をたしてくるだけです」

「さっきドライブインに寄ったばかりじゃないの」

「黒人がトイレを利用できないことは分かっているはずです」

「停まっている余裕なんかないわ。我慢しなさい!」

「いいえ、私は出て行きます」

≪ブラック、お断り≫の札がトイレの前に貼ってあることが珍しくない時のことである。ホークは初めてデイジーの命令に従わなかった。ドアを開けて外に出たホークの姿が闇の中へと消えていく。

時間が静かに流れる。デイジーは車の中でじっとしているが、次第に不安が募ってゆく。そして、思わず、彼女はその黒人運転手の名を呼んで叫ぶのである。

「ホーク、ホーク、ホーク!」

もはや、デイジーにとって、ホークはそこにいなくてはいけない人になっている! 

僕は、体温が一気に上昇するような気分に襲われた。そして、僕の耳には、デイジーの細い声がいつまでも鳴り響くのである。

それにしても、ジェシカ・タンディモーガン・グリーマン、とっても贅沢な組み合わせだね。この二人にして、この作品は「名画」にふさわしい出来映えを残すことが出来たと、僕は今でも思っている。

                             (文:志根摩奸太郎)

松本清聴の映画講座2 「シェイクスピアの時代と四つの映画」

20世紀も終わりを迎えた、いわゆる世紀末転換期に、400年以上も前の英国に生れた劇作家シェイクスピアの消息と時代を伝える映画が相次いで制作・公開された。まず、1998年に、『恋におちたシェイクスピア』が公開され、第71回アカデミー賞で作品賞をはじめ7部門で受賞するなど、この年の快挙の1つとなった。同じ年、エリザベス一世の半生を描いた『エリザベス』が公開され、上記の作品と同時にアカデミー賞の7部門でノミネートされて、メイクアップ賞を受賞している。

2007年には、ほぼ同じスタッフとキャストで、今度は『エリザベス:ゴールデン・エイジ』が、第80回アカデミー賞の衣裳デザイン賞を受賞した。そして2011年、シェイクスピア研究でも話題となっていた「シェイクスピア別人説」を題材とする『もうひとりのシェイクスピア』が公開された。

二つの『エリザベス』は共にイギリス映画、あとの二つはアメリカ映画および米・独合作の作品である。

‥‥‥‥‥

この四作とも、16世紀後半及び17世紀初頭のイングランドを舞台としており、かつその再現に工夫を凝らした作品であるという点で共通し、このため、そのいずれも華麗な映像美が観る者を魅了する、映画ならではの強みを存分に発揮した作品となっている。

実際、この時代の宮廷や国王の演じる様々なペイジェント(祝祭)は、当時の観客たちにとっても眩いばかりの壮麗な仕掛けが施されていたのであって、現代のぼくたちがその華麗さに圧倒されるのと同じように、あるいはそれ以上に、まさにこの世の「祝福」の瞬間が訪れたとの感慨をもって眺めたに相違なかった。そうした400年以上も前のシーンにめぐり合えるだけでも、これらの作品に触れる十分な価値があろうというものだ、と思う。

とは言え、ストーリーを読み解くとなると、話はそう簡単ではない。なにせ、この四作を理解するには、16,17世紀イングランドの歴史を承知していなくてはならず、またシェイクスピアをめぐっての様々な議論や学説についても幾分なりともその知識を持って臨まなければならない。

むろん、ぼく自身は、自分の怠惰を別としても、映画作品はそれ自体を楽しむことに最大の価値があると信じているので、余分な知識なんぞ無理して手繰り寄せるまでもない、という考えの方を気に入っている。

まず、作品を楽しもう!

そして、興味が湧いたら、その背景を追ってみたらいい。

ま、そんな調子だから、歴史の深みを知ろうなんぞといった、大げさな意見は毛頭呼びかけるつもりはない。そもそも、映画に限らず、小説やその他の文学作品をはじめ、絵画・彫刻、音楽などのいわゆる芸術作品はもとより、はてはデザイン、アニメやポップ・カルチャーを含めて、そこに、それを鑑賞する者がどのように心を動かされるのかが大事なのであって、ある意味ではそれ以上でもそれ以下でもない、とぼくは思っている。

大切なことは、それらと対面して、人々がそこで自身に迫る「ある体験」を覚えることが重要なのである。その瞬間が、たとえば、一人の老いた男の後ろ姿であったり、美しい女性の大きな瞳であったり、息が苦しくなるほどの切なさや、今すぐにも逃げ出したくなる恐怖の瞬間、あまりにも格好良すぎる主人公の振舞いや台詞、あるいは深い余韻を伴う美しいラストシーンであるなど、どれでも結構だというものだ。

それでもやはり、これら四つの作品は、その背景となる当時のイングランドの歴史をほんの少し理解しているだけでも、さらに何倍も面白く楽しむことが叶うのも事実であろう。

「知識のための知識」は必要ないが、「見る目をもっと深くする」ための予備知識は決して無駄ではないと思うのである。

‥‥‥‥‥

ここで、これらの作品を読み取る上で必要だとぼくが勝手に思い込んでいる最小限のリストを紹介しよう。 第一は、むろん、エリザベス一世。第二は、フランシス・ウォルシンガム。第三は、クリストファー・マーロウとベン・ジョンソン。第四は、上流階級の娘ヴァイオラ。第五は、オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィア。そして第六は、残酷な処刑シーンとピューリタン。え? 肝心のシェイクスピアが入っていないじゃないかって? いやいやこれは失礼。でも、ここではシェイクスピアは堂々たる「主役」なのだから、敢えてご登壇いただなくても結構。舞台では、その周りを固めることが先であろう。

(1)先ず、エリザベス一世

この女性は、絶対君主を誇ったヘンリー八世の二番目の妻の娘である。ただし、その妻であったアン・ブーリンは王の手によって処刑されている。だから、エリザベス本人は、その後、田舎の城に軟禁された生活を送っていた。それが突如、王として担ぎ出されたのは、ヘンリー国王の最初の妻の娘で、エリザベスにとって異母姉であったカトリックのメアリー女王が急逝したためだった。

エリザベスはわずか25歳で、イングランド女王になった。

16世紀末にイングランド国王となった彼女のことを知ろうと思えば、次の三つのことを念頭においておくといい。

当時のイングランドは、まだヨーロッパの片隅の小国でしかなかった。その国が、ヘンリー八世の離婚問題を契機にして、ヨーロッパ世界で当時絶対的な権威をほしいままにしていたローマ・カトリック教会との全面対決に向けて走り出していた。島国イングランドの対岸では、大国であるフランスとスペインがいつこの脆弱な国を攻めて来るかもわからなかった。そんな折に、事もあろうか、若すぎる女の国王がその座に坐ったのであるから大変だ。エリザベスの周辺には、「これじゃもたない」と思ったのであろう、スペインやフランスの皇族や宮廷人らとの婚姻を勧める者も少なくなかった。だが、女王本人は、別の思惑もあってそうした誘いを頑なに拒み続けていた。

さて、テレビは当然のこと、写真もない時代のことだから、国民の多くは、エリザベス女王がどんな人か知る機会も観る機会もなかった。かろうじて、それを伝えることができたのが絵画、すなわち肖像画であった。本人は自分の絵姿を見るのがあまり好きじゃななかったようで、実物を写したとされる絵画は一点だけとも言われているが、それはともかく、実在したエリザベス一世を伝え、後世にも残すことができたのは、わずかに肖像画だけだったのである。

それほどに貴重なものだったから、宮廷のお歴々は、女王の肖像画の偽物が出回ることを防ごうとやっきになっていたという。数々の対策を講じたが、庶民の中の自称「画家」が書いたという肖像画が町に出回ることを防ぐことはできなかったらしい。ロンドンや地方に居を構える貴族たちがそれを邸宅に飾ることを辞めなかったためでもある。かくして、いつまでも若く、気品に充ち溢れ、そして華麗な衣装に身を包んだ女王のイメージが拡散していった。

映画の中の煌びやか衣裳や装飾も、決して誇張ではなく、実際にそうして普及したイメージを彷彿とさせるものになっている。こうして一方で、華やかで、厳かなエリザベスのイメージが創られていったのであるが、それがまた、他方では、1人の、生身の女性としてのエリザベスを記憶の外へと追いやる事由ともなった。

映画の素晴らしさは、若干の伝記本めいた書物を除けば、そうした一人の女性としての存在に光を当てて、それを見事に描き尽くして見せるという点にある。 エリザベスは、第一幕(1998年の作品)では、ロバート・ダドリーとの逢瀬を楽しむ一方、それに関わって「嫉妬」にも苦しむ一人の女として描かれている。第二幕(「ゴールデン・エイジ」)においては野性味あふれるウォーター・ローリーに惹かれる女としての切ない表情を覗かせる。

もう一つ、エリザベス一世の時代は、カトリックプロテスタント、あるいはカトリック英国国教会との対立抗争が凄惨を極めた時代でもあった。父親のヘンリー八世がローマ教皇庁からの独立を成し遂げた頃はそれでもまだ寛容な宗教政策が残っていたが、この頃になると、それも許されない状況が次々と発生した。先ず、スコットランド女王メアリーを担ぎ上げてカトリック復権を狙う勢力があった。しかも、フランスにはこの当時スコットランドを自領の1つであると主張する者もあった時代である。いつエリザベス王政の転覆を謀るかもしれないという危機がひたひたと迫っていた。さらに、カトリックの盟主を掲げるスペインが刻々と機を窺って、イングランドを攻め込もうとしていた。当時は圧倒的な海軍力を誇る軍事大国である。「女じゃ、もたない」と思う気持ちもわからないではないような気がする、そんな状況だった。

そうした状況のなかで、やがて実らぬ恋心も捨てて、彼女は一国の未来を担う女王としての威厳を見せるようになる。  

即位後、エリザベスは父ヘンリー八世が道を開いた英国教会、すなわちプロテスタンティズムに統一する指令を発する。その鮮やかなシーンを披露したのが、イングランド議会における採決場面であった。意を決したエリザベスは、黒づくめの衣裳姿の議員たちが待ち構える議事堂に単身その若き姿を現す。それも、ただ一人真紅のドレスを身に纏い、誰がこの場の主人なのかを鮮明に印象づけるかのように登場するのである。そして雄弁をふるい、英国国教会への統一を掲げた勅令の採択を議会に迫った。議会は5票の僅差で新女王の提案を可決する。

この時、若き女王が口にする台詞がこの作品の総てを語ることになる。

エリザベスは言った。

「共通の目的(コモン・パーパス)」のために、そして「英国の徳(ヴァーチュ・オブ・イングランド)」のために。

さらに彼女は言い放った。

「ノット・フォア・マイセルフ、バット・フォア・マイ・ピープル」

まさに、ヨーロッパの端の小さな島で、近代的な意味での「国家」が誕生した瞬間だった。それは、一つの明確な「主権」を持った存在として、「国民」という明確な身体を持った存在として立ち現われたのである。

二つの映画『エリザベス』と『ゴールデン・エイジ』では、ケイト・ブランシェットが人間的で理智的、そして成長する女王を見事に演じている。けれども、『恋におちたシェイクスピア』に登場する少々齢を重ねた、ジュディ・デンチ演ずるエリザベス一世もまた魅力的である。それについては、また後ほど触れることにしよう。

f:id:kantarocinema:20170523042526j:plain

(2)フランシス・ウォルシンガム登壇

この男、訳あって、若い頃にヨーロッパ大陸の大学で学ぶ機会を持ち、そうした在外経験が国際政治に対する鋭い洞察力をもたらしていた人物だった。そして、当時エリザベス宮廷で絶大な影響力を行使していた国王府の長官ウィリアム・セシルの部下となって採用され、女王付きの秘書官となる。その彼がやがて大きな力を発揮することになるのが、フランス、オランダやスコットランドはもちろん、ドイツやイタリアにも張り巡らされたスパイ網の構築であった。

すでに述べたように、まだうら若い女王を抱いたばかりのイングランドは、国内の宗教対立に加えて、周辺国や遠くイタリアのカトリック勢力からもその命を狙われ、まさに四面楚歌の状態にあった。とうとう、ある事件をきっかけに、ローマ教皇庁エリザベス女王の殺害を命じたという話まで出る始末だった。いや、実際にカトリックの拠点、スコットランド経由で、教皇庁の刺客が送られてくることも行われたのである。

そうした中で、彼がその存在を歴史に記した大きなスパイ事件がある。ローマ教皇庁は、1580年にイングランド女王エリザベスを破門にし、やがて、「神の国の悪魔」となった彼女を暗殺した者は天国に召されることになろうとのお墨付きを与えてしまった。そして、フランスとも組んで、一国の国王を抹殺する計画にも加担することになる。ウォルシンガムはこの陰謀の手紙を入手して、運び屋を拷問にかけて自白させ、彼らを処刑もしくは国外追放した。続けて、今度はスペインのイングランド侵攻が迫る中で、大陸で陰謀事件に加わった男がローマ教皇庁の許しも得てインフランドに上陸したところを捕らえて、メアリー関与の動かぬ証拠を手に入れる。いわゆるバビントン事件の発覚である。こうして、カトリック勢力の中核的存在として期待を集めていたメアリーも処刑され、エリザベスの地位を脅かす勢力が除去されることとなった。

女王本人は、寡黙でニコリともしないこの男をあまり好きにはなれなかったらしいようであるが、それでもいざという時には、彼を頼ったと言われている。

映画『エリザベス』の中で、まだ若いエリザベスが王宮内でも影のように寄り添ってくるウォルシンガムとこんな会話を交わすシーンが出てくる。

「あなたは、どうしていつも私の跡をついて来るの?」

「あなたをお守りするためです。すべてから守るためです」

余談になるが、エリザベス一世父親でもあるヘンリー八世の治世には、そうしたスパイ網を構築した人物として、トマス・クロムウェルという男がいた。ぼくはこの男こそが、近世イングランド国民国家へと押し上げる上で欠かせない人物だと思っているのだが、彼もまたヨーロッパ中にスパイ網を張り巡らし、ローマ・カトリックの支配からイングランドを自立させ、英国の独立と初期の近代化を成し遂げることに大きな役割を果たした人間であると考えている。このトマス・クロムウェルとフランシス・ウォルシンガムと続いた英国がやがて世界に誇る諜報網を創出して、21世紀の今日でもその力量はアメリカをも凌ぐほどだとさえ言われている。007の母国は、長い試練の時を経て歴史的に創造されたのである。

ちなみに、ウォルシンガム役を演じているジェフリー・ラッシュというこのオーストラリア出身の役者は、なかなかの曲者で、主役や脇役はもちろん、劇画的な作品にも、シリアスな作品にも、どれに登場しても存在感のある男である。ぼくはと言えば、彼自身のハリウッド・デビューを飾った『シャイン』のピアニストも魅惑的だが、『レ・ミゼラブル』でのジャヴェール警部にすっかり魅せられた記憶が鮮明に残っている。彼は、このシェイクスピア時代の四部作の1つ、『恋におちたシェイクスピア』の中では、今度はちょっと間の抜けた、気の弱い劇場のオーナー役を演じている。

f:id:kantarocinema:20170523042530j:plain

(3)クリストファー・マーロウとベン・ジョンソン

この二人は、言わずとも知れたエリザベス朝演劇の代表的人物である。

ここに挙げたシェクスピアを題した映画作品ではさして大きな存在としては描かれていないが、マーロウは、世界史上稀有な時代を画した、いわゆるエリザベス朝演劇の勃興期に、最も突出した「大学出の劇作家」の一人だった。彼が書き上げた悲劇・史劇は、シェイクスピアの作風にも大きな影響を与えたと今日でも言われるほどの存在であった。たとえば、彼の『マルタ島ユダヤ人』の主人公バラバスは、しばしば『ヴェニスの商人』のシャイロックのモデルになったと指摘する者もいるくらいだ。

マーロウは、シェイクスピアと誕生日も近いまったくの同年代であるが、庶民階級出身でありながら、やがてケンブリッジ大学を出て、同輩たちの中でも傑出した劇作家としての才能を発揮した。しかし、売れに売れだしたという頃のまだ29歳の時に居酒屋での口論がきっかけとなった騒動で傷を負い、死亡している。そんなことから、後世になっても、しばしば「もし、マーロウが生きていたら、シェイクスピアは生まれていなかったも知れない」という話題が上るほど惜しまれた男であった。

実は、このマーロウっていう若者は、23歳で文学修士となったものの、出席日数が足りないため危うくその学位が獲得できないという事態になった。ところが何故か、女王の枢密院からの直接の働きかけで難を逃れたという奇妙な経歴を持っている。この謎めいた経緯から、長い間、彼はウォルシンガムの下でスパイ活動に関わっていたと見られきた(そのスパイ活動のために日数不足が生じたという訳だ)。そして、今日では騒動に参加した仲間も含めてスパイ活動をしていたことが判明している。とすれば、マーロウの死も、単なる酔っ払い同士のトラブルでは片付かないことになるが、真相はいまだ不明なままである。

これも余談であるが、21世紀の最近になって、オックスフォード大学当局が、ビッグデータ調査に基づき、シェイクスピアの44作品のうち、17作品が他の作家との共著であるとの発表を行なった。中でも、史劇三部作『ヘンリー六世』はクリストファー・マーロウとの共作だと断定までしたのである。マーロウの亡霊は、いまでも健在なようである。

このマーロウは、『もうひとりのシェイクスピア』ではほんの少し登場してくるだけであるが、『恋におちたシェイクスピア』では当時の演劇世界ではシェイクスピアも及ばぬ劇作家として立ち現れている。そして、シェイクスピアの、まだ人気を博するかどうかもわからぬ戯曲にもとづいてドタバタの芝居練習をしているところへ、「マーロウが死んだ!」という報せが飛び込んでくるのである。

ベン・ジョンソンは、シェイクスピアやマーロウより幾分若いものの、同時代人の一人であることには変わりがない。エリザベス一世時代の終わりと続くジェームズ一世時代を通じて最高の劇作家・詩人として当代においても認められた存在であり、『錬金術師』や『ヴォルポーネ(狐)』などの優れた喜劇作品はもとより、そのシェイクスピア論(「わが同胞シェイクスピアについて」)などは同時代人としての証言価値が極めて高いのものであるとされている。

「彼(シェイクスピア)は正直で、自由闊達な性質を備えていた。素晴らしい空想力と、見事な着想と、優雅な表現をもっていた。」

「(但し)しばしば役者たちが、シェイクスピアを讃える言葉として、彼は(何を書いても)一行も消したことがないと言っていたのが思いだされる。これに対する私の答えは、彼が千行も消してくれていたら、というものである。」

ベン・ジョンソンは、その想像力の奔放さがむしろ「欠点」ですらあったと指摘しているのである。つまり、完成度の低いままに作品を表に出した人だと批評している。

それでも、ジョンソンは、「彼は、自分の短所を長所で補った。彼には許されるべき欠点よりも、褒められるべき長所の方が、ずっと多かった」と付け加えることを忘れなかった。

彼はまた、イタリア・ルネサンス時代のダンテやペトラルカにも匹敵する「桂冠詩人」としての称号を与えられたほどの文化人であった。けれども、ジェームズ一世時代にあまりに権力に身を寄せ過ぎたせいか、作品そのものは次第に柔軟性・創造性を失っていったとも言われている。

映画『もうひとりのシェイクスピア』では、準主役の地位を占めて登場し、オックスフォード伯の秘密を深く知る唯一の人間として、歴史の生き証人ともなっている。

ちなみに、後により厳密なシェイクスピア全集の校訂・編纂に取り組んだ18世紀イギリスの文学者・詩人・批評家サミュエル・ジョンソンは、シェイクスピアの作品は「人生を写し出す鏡」であるといった言葉を残した人物であるが、その彼もまたシェイクスピアの偉大さを称賛する一方で、その短所にも言及することを忘れない、公平さを持ち合わせていた。ぼくは、この二人のジョンソンのシェイクスピア批評こそ、等身大のシェイクスピアを記したという点で歴史に残る貴重な証言あるいは史料だと思っている。

(4)舞台をシェイクスピア風に仕立てるヴァイオラ

シェイクスピアが凄いのは何といっても、悲劇や歴史劇とともに、喜劇も書いたという点にある。というのも、当時はまだ、ギリシア・ローマの古典解釈に従って、喜劇と悲劇とはまったく別のジャンと受け止められていたのであり、この時代でも両方を一度に手がける者は珍しかったとされている。ぼく自身は、少なくともシェイクスピアの作品を悲劇・喜劇の二分法で分類することに大きな意味はないと考えている一人であり、まさにその混在の中にこそ、シェイクスピアらしさ、彼の独創性が存分に発揮されていると思っている。

ところで、シェイクスピアの作品の中には、とりわけ喜劇に分類されてきたもののうちには、ずいぶんといい加減な軽い表題をつけたものが珍しくない。その好例が『お気に召すまま』である。これは自作のタイトルからして、舞台を観る観客にその主題を任せているようなもので、まさに客に下駄を預けた格好になっている。実は、ヴァイオラが登場する『十二夜』もまた、その副題に「あるいはお好きなように」と付けられている。どこまでが真面目なのかだんだん分らなくなってしまいそうだ。

それでは、「十二夜」に何か特別な意味が込められているのかというと、これもそうでもないらしい。要は、キリスト教の顕現日で、クリスマス後から数えて12日目の1月6日を指して使われている用語にすぎない。ただし、この十二夜には盛大な宴を催すことが習わしだった。要は、「どんちゃん騒ぎ」という訳だ。そういえば、ヨーロッパでは、クリスマスから1月6日までを通しで「正月」と見た立てているところが少なくないようだ。

この作品(「十二夜」)は、“陽”を演じるヴァイオラを中心とするプロットと“陰”を含んだマルヴォーリオを複線とするプロットが絶妙に絡み合って奥行きを創り上げていて、シェイクスピアの陽気な作品の中でも最も円熟した作品であると言われている。

その「十二夜」で、ヴァイオラは、男装した姿で、舞台に登場する。彼女は海難行に遭遇して方知れずになった双子の兄になりかわるようにして男装し、イリリア公爵オーシーノの前に姿を現す。そして、男への変身がもたらす錯覚を楽しみながら時を過ごす。しかし、男に扮した彼女が、次第にこの若き侯爵に強い恋心を抱くようになることからドラマが転がり始めるのである。この男と女の二重性が笑いを生む一方で、女である自分を隠すことから悲哀をも醸し出す、とういう仕掛けになっている。台本だけでは、彼女の美貌を理解することは難しいが、ヴァイオラもまた相当の美人ようだ。美しい若者とこれまた美しい女がすれ違いと駆け引きを演じるこの芝居に観客は魔法にかかったかのように引き寄せられてゆく、そんな劇作である。

いや、『恋におちたシェイクスピア』に登場するヴァイオラは、文句なしの美女である。それもどういう訳か女であるがままのドレッシーな姿の彼女より、少年の身なりに変装した彼女の方がずっと魅力的に見えるのだから不思議だ。

f:id:kantarocinema:20170523042528j:plain

エリザベス朝の時代は、まだ女性が舞台に立つことは許されていなかったため、成人男性が女装したり、あえて変声期前の、女性っぽい少年を登用したりしていた。ということは、舞台の上で、女性として登壇した役者が実は男であることを観客は承知していたというわけである。

ところが、この作品では、舞台役者になりたいと切望する女が男装して自己を偽り、舞台の上で今度は女装した男の役者として演じるのだから、話はややっこしい。そこでは、芝居小屋の観客もその騙しを見抜けないまま事態が進行することになる。そして劇場の中に詰めかけた観客に代わって、映画を観ているぼくたちが、その黙契の秘密をのぞき込んでいるのである。

ともあれ、シェイクスピアは、この周囲を惑わせる多重の性交錯を巧みに利用して、喜劇に厚みを与え続けた作家であった。映画『恋におちたシェイクスピア』では、こうしたトリックを現代の観客にだけ分かるような形で取り入れて、リズムカルで、陽気な作品として仕上げている。

作品のクライマックスでシェイクスピアの新作(「ロミオとジュリエット」)の上演が、本物の「女」を登壇させたということで宮内長官指揮下の官憲が劇場に踏み込んでくるシーンがある。「女」とはもちろんヴァイオラのことであるが、この時、上演を観にきていたエリザベス女王(ジュディ・デンチが扮している)が、実に絶妙なセリフを吐いて、その場を見事に収めることになる。

イングランドの女王が風紀紊乱の場に姿を見せるとでも。それは、あり得ないこと」

そして、「女」と目されたヴァイオラに向かってこう言うのである。

「人の目を欺く、その容姿。宮内大臣が勘違いをするのも当たり前」

と、むしろ役者を褒める言葉で結んだのだ。

女王は、傲慢な貴族との政略結婚の悲哀を一身に受けているヴァイオラの境遇のことを知りつつ、この台詞を放ったのである。この台詞、名女優の彼女だからハマった言葉にして絶妙なものだったとぼくは思っている。

f:id:kantarocinema:20170523042527j:plain

(5)オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィア

比較的早くから、「シェイクスピアとは誰か?」という疑問が文学界や研究者たち仲間で飛び交っていたことはよく知られていることである。18世紀には、シェイクスピアの作品は一個人ではなく、集団によって書かれたと囁かれるようになり、やがて本格的な学術研究にまで及んでいった。

こうした疑念が飛び交うようになったことの最も大きな要因は、近世以降の世界で最も有名でかつ最大級の天才と称されながらも、シェイクスピア自身の作家活動や芸術観、あるいは戯曲作品そのものの本人の手書きによるものがほとんど「発見」されないということにあった。これほどの文人がまったくと言ってよいほどにその痕跡を遺していないのだ。

なにせ、劇作家・詩人でありながら、オリジナルな台本はもとより手紙や参照したと思われる書籍のリストすら見つからない。手許に残っているのは、土地の売買契約書や税をめぐる訴訟文書などであって、およそ文人生活とは無縁のものばかりである。どうしてこんな俗物的な男があれほどの作品を書くことができようか。

そうこうしているうちに、英米の名だたる文学者たちや精神分析家のフロイトまでが、「そもそも教養のない田舎者にこんなものが書けるわけがない」と、ストラットフォード・アポン・エイヴォン出身でグラマー・スクール(高等学校)しか出ていない男を蔑んだり、疑ったりするようになった。

第一、シェイクスピアの作品には貴族の香りがするというのに、大学も出ていない、ストラットフォードの職人の息子に、そんなことが理解できるとは思えないと、だんだん評判が悪くなる一方だ。

そこに登場したのが「シェイクスピアは別人だった」という推測や研究である。

一説によれば、今日までの間におよそ60人ほどの別人説が挙げられているという。それらの中でも最も有力ものが、イギリスの思想家・政治家フランシス・ベーコン、先にも紹介したクリストファー・マーロウ、そして文人・詩人として名の通ったオックスフォード伯エドワード・ド・ヴィアの三人である。 そして、単なる憶測を超えた本格的な研究の対象ともなり、一連のシェイクスピア作品とその生涯での出来事との符号も多いと見られるオックスフォード伯が最後まで残った。

伯は、シェイクスピアパトロン的な存在でもあったとされるエッセクス伯やサウサンプトン伯とも近しい関係にあったともされており、常に劇作家シェイクスピアの周辺に身を寄せているという点でも有力視される点が少なくない。

実際、彼は先にも触れたウィリアム・セシルのもとで当時のイングランドにおける文芸活動を監督する立場にあり、彼自身もフランス語やラテン語にも通じて幅広く文学作品に触れる力量を持ち合わせていた。田舎者のシェイクスピアとは異なり貴族の出で、歴史劇に登場する王宮の場面にも近しい身分だった。その上、フランスはもとよりイタリアのミラノヴェネツィア、シエーナにも旅行した経歴の持ち主だった。これに対して、シェイクスピアは一度も外国などに行ったことがなかった。ラテン語もどこまで理解できたのか怪しいものだ。

映画『もうひとりのシェイクスピア』は、このオックスフォード伯を主人公に、当時の権力政治を巧妙に絡ませつつ物語が進行する作品である。むろん、マーロウもベン・ジョンソンも、先のエセックス伯もサウサンプトン伯も登場してくる。そして、当のシェイクスピアはどうかと言えば、無教養で、文学的才能もなく、かつ慎みにも欠ける人物として描かれている。

この映画作品がいくぶん物足りなさを感じさせるのは、敢えて言えば、笑いがなく、話題を盛り込みすぎ、終始シリアスなままに物語を推移させてしまった点に求められるかもしれない。それでも、そのラスト近くになって、これがエリザベスの隠し子(?)と目される一人の若き貴族の処刑と共に、主人公にとっても底なしの悲劇であることを告げるシーンがあり、深い悲しみを残す作品ともなっている。

f:id:kantarocinema:20170523042529j:plain

ちなみに、この「シェイクスピア別人説」は、今日では学問的に一応の決着をみていると言ってもよい。何よりも大きな証拠は、シェイクスピアの死から7年後の1523年に出版された最初のシェイクスピア全集である。それは、役者として共に名を連ねたことがある二人、ジョン・ヘミングズとヘンリー・コンデルによって編纂されたもので、彼らはウィル、すなわちシェイクスピア本人をよく知っていた間柄だった。しかも、その全集には先のベン・ジョンソンが追悼文を献じてもいるのである。

その上、彼がグラマー・スクールを出た後、ランカシャー州で貴族の家に住み込みで雇われていた可能性が出て来た。とすれば、「田舎者が貴族の生活のことなんぞ書けるわけがない」という中傷にも応える証拠となる。その上、彼が高価な歴史書などに触れる機会もそこで与えられた証拠ともなる。しかも、それらの図書の中にはシェイクスピア本人の書込みも発見されているのである。

残された課題は、一体何故、あれほど好評を博する作品を書き続けていたシェイクスピアが、まだ働き盛りの年頃にもかかわらず、突然ロンドンを去って故郷の田舎に籠り、その創作活動を辞めてしまったのかという疑問だけである。この点については深い深い事情があるのだが、ここではこれ以上の穿鑿は止めて、時を改めて論じることにしよう。

(6)残酷な処刑シーンとピューリタン

映画『エリザベス』は、プロテスタントである異教徒たちの衝撃的な火刑シーンから始まった。

この当時、カトリック側は異端審問を強化し、新教徒たちを業火で焼く尽くすことによって恐怖支配を敷こうとしていた。神への最後の祈りを捧げる神父と泣き叫ぶ女の声ととともに場面は立ち現われ、そして群衆の目の前で山と積まれた薪に火がつけられて、あっというまに大きな焔となって燃え上がった。英国国教会に傾いたイングランドカトリックの国へと揺り戻そうとっしたメアリー一世は「ブラッド・メアリー」と呼ばるほど、プロテスタントには容赦のない迫害を加えていた。

これに対し、自らは生粋のプロテスタントでもあったウォルシンガムが極めたのはこれまた残忍極まりない、カトリックの反政府主義者への拷問だった。スコットランド女王の処刑も生首を切り落とすシーンとして登場する。

当時のヨーロッパは宗教戦争に明け暮れた時代だった。

ドイツでは30年戦争の最中に戦場となった主要な都市の人口が3分の1も減少したとの話も伝えられている。フランスでは、カトリックの側から「ユグノー」と呼ばれたプロテスタントを虐殺する事件が続き、遂にパリだけでも1日にして数千人に及ぶ大虐殺が展開された。首謀者の遺体は切り刻まれ、その頭部は焼かれて、切断された他の部位と一緒にセーヌ 川に投げ込まれた。「神」の名のもとに、人間がこれほどまでに残酷な悪魔になり下がった時代はほかにない。

こうした狂気と悲惨は、イングランドでも例外ではなかった。

ウォルシンガムによって摘発された陰謀事件に絡んだ二十歳の若者は、八つ裂きにされた上獄門となった。謀反に対する処刑は、見せしめのために残忍極まりないものとなった。イエズス会士(カトリック教徒)トマス・コッタムの場合、ロンドン市中を板に乗せて引きまわした上、首つり台に一度かけた後、まだ息のあるうちに引きずり下ろし、生きたまま腹を切り裂き、まだ辛うじて息のある当人の前でその内臓を焼き、それから首を切り落とした。そして引きちぎった遺体をバラバラにしたまま獄門に曝したのである。

イングランドでは、ローマ教皇庁やフランスやスペインとつながるだけでも国家を脅かすものとして警戒された。ましてや、イエズス会士としてスパイの疑いをかけられた者に対しては容赦がなかった。

加えて、今度はピューリタン(清教徒)たちの演劇攻撃が続いた。

シェイクスピアら劇作家らの活動には絶えず警察と道徳的な厳格主義を求める清教徒たちの目が光っていた。男女の淫らな(?)駆け引きや王の殺害、あるいは貴族を笑い、道化を使ってまで「真面目」をからかい、さらに妖精などを登場させて邪教(非キリスト教)の世界を信じ込ませるなど、劇場はペストなどの疫病と同じように「汚れたもの」と見なされ、とりわけロンドン市当局はこれに神経質なまでに干渉しようとしていた。また、生真面目な清教徒たちはそれを道徳的な攻撃の対象にすらしたのである。

恋におちたシェイクスピア』では、おそらく道徳的に最も厳格だった清教徒の一人であろうと思われる黒衣の男が、芝小屋の前で叫ぶシーンが二度ほど出てくる。

「役者どもは、女の心を乱し、子供に悪を教える。ここ(劇場)は、悪臭の根源だ」

そもそもピューリタンとは、厳格な潔癖主義者を揶揄する呼称として生まれた言葉で、彼らはプロテスタントの中でも徹底した改革を求めて、英国国教会の改革すら生ぬるいとして立ち上がった宗派の塊であった。シェイクスピアが活躍した時代には、反カトリックの急先鋒で、その極端な道徳主義は、キリスト教的な道徳の基準を脅かす文学や演劇を攻撃する社会運動を生み出したとされているが、それはやがてアメリカ独立革命まで繋がってゆくのである。

 

こうした激しい宗教対立と演劇文化への攻撃などにもかかわらず、かろうじて演劇の興行を続けることが出来たのは、エリザベス女王や続くジェームズ一世が公然とそれらの劇を楽しんだことに加えて、海軍大臣一座や宮内大臣一座、そして国王一座などの形態をとって特別の庇護の下に置かれたからでもあった。一見、陽気な喜劇に映るシェイクスピアの戯曲も、こうした世間の緊張した空気の中で創られ演じられていたのである。

それが後世になってエリザベス朝演劇と呼ばれる前代未聞の黄金時代を築き上げたのは、まさに歴史の奇蹟としか言いようがない。四つの映画は、そうしたシェイクスピアの時代を雄弁に伝える物語として鑑賞し、楽しむことができるものばかりである。

                                           (文:支根摩奸太郎)