清聴登場

映画・社会・歴史を綴る

松本清聴の映画講座4 『トランスアメリカ』

彼は、子どもときから男性であることに違和感を抱いていた。そして、世間体を重んじる一族のなかで、次第に孤独感を募らせていった。周囲の誤解に取り囲まれて、「孤独」はますます深まり、人が人を無意識のうちに傷つけ合う社会への強い違和感となってそれは膨らんでいった。「本当の私は何なの?」という素朴だが、深い自問を胸に、彼は「自分らしさ」に辿り着くための道を自ら選択しようと決意する。

‥‥‥‥‥‥‥

ロサンゼルスの片隅にひっそっり暮らすブリーは、「女」になることで確かな自分というものを取り戻そうとしている性同一性障害者である。すでにホルモン治療によって豊かな胸を持ち、トレーニングで女の声も身につけた彼女、いや彼は、周囲の無理解を肌で感じつつも、女になるための最後の手術を受ける日を愉しみにしている。「もう少しの辛抱で、私はは本当の私になれる」、そんな切々とした心の声が聞こえてくるようだった。

その彼も、過去にたった一度だけ、男として女と関わりを持ったことがあった。待ち望んでいた祝福の時を間もなく迎えようとしているある日、その女の子どもであり、父親である自分を探しているという少年が現れた。

激しく動揺するブリー。

父親どころか、種としての男すら捨てようとしていた矢先なのに、自分の息子かもしれない人間が現れたということは、あの投げ捨てた過去に自分を引き戻す<悪の力>が襲いかかってきたのも同然だった。

突然に訪れた現実から逃げ出し、当初の目的を果たそうとするブリーに対して、彼女、いや彼の最大のよき理解者であるセラピストのマーガレットが真実と向き合うことを勧める。それでも「最後の手術」にこだわり、事実から目をそらそうとブリーに、マーガレットは厳しい言葉をぶつける。

父親としての責任をはっきりさせるまで、あなたが手術することに署名することはできないわ」

彼女の署名が得られなければ、自分の夢を実現することも叶わないのだ。

人は一度ならずとも、人生の中における偶然の積み重ねを通じていつの間にか自分にあてがわれた役割、例えば、辛抱強い母親であるとか、貞節な妻であるとか、ひたすら勉強に精を出す親思いの子供であるとか、一家のために生真面目に働く父親であるとか、あるいは仕事熱心なサラリーマンであるとかいった役を演じることに疲れを感じて、逃げ出したくなることがあるものだ。外見ではその役割を立派に演じつつも、親としての、あるいは妻としての自分ではなく、すでに過ぎ去った、あの青春時代の輝きに生きた自分に立ち還り、そうすることによって「自己」を取り戻したいと願うときがあるのだ。

たとえ、世間がそれを逃避だとか、無責任だと決めつけようとも、心の奥からほとばしり出てくる、そうした強い衝動の前で、人はしばしば立ち往生し、「もう一人の自分」を発見する旅に出ることも珍しくはない。

ブリーは、ともかくこの重たい状況から「逃げ出したい」と本気で想っていた。本当の「自分」を手にするために、そうせざるを得ないと固く決意していた。

実は、息子がいるということは、ニューヨークの拘置所からかかってきた一本の電話で知ったのだった。少年は盗みの現行犯で警官に捕まったのだが、彼は男娼を仕事としていたという。ブリーは、マーガレットに説得されて仕方なく少年トビーを遠く離れたニューヨークまで迎えに行くことになった。ちょうど、あの「ダイ・ハード」で主人公がニューヨークからロサンゼルス向かったのとは逆のコースを辿って「彼女」は飛んだ。 戸惑いながらも、息子と対面するブリーだが、父親とは名乗ることができずに、トビーの誤解に乗じて、咄嗟の嘘をつく。  

「私は教会から派遣されて、あなたの世話をすることになったのよ」

つまり、信心深い尼さんの役割を演じることになったのだ。それが更なる誤解とすれ違いのドラマとなって、二人を人生のテストにかけてゆく。そして今度は奇妙な二人、つまり男娼だった少年と女になりきっている中年男のロード・ムービーが始まる。二人を乗せた車は広大な草原を走り抜け、小さな田舎道を通り過ぎて、これまた奇妙な人たちとの出会いを繰り広げていった。

スクリーンでは、不器用で、不格好な生き方しかできない中年女(のように見える)ブリーの仕草の1つひとつが滑稽味を誘う。自分の子どもに真実を隠しつつ、その一方で、精一杯の愛情を振り向けようと必死の努力を続ける「彼女」の姿に、やがて観客の僕たちも次第に惹かれていき、そしてこの想いがいつかトビーに伝わることを願うようになる。

だが、ニューヨークを発つときに生れた<嘘>と<誤解>はなかなかハッピーエンドにつながりそうもない。とうとう、<真実>がばれて、場面は一気に<破局>の様相をみせて展開する。「彼女」が男であることを知ったトビーは激しい嫌悪によって、ブリーを責め立てた。ふたたび<孤独>へと投げ出されたブリー。彼女のしゃがれた声とその不自然な化粧がなぜか悲しみをより深く刻み込んでくる。

それでも、長いアメリカ大陸横断の旅を通じて、二人は互いに反撥し合いながら、やがて共に惹かれ合い、そしていつしか心を開いていく。トビーもブリーの<優しさ>が本物であることに気づくようになる。しかし、それもつかの間、自分をまるで愛人のように思い込んで言い寄って来るトビーに、今度は自分がトビーの父親であることを明かして、二人の間は決定的なものとなるのだ。

そもそも、自己を取り戻すということは、単なる薬や手術によっては手にすることができない。それは、自分という存在を認めてくれる人との本物の出会いの中でしか実現し得えない。人は、<孤独>の中で必死にもがいていても本当の自分を見つけ出すことはできないのであって、生きている手ごたえを引き寄せるためにも、信頼できる他者からの「承認」が必要なのである。

やっと念願の「手術」を終えたというのにブリーの心は晴れないどころか、悲しみんの底へと沈んでいく…。

f:id:kantarocinema:20170607031649j:plain

この作品のテーマは実にシリアスなものだったが、場面はどこまでもユーモラスなままに推移した。なんと言っても、ブリー役を演じたフェシリティ・ハフマンの物静かだが、真摯な演技が光った。彼女は「本物の女優」、つまり正真正銘の女性なのだが、すぐれたメイキャップのおかげもあって、画面ではどことなく骨張って見え、それとなく男っぽいのだ。それが笑いを誘い、これが当事者にとって深刻なドラマであることを忘れさせるほどのユーモアを感じさせ、人間の温もりを醸しだしている。それがこの映画の持ち味となって拡がり、思わず、観る者をしてこう叫ばせるのである。

「人生って、捨てたもんじゃない!」

そして、ラストシーンを迎えるころには、もう僕はすっかりブリーの「よき理解者」となり、「よき友」となりきっていたのである。

‥‥‥‥‥‥‥

ところで、この映画は、1人のトランスセクシャルな人間を描いた作品であるが、標題の「トランスアメリカ」には東海岸から西海岸までの大陸横断(トランス・コンチネンタル)という原意と合わせて、「変わりつつあるアメリカ」との意味が込められているとも読めるものだった。アメリカでは、もうずいぶん以前から、道徳主義を唱える集団や人種主義をバックに他者を排除しようとする勢力がその勢いを高めている。そんな中でこの作品は、この国に「本当の優しさ」を取り戻すためのトランスレーションを求めているかのようでもあったのである。

松本清聴の映画講座3 「ドライビング・ミス・デイジー」

映画の記憶とは不思議なものだ。

ニーノ・ロータのあの独特のトランペット音楽が流れると、条件反射のように僕は、モノクロ映画『道』のジュリエッタ・マシーナの寂しげな顔を思い浮かべてしまい、突如、時間が止まる。それは、例えば、東京・中央線の四ツ谷駅のホームで電車を待っているときであったり、新宿のネオン街で、少し冷たい雨が降り注いでいる中を一人で帰り道を急いでいるときだったりする。そんなとき、僕の両耳に「トゥーラ トゥラーラー、トゥーラ、トゥラーラー、トゥラーラララーラ」という音が鳴り響き、思わず涙があふれ出そうな気分に襲われるのだ。

‥‥‥‥‥‥‥

どういうわけか、『ドライビング・ミス・デイジー』の場合、それは音楽ではなく、主人公のミス・デイジーの静かな声となって鳴り響いてくる。

あたりが真っ暗な世界。

その暗闇にぽつんと置かれた大きな車の後部座席で、一人ぽっちになったデイジーが細い声を上げるんだ。黒人の運転手を呼び戻そうとして。

「ホーク、ホーク、ホーク!」

返事はない。何も見えず、ホークの姿も現れない。一人の老いた女が真剣な声を発するも、それは闇のかなたに吸い込まれて弱弱しく消えていくだけである。

いまでも、『ミス・デイジー』のことを思い出すと、反射的に僕の耳に、そのジェシカ・タンディ(ミス・デイジーを演じている)が叫ぶ声が突然迫ってくる。そして僕の気分は少し沈み込み、あの映画のさまざまなシーンが走馬燈のようにくるくると回り出す。

これは本当に困ったものだ。

それと言うのも、僕には奇妙な癖があって、この「ホーク、ホーク!」と叫ぶ声が聞こえた瞬間、たとえどんな人ごみのなかにいても、もう他の声が聞こえなくなってしまい、映画の世界に舞い戻ってしまうことがあるからだ。

‥‥‥‥‥‥‥

ミス・デイジーは、元学校の教師をしていたという未亡人である。歳はもう70を超えている。夫の資産を受け、立派な大きな邸宅に住んでいる。家には、他に通いの黒人メイドが一人いるだけである。ある日、デイジーが黒い大きな車で出かけようとしたとき、手元が狂い路肩へ落ちてしまう。これがドラマの始まりである。

会社経営をしている息子のブーリー(ダン・エンクロイド)が、老いた母親を案じて、運転手を雇うことにするが、デイジー本人は、そんなもの要らないと言う。第一、私はそんな贅沢をしている人間とは見られたくないと、近所の目も気にしている様子だ。そうしたなか、一人の黒人が運転手として現れた。モーガン・フリーマン演じるホークの登場である。

ところが、このミス・デイジー、最初、とっても嫌味な女なんだね。気難しくって、底意地悪く、何かとホークにいやがらせをするんだ。台所のシャケ缶が一個なくなったと言っては彼を疑い、ホークの運転に応じず、車にも乗ろうとしない。小言をいいながらやっと同乗したかと思うと、「いつものコースとは違う」と駄々をこねては遠回りをさせる、ホント嫌味な婆さんだ。

それでも、ホークは毅然とした姿勢を崩さず、部屋の電灯の煤払いをしたり、庭を手入れしたり、運転以外のことでも、「自分は雇われているので」と言って黙々と仕事をしている。60歳になるまで南部社会で育ったホークにとって、白人のちょっとした意地悪に耐えることは当たり前のことだったのだろうか、彼は、いつも平然としたままだ。その姿が名優フリーマンの人物の大きさを感じさせ、僕は密かにホークに静かな声援を送りたい気持ちになったほどだった。

ホークがやってきてから3年後のある日、彼の運転で、デイジーは夫の墓参りに行く。

晴れた、とても穏やかな日和だ。

デイジーは墓の手入れをしながら、ホークに対して、知人の墓にも花を供えるよう指示する。

「その花、バウアーの墓へお願いね」

「どのお墓ですか?」

「確か、2列目の、あの辺よ」

背を向けて、デイジーは再び墓の手入れを始める。が、ホークは黙って立ったままだった。

「どうしたの?」

訝るデイジーに、ホークはこう答えるんだ。

「私、字が読めないんです」

デイジーは思わぬショックを受ける。そして、立ち往生しながら墓石の形状を訪ねるホークに対して、アルファベットの頭文字<B>と最後尾の<R>とを教えるのである。「だから最初の文字が‥」とデイジー、「ビー」とホーク。「最後の文字は?」「アール」。僕には、まるで二人が、わずか二つの文字を挟んで、楽しそうに会話しているように見えたものだった。

その歳の暮れの、クリスマスの夜、デイジーは密かにホークの家を訪ねて、玄関口で一つのプレゼントを贈る。それは、彼女が小学校の教師時代に使っていた国語の教科書だった。

「まだ、使えるわ。でも、練習しなきゃだめよ」

「ええ、奥様」

敬虔なユダヤ教徒であるデイジーは、「これは、クリスマス・プレゼントではありませんからね」と断り、そして「ブーリーたちには内緒よ」と言い残して立ち去る。僕は、自分のなかに何か熱いものがこみ上げてくるのを感じ、そして何故か「ホッと」した気分に包まれてしまった。

それからどれほどの季節(とき)が流れたのであろうか。アラバマ州の小さな町の伯父さんの家へ、誕生日を祝いに出かけることになった。何もない田舎道をゆっくり走っていると、二人の若い白人警官に呼び止められる。デイジーには登録証を、ホークには免許証を見せろと横柄に振る舞っている。そのとき、やつらはこんな捨て台詞を吐くのである。

「なんだぁ、ニグロのじじぃとユダヤのばばぁか。」

まだ人差別が色濃く残っていた南部で、デイジーが、ホークと二人きりであるとことを知らされるシーンである。

f:id:kantarocinema:20170531023505j:plain

車は言葉少なになったまま夜道を走り続ける。突然、道のど真ん中で、ホークはヘッドライトをともしたキャデラックを停めた。

「どしたの?」

「ちょっと、用をたしてくるだけです」

「さっきドライブインに寄ったばかりじゃないの」

「黒人がトイレを利用できないことは分かっているはずです」

「停まっている余裕なんかないわ。我慢しなさい!」

「いいえ、私は出て行きます」

≪ブラック、お断り≫の札がトイレの前に貼ってあることが珍しくない時のことである。ホークは初めてデイジーの命令に従わなかった。ドアを開けて外に出たホークの姿が闇の中へと消えていく。

時間が静かに流れる。デイジーは車の中でじっとしているが、次第に不安が募ってゆく。そして、思わず、彼女はその黒人運転手の名を呼んで叫ぶのである。

「ホーク、ホーク、ホーク!」

もはや、デイジーにとって、ホークはそこにいなくてはいけない人になっている! 

僕は、体温が一気に上昇するような気分に襲われた。そして、僕の耳には、デイジーの細い声がいつまでも鳴り響くのである。

それにしても、ジェシカ・タンディモーガン・グリーマン、とっても贅沢な組み合わせだね。この二人にして、この作品は「名画」にふさわしい出来映えを残すことが出来たと、僕は今でも思っている。

                             (文:志根摩奸太郎)

松本清聴の映画講座2 「シェイクスピアの時代と四つの映画」

20世紀も終わりを迎えた、いわゆる世紀末転換期に、400年以上も前の英国に生れた劇作家シェイクスピアの消息と時代を伝える映画が相次いで制作・公開された。まず、1998年に、『恋におちたシェイクスピア』が公開され、第71回アカデミー賞で作品賞をはじめ7部門で受賞するなど、この年の快挙の1つとなった。同じ年、エリザベス一世の半生を描いた『エリザベス』が公開され、上記の作品と同時にアカデミー賞の7部門でノミネートされて、メイクアップ賞を受賞している。

2007年には、ほぼ同じスタッフとキャストで、今度は『エリザベス:ゴールデン・エイジ』が、第80回アカデミー賞の衣裳デザイン賞を受賞した。そして2011年、シェイクスピア研究でも話題となっていた「シェイクスピア別人説」を題材とする『もうひとりのシェイクスピア』が公開された。

二つの『エリザベス』は共にイギリス映画、あとの二つはアメリカ映画および米・独合作の作品である。

‥‥‥‥‥

この四作とも、16世紀後半及び17世紀初頭のイングランドを舞台としており、かつその再現に工夫を凝らした作品であるという点で共通し、このため、そのいずれも華麗な映像美が観る者を魅了する、映画ならではの強みを存分に発揮した作品となっている。

実際、この時代の宮廷や国王の演じる様々なペイジェント(祝祭)は、当時の観客たちにとっても眩いばかりの壮麗な仕掛けが施されていたのであって、現代のぼくたちがその華麗さに圧倒されるのと同じように、あるいはそれ以上に、まさにこの世の「祝福」の瞬間が訪れたとの感慨をもって眺めたに相違なかった。そうした400年以上も前のシーンにめぐり合えるだけでも、これらの作品に触れる十分な価値があろうというものだ、と思う。

とは言え、ストーリーを読み解くとなると、話はそう簡単ではない。なにせ、この四作を理解するには、16,17世紀イングランドの歴史を承知していなくてはならず、またシェイクスピアをめぐっての様々な議論や学説についても幾分なりともその知識を持って臨まなければならない。

むろん、ぼく自身は、自分の怠惰を別としても、映画作品はそれ自体を楽しむことに最大の価値があると信じているので、余分な知識なんぞ無理して手繰り寄せるまでもない、という考えの方を気に入っている。

まず、作品を楽しもう!

そして、興味が湧いたら、その背景を追ってみたらいい。

ま、そんな調子だから、歴史の深みを知ろうなんぞといった、大げさな意見は毛頭呼びかけるつもりはない。そもそも、映画に限らず、小説やその他の文学作品をはじめ、絵画・彫刻、音楽などのいわゆる芸術作品はもとより、はてはデザイン、アニメやポップ・カルチャーを含めて、そこに、それを鑑賞する者がどのように心を動かされるのかが大事なのであって、ある意味ではそれ以上でもそれ以下でもない、とぼくは思っている。

大切なことは、それらと対面して、人々がそこで自身に迫る「ある体験」を覚えることが重要なのである。その瞬間が、たとえば、一人の老いた男の後ろ姿であったり、美しい女性の大きな瞳であったり、息が苦しくなるほどの切なさや、今すぐにも逃げ出したくなる恐怖の瞬間、あまりにも格好良すぎる主人公の振舞いや台詞、あるいは深い余韻を伴う美しいラストシーンであるなど、どれでも結構だというものだ。

それでもやはり、これら四つの作品は、その背景となる当時のイングランドの歴史をほんの少し理解しているだけでも、さらに何倍も面白く楽しむことが叶うのも事実であろう。

「知識のための知識」は必要ないが、「見る目をもっと深くする」ための予備知識は決して無駄ではないと思うのである。

‥‥‥‥‥

ここで、これらの作品を読み取る上で必要だとぼくが勝手に思い込んでいる最小限のリストを紹介しよう。 第一は、むろん、エリザベス一世。第二は、フランシス・ウォルシンガム。第三は、クリストファー・マーロウとベン・ジョンソン。第四は、上流階級の娘ヴァイオラ。第五は、オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィア。そして第六は、残酷な処刑シーンとピューリタン。え? 肝心のシェイクスピアが入っていないじゃないかって? いやいやこれは失礼。でも、ここではシェイクスピアは堂々たる「主役」なのだから、敢えてご登壇いただなくても結構。舞台では、その周りを固めることが先であろう。

(1)先ず、エリザベス一世

この女性は、絶対君主を誇ったヘンリー八世の二番目の妻の娘である。ただし、その妻であったアン・ブーリンは王の手によって処刑されている。だから、エリザベス本人は、その後、田舎の城に軟禁された生活を送っていた。それが突如、王として担ぎ出されたのは、ヘンリー国王の最初の妻の娘で、エリザベスにとって異母姉であったカトリックのメアリー女王が急逝したためだった。

エリザベスはわずか25歳で、イングランド女王になった。

16世紀末にイングランド国王となった彼女のことを知ろうと思えば、次の三つのことを念頭においておくといい。

当時のイングランドは、まだヨーロッパの片隅の小国でしかなかった。その国が、ヘンリー八世の離婚問題を契機にして、ヨーロッパ世界で当時絶対的な権威をほしいままにしていたローマ・カトリック教会との全面対決に向けて走り出していた。島国イングランドの対岸では、大国であるフランスとスペインがいつこの脆弱な国を攻めて来るかもわからなかった。そんな折に、事もあろうか、若すぎる女の国王がその座に坐ったのであるから大変だ。エリザベスの周辺には、「これじゃもたない」と思ったのであろう、スペインやフランスの皇族や宮廷人らとの婚姻を勧める者も少なくなかった。だが、女王本人は、別の思惑もあってそうした誘いを頑なに拒み続けていた。

さて、テレビは当然のこと、写真もない時代のことだから、国民の多くは、エリザベス女王がどんな人か知る機会も観る機会もなかった。かろうじて、それを伝えることができたのが絵画、すなわち肖像画であった。本人は自分の絵姿を見るのがあまり好きじゃななかったようで、実物を写したとされる絵画は一点だけとも言われているが、それはともかく、実在したエリザベス一世を伝え、後世にも残すことができたのは、わずかに肖像画だけだったのである。

それほどに貴重なものだったから、宮廷のお歴々は、女王の肖像画の偽物が出回ることを防ごうとやっきになっていたという。数々の対策を講じたが、庶民の中の自称「画家」が書いたという肖像画が町に出回ることを防ぐことはできなかったらしい。ロンドンや地方に居を構える貴族たちがそれを邸宅に飾ることを辞めなかったためでもある。かくして、いつまでも若く、気品に充ち溢れ、そして華麗な衣装に身を包んだ女王のイメージが拡散していった。

映画の中の煌びやか衣裳や装飾も、決して誇張ではなく、実際にそうして普及したイメージを彷彿とさせるものになっている。こうして一方で、華やかで、厳かなエリザベスのイメージが創られていったのであるが、それがまた、他方では、1人の、生身の女性としてのエリザベスを記憶の外へと追いやる事由ともなった。

映画の素晴らしさは、若干の伝記本めいた書物を除けば、そうした一人の女性としての存在に光を当てて、それを見事に描き尽くして見せるという点にある。 エリザベスは、第一幕(1998年の作品)では、ロバート・ダドリーとの逢瀬を楽しむ一方、それに関わって「嫉妬」にも苦しむ一人の女として描かれている。第二幕(「ゴールデン・エイジ」)においては野性味あふれるウォーター・ローリーに惹かれる女としての切ない表情を覗かせる。

もう一つ、エリザベス一世の時代は、カトリックプロテスタント、あるいはカトリック英国国教会との対立抗争が凄惨を極めた時代でもあった。父親のヘンリー八世がローマ教皇庁からの独立を成し遂げた頃はそれでもまだ寛容な宗教政策が残っていたが、この頃になると、それも許されない状況が次々と発生した。先ず、スコットランド女王メアリーを担ぎ上げてカトリック復権を狙う勢力があった。しかも、フランスにはこの当時スコットランドを自領の1つであると主張する者もあった時代である。いつエリザベス王政の転覆を謀るかもしれないという危機がひたひたと迫っていた。さらに、カトリックの盟主を掲げるスペインが刻々と機を窺って、イングランドを攻め込もうとしていた。当時は圧倒的な海軍力を誇る軍事大国である。「女じゃ、もたない」と思う気持ちもわからないではないような気がする、そんな状況だった。

そうした状況のなかで、やがて実らぬ恋心も捨てて、彼女は一国の未来を担う女王としての威厳を見せるようになる。  

即位後、エリザベスは父ヘンリー八世が道を開いた英国教会、すなわちプロテスタンティズムに統一する指令を発する。その鮮やかなシーンを披露したのが、イングランド議会における採決場面であった。意を決したエリザベスは、黒づくめの衣裳姿の議員たちが待ち構える議事堂に単身その若き姿を現す。それも、ただ一人真紅のドレスを身に纏い、誰がこの場の主人なのかを鮮明に印象づけるかのように登場するのである。そして雄弁をふるい、英国国教会への統一を掲げた勅令の採択を議会に迫った。議会は5票の僅差で新女王の提案を可決する。

この時、若き女王が口にする台詞がこの作品の総てを語ることになる。

エリザベスは言った。

「共通の目的(コモン・パーパス)」のために、そして「英国の徳(ヴァーチュ・オブ・イングランド)」のために。

さらに彼女は言い放った。

「ノット・フォア・マイセルフ、バット・フォア・マイ・ピープル」

まさに、ヨーロッパの端の小さな島で、近代的な意味での「国家」が誕生した瞬間だった。それは、一つの明確な「主権」を持った存在として、「国民」という明確な身体を持った存在として立ち現われたのである。

二つの映画『エリザベス』と『ゴールデン・エイジ』では、ケイト・ブランシェットが人間的で理智的、そして成長する女王を見事に演じている。けれども、『恋におちたシェイクスピア』に登場する少々齢を重ねた、ジュディ・デンチ演ずるエリザベス一世もまた魅力的である。それについては、また後ほど触れることにしよう。

f:id:kantarocinema:20170523042526j:plain

(2)フランシス・ウォルシンガム登壇

この男、訳あって、若い頃にヨーロッパ大陸の大学で学ぶ機会を持ち、そうした在外経験が国際政治に対する鋭い洞察力をもたらしていた人物だった。そして、当時エリザベス宮廷で絶大な影響力を行使していた国王府の長官ウィリアム・セシルの部下となって採用され、女王付きの秘書官となる。その彼がやがて大きな力を発揮することになるのが、フランス、オランダやスコットランドはもちろん、ドイツやイタリアにも張り巡らされたスパイ網の構築であった。

すでに述べたように、まだうら若い女王を抱いたばかりのイングランドは、国内の宗教対立に加えて、周辺国や遠くイタリアのカトリック勢力からもその命を狙われ、まさに四面楚歌の状態にあった。とうとう、ある事件をきっかけに、ローマ教皇庁エリザベス女王の殺害を命じたという話まで出る始末だった。いや、実際にカトリックの拠点、スコットランド経由で、教皇庁の刺客が送られてくることも行われたのである。

そうした中で、彼がその存在を歴史に記した大きなスパイ事件がある。ローマ教皇庁は、1580年にイングランド女王エリザベスを破門にし、やがて、「神の国の悪魔」となった彼女を暗殺した者は天国に召されることになろうとのお墨付きを与えてしまった。そして、フランスとも組んで、一国の国王を抹殺する計画にも加担することになる。ウォルシンガムはこの陰謀の手紙を入手して、運び屋を拷問にかけて自白させ、彼らを処刑もしくは国外追放した。続けて、今度はスペインのイングランド侵攻が迫る中で、大陸で陰謀事件に加わった男がローマ教皇庁の許しも得てインフランドに上陸したところを捕らえて、メアリー関与の動かぬ証拠を手に入れる。いわゆるバビントン事件の発覚である。こうして、カトリック勢力の中核的存在として期待を集めていたメアリーも処刑され、エリザベスの地位を脅かす勢力が除去されることとなった。

女王本人は、寡黙でニコリともしないこの男をあまり好きにはなれなかったらしいようであるが、それでもいざという時には、彼を頼ったと言われている。

映画『エリザベス』の中で、まだ若いエリザベスが王宮内でも影のように寄り添ってくるウォルシンガムとこんな会話を交わすシーンが出てくる。

「あなたは、どうしていつも私の跡をついて来るの?」

「あなたをお守りするためです。すべてから守るためです」

余談になるが、エリザベス一世父親でもあるヘンリー八世の治世には、そうしたスパイ網を構築した人物として、トマス・クロムウェルという男がいた。ぼくはこの男こそが、近世イングランド国民国家へと押し上げる上で欠かせない人物だと思っているのだが、彼もまたヨーロッパ中にスパイ網を張り巡らし、ローマ・カトリックの支配からイングランドを自立させ、英国の独立と初期の近代化を成し遂げることに大きな役割を果たした人間であると考えている。このトマス・クロムウェルとフランシス・ウォルシンガムと続いた英国がやがて世界に誇る諜報網を創出して、21世紀の今日でもその力量はアメリカをも凌ぐほどだとさえ言われている。007の母国は、長い試練の時を経て歴史的に創造されたのである。

ちなみに、ウォルシンガム役を演じているジェフリー・ラッシュというこのオーストラリア出身の役者は、なかなかの曲者で、主役や脇役はもちろん、劇画的な作品にも、シリアスな作品にも、どれに登場しても存在感のある男である。ぼくはと言えば、彼自身のハリウッド・デビューを飾った『シャイン』のピアニストも魅惑的だが、『レ・ミゼラブル』でのジャヴェール警部にすっかり魅せられた記憶が鮮明に残っている。彼は、このシェイクスピア時代の四部作の1つ、『恋におちたシェイクスピア』の中では、今度はちょっと間の抜けた、気の弱い劇場のオーナー役を演じている。

f:id:kantarocinema:20170523042530j:plain

(3)クリストファー・マーロウとベン・ジョンソン

この二人は、言わずとも知れたエリザベス朝演劇の代表的人物である。

ここに挙げたシェクスピアを題した映画作品ではさして大きな存在としては描かれていないが、マーロウは、世界史上稀有な時代を画した、いわゆるエリザベス朝演劇の勃興期に、最も突出した「大学出の劇作家」の一人だった。彼が書き上げた悲劇・史劇は、シェイクスピアの作風にも大きな影響を与えたと今日でも言われるほどの存在であった。たとえば、彼の『マルタ島ユダヤ人』の主人公バラバスは、しばしば『ヴェニスの商人』のシャイロックのモデルになったと指摘する者もいるくらいだ。

マーロウは、シェイクスピアと誕生日も近いまったくの同年代であるが、庶民階級出身でありながら、やがてケンブリッジ大学を出て、同輩たちの中でも傑出した劇作家としての才能を発揮した。しかし、売れに売れだしたという頃のまだ29歳の時に居酒屋での口論がきっかけとなった騒動で傷を負い、死亡している。そんなことから、後世になっても、しばしば「もし、マーロウが生きていたら、シェイクスピアは生まれていなかったも知れない」という話題が上るほど惜しまれた男であった。

実は、このマーロウっていう若者は、23歳で文学修士となったものの、出席日数が足りないため危うくその学位が獲得できないという事態になった。ところが何故か、女王の枢密院からの直接の働きかけで難を逃れたという奇妙な経歴を持っている。この謎めいた経緯から、長い間、彼はウォルシンガムの下でスパイ活動に関わっていたと見られきた(そのスパイ活動のために日数不足が生じたという訳だ)。そして、今日では騒動に参加した仲間も含めてスパイ活動をしていたことが判明している。とすれば、マーロウの死も、単なる酔っ払い同士のトラブルでは片付かないことになるが、真相はいまだ不明なままである。

これも余談であるが、21世紀の最近になって、オックスフォード大学当局が、ビッグデータ調査に基づき、シェイクスピアの44作品のうち、17作品が他の作家との共著であるとの発表を行なった。中でも、史劇三部作『ヘンリー六世』はクリストファー・マーロウとの共作だと断定までしたのである。マーロウの亡霊は、いまでも健在なようである。

このマーロウは、『もうひとりのシェイクスピア』ではほんの少し登場してくるだけであるが、『恋におちたシェイクスピア』では当時の演劇世界ではシェイクスピアも及ばぬ劇作家として立ち現れている。そして、シェイクスピアの、まだ人気を博するかどうかもわからぬ戯曲にもとづいてドタバタの芝居練習をしているところへ、「マーロウが死んだ!」という報せが飛び込んでくるのである。

ベン・ジョンソンは、シェイクスピアやマーロウより幾分若いものの、同時代人の一人であることには変わりがない。エリザベス一世時代の終わりと続くジェームズ一世時代を通じて最高の劇作家・詩人として当代においても認められた存在であり、『錬金術師』や『ヴォルポーネ(狐)』などの優れた喜劇作品はもとより、そのシェイクスピア論(「わが同胞シェイクスピアについて」)などは同時代人としての証言価値が極めて高いのものであるとされている。

「彼(シェイクスピア)は正直で、自由闊達な性質を備えていた。素晴らしい空想力と、見事な着想と、優雅な表現をもっていた。」

「(但し)しばしば役者たちが、シェイクスピアを讃える言葉として、彼は(何を書いても)一行も消したことがないと言っていたのが思いだされる。これに対する私の答えは、彼が千行も消してくれていたら、というものである。」

ベン・ジョンソンは、その想像力の奔放さがむしろ「欠点」ですらあったと指摘しているのである。つまり、完成度の低いままに作品を表に出した人だと批評している。

それでも、ジョンソンは、「彼は、自分の短所を長所で補った。彼には許されるべき欠点よりも、褒められるべき長所の方が、ずっと多かった」と付け加えることを忘れなかった。

彼はまた、イタリア・ルネサンス時代のダンテやペトラルカにも匹敵する「桂冠詩人」としての称号を与えられたほどの文化人であった。けれども、ジェームズ一世時代にあまりに権力に身を寄せ過ぎたせいか、作品そのものは次第に柔軟性・創造性を失っていったとも言われている。

映画『もうひとりのシェイクスピア』では、準主役の地位を占めて登場し、オックスフォード伯の秘密を深く知る唯一の人間として、歴史の生き証人ともなっている。

ちなみに、後により厳密なシェイクスピア全集の校訂・編纂に取り組んだ18世紀イギリスの文学者・詩人・批評家サミュエル・ジョンソンは、シェイクスピアの作品は「人生を写し出す鏡」であるといった言葉を残した人物であるが、その彼もまたシェイクスピアの偉大さを称賛する一方で、その短所にも言及することを忘れない、公平さを持ち合わせていた。ぼくは、この二人のジョンソンのシェイクスピア批評こそ、等身大のシェイクスピアを記したという点で歴史に残る貴重な証言あるいは史料だと思っている。

(4)舞台をシェイクスピア風に仕立てるヴァイオラ

シェイクスピアが凄いのは何といっても、悲劇や歴史劇とともに、喜劇も書いたという点にある。というのも、当時はまだ、ギリシア・ローマの古典解釈に従って、喜劇と悲劇とはまったく別のジャンと受け止められていたのであり、この時代でも両方を一度に手がける者は珍しかったとされている。ぼく自身は、少なくともシェイクスピアの作品を悲劇・喜劇の二分法で分類することに大きな意味はないと考えている一人であり、まさにその混在の中にこそ、シェイクスピアらしさ、彼の独創性が存分に発揮されていると思っている。

ところで、シェイクスピアの作品の中には、とりわけ喜劇に分類されてきたもののうちには、ずいぶんといい加減な軽い表題をつけたものが珍しくない。その好例が『お気に召すまま』である。これは自作のタイトルからして、舞台を観る観客にその主題を任せているようなもので、まさに客に下駄を預けた格好になっている。実は、ヴァイオラが登場する『十二夜』もまた、その副題に「あるいはお好きなように」と付けられている。どこまでが真面目なのかだんだん分らなくなってしまいそうだ。

それでは、「十二夜」に何か特別な意味が込められているのかというと、これもそうでもないらしい。要は、キリスト教の顕現日で、クリスマス後から数えて12日目の1月6日を指して使われている用語にすぎない。ただし、この十二夜には盛大な宴を催すことが習わしだった。要は、「どんちゃん騒ぎ」という訳だ。そういえば、ヨーロッパでは、クリスマスから1月6日までを通しで「正月」と見た立てているところが少なくないようだ。

この作品(「十二夜」)は、“陽”を演じるヴァイオラを中心とするプロットと“陰”を含んだマルヴォーリオを複線とするプロットが絶妙に絡み合って奥行きを創り上げていて、シェイクスピアの陽気な作品の中でも最も円熟した作品であると言われている。

その「十二夜」で、ヴァイオラは、男装した姿で、舞台に登場する。彼女は海難行に遭遇して方知れずになった双子の兄になりかわるようにして男装し、イリリア公爵オーシーノの前に姿を現す。そして、男への変身がもたらす錯覚を楽しみながら時を過ごす。しかし、男に扮した彼女が、次第にこの若き侯爵に強い恋心を抱くようになることからドラマが転がり始めるのである。この男と女の二重性が笑いを生む一方で、女である自分を隠すことから悲哀をも醸し出す、とういう仕掛けになっている。台本だけでは、彼女の美貌を理解することは難しいが、ヴァイオラもまた相当の美人ようだ。美しい若者とこれまた美しい女がすれ違いと駆け引きを演じるこの芝居に観客は魔法にかかったかのように引き寄せられてゆく、そんな劇作である。

いや、『恋におちたシェイクスピア』に登場するヴァイオラは、文句なしの美女である。それもどういう訳か女であるがままのドレッシーな姿の彼女より、少年の身なりに変装した彼女の方がずっと魅力的に見えるのだから不思議だ。

f:id:kantarocinema:20170523042528j:plain

エリザベス朝の時代は、まだ女性が舞台に立つことは許されていなかったため、成人男性が女装したり、あえて変声期前の、女性っぽい少年を登用したりしていた。ということは、舞台の上で、女性として登壇した役者が実は男であることを観客は承知していたというわけである。

ところが、この作品では、舞台役者になりたいと切望する女が男装して自己を偽り、舞台の上で今度は女装した男の役者として演じるのだから、話はややっこしい。そこでは、芝居小屋の観客もその騙しを見抜けないまま事態が進行することになる。そして劇場の中に詰めかけた観客に代わって、映画を観ているぼくたちが、その黙契の秘密をのぞき込んでいるのである。

ともあれ、シェイクスピアは、この周囲を惑わせる多重の性交錯を巧みに利用して、喜劇に厚みを与え続けた作家であった。映画『恋におちたシェイクスピア』では、こうしたトリックを現代の観客にだけ分かるような形で取り入れて、リズムカルで、陽気な作品として仕上げている。

作品のクライマックスでシェイクスピアの新作(「ロミオとジュリエット」)の上演が、本物の「女」を登壇させたということで宮内長官指揮下の官憲が劇場に踏み込んでくるシーンがある。「女」とはもちろんヴァイオラのことであるが、この時、上演を観にきていたエリザベス女王(ジュディ・デンチが扮している)が、実に絶妙なセリフを吐いて、その場を見事に収めることになる。

イングランドの女王が風紀紊乱の場に姿を見せるとでも。それは、あり得ないこと」

そして、「女」と目されたヴァイオラに向かってこう言うのである。

「人の目を欺く、その容姿。宮内大臣が勘違いをするのも当たり前」

と、むしろ役者を褒める言葉で結んだのだ。

女王は、傲慢な貴族との政略結婚の悲哀を一身に受けているヴァイオラの境遇のことを知りつつ、この台詞を放ったのである。この台詞、名女優の彼女だからハマった言葉にして絶妙なものだったとぼくは思っている。

f:id:kantarocinema:20170523042527j:plain

(5)オックスフォード伯エドワード・ド・ヴィア

比較的早くから、「シェイクスピアとは誰か?」という疑問が文学界や研究者たち仲間で飛び交っていたことはよく知られていることである。18世紀には、シェイクスピアの作品は一個人ではなく、集団によって書かれたと囁かれるようになり、やがて本格的な学術研究にまで及んでいった。

こうした疑念が飛び交うようになったことの最も大きな要因は、近世以降の世界で最も有名でかつ最大級の天才と称されながらも、シェイクスピア自身の作家活動や芸術観、あるいは戯曲作品そのものの本人の手書きによるものがほとんど「発見」されないということにあった。これほどの文人がまったくと言ってよいほどにその痕跡を遺していないのだ。

なにせ、劇作家・詩人でありながら、オリジナルな台本はもとより手紙や参照したと思われる書籍のリストすら見つからない。手許に残っているのは、土地の売買契約書や税をめぐる訴訟文書などであって、およそ文人生活とは無縁のものばかりである。どうしてこんな俗物的な男があれほどの作品を書くことができようか。

そうこうしているうちに、英米の名だたる文学者たちや精神分析家のフロイトまでが、「そもそも教養のない田舎者にこんなものが書けるわけがない」と、ストラットフォード・アポン・エイヴォン出身でグラマー・スクール(高等学校)しか出ていない男を蔑んだり、疑ったりするようになった。

第一、シェイクスピアの作品には貴族の香りがするというのに、大学も出ていない、ストラットフォードの職人の息子に、そんなことが理解できるとは思えないと、だんだん評判が悪くなる一方だ。

そこに登場したのが「シェイクスピアは別人だった」という推測や研究である。

一説によれば、今日までの間におよそ60人ほどの別人説が挙げられているという。それらの中でも最も有力ものが、イギリスの思想家・政治家フランシス・ベーコン、先にも紹介したクリストファー・マーロウ、そして文人・詩人として名の通ったオックスフォード伯エドワード・ド・ヴィアの三人である。 そして、単なる憶測を超えた本格的な研究の対象ともなり、一連のシェイクスピア作品とその生涯での出来事との符号も多いと見られるオックスフォード伯が最後まで残った。

伯は、シェイクスピアパトロン的な存在でもあったとされるエッセクス伯やサウサンプトン伯とも近しい関係にあったともされており、常に劇作家シェイクスピアの周辺に身を寄せているという点でも有力視される点が少なくない。

実際、彼は先にも触れたウィリアム・セシルのもとで当時のイングランドにおける文芸活動を監督する立場にあり、彼自身もフランス語やラテン語にも通じて幅広く文学作品に触れる力量を持ち合わせていた。田舎者のシェイクスピアとは異なり貴族の出で、歴史劇に登場する王宮の場面にも近しい身分だった。その上、フランスはもとよりイタリアのミラノヴェネツィア、シエーナにも旅行した経歴の持ち主だった。これに対して、シェイクスピアは一度も外国などに行ったことがなかった。ラテン語もどこまで理解できたのか怪しいものだ。

映画『もうひとりのシェイクスピア』は、このオックスフォード伯を主人公に、当時の権力政治を巧妙に絡ませつつ物語が進行する作品である。むろん、マーロウもベン・ジョンソンも、先のエセックス伯もサウサンプトン伯も登場してくる。そして、当のシェイクスピアはどうかと言えば、無教養で、文学的才能もなく、かつ慎みにも欠ける人物として描かれている。

この映画作品がいくぶん物足りなさを感じさせるのは、敢えて言えば、笑いがなく、話題を盛り込みすぎ、終始シリアスなままに物語を推移させてしまった点に求められるかもしれない。それでも、そのラスト近くになって、これがエリザベスの隠し子(?)と目される一人の若き貴族の処刑と共に、主人公にとっても底なしの悲劇であることを告げるシーンがあり、深い悲しみを残す作品ともなっている。

f:id:kantarocinema:20170523042529j:plain

ちなみに、この「シェイクスピア別人説」は、今日では学問的に一応の決着をみていると言ってもよい。何よりも大きな証拠は、シェイクスピアの死から7年後の1523年に出版された最初のシェイクスピア全集である。それは、役者として共に名を連ねたことがある二人、ジョン・ヘミングズとヘンリー・コンデルによって編纂されたもので、彼らはウィル、すなわちシェイクスピア本人をよく知っていた間柄だった。しかも、その全集には先のベン・ジョンソンが追悼文を献じてもいるのである。

その上、彼がグラマー・スクールを出た後、ランカシャー州で貴族の家に住み込みで雇われていた可能性が出て来た。とすれば、「田舎者が貴族の生活のことなんぞ書けるわけがない」という中傷にも応える証拠となる。その上、彼が高価な歴史書などに触れる機会もそこで与えられた証拠ともなる。しかも、それらの図書の中にはシェイクスピア本人の書込みも発見されているのである。

残された課題は、一体何故、あれほど好評を博する作品を書き続けていたシェイクスピアが、まだ働き盛りの年頃にもかかわらず、突然ロンドンを去って故郷の田舎に籠り、その創作活動を辞めてしまったのかという疑問だけである。この点については深い深い事情があるのだが、ここではこれ以上の穿鑿は止めて、時を改めて論じることにしよう。

(6)残酷な処刑シーンとピューリタン

映画『エリザベス』は、プロテスタントである異教徒たちの衝撃的な火刑シーンから始まった。

この当時、カトリック側は異端審問を強化し、新教徒たちを業火で焼く尽くすことによって恐怖支配を敷こうとしていた。神への最後の祈りを捧げる神父と泣き叫ぶ女の声ととともに場面は立ち現われ、そして群衆の目の前で山と積まれた薪に火がつけられて、あっというまに大きな焔となって燃え上がった。英国国教会に傾いたイングランドカトリックの国へと揺り戻そうとっしたメアリー一世は「ブラッド・メアリー」と呼ばるほど、プロテスタントには容赦のない迫害を加えていた。

これに対し、自らは生粋のプロテスタントでもあったウォルシンガムが極めたのはこれまた残忍極まりない、カトリックの反政府主義者への拷問だった。スコットランド女王の処刑も生首を切り落とすシーンとして登場する。

当時のヨーロッパは宗教戦争に明け暮れた時代だった。

ドイツでは30年戦争の最中に戦場となった主要な都市の人口が3分の1も減少したとの話も伝えられている。フランスでは、カトリックの側から「ユグノー」と呼ばれたプロテスタントを虐殺する事件が続き、遂にパリだけでも1日にして数千人に及ぶ大虐殺が展開された。首謀者の遺体は切り刻まれ、その頭部は焼かれて、切断された他の部位と一緒にセーヌ 川に投げ込まれた。「神」の名のもとに、人間がこれほどまでに残酷な悪魔になり下がった時代はほかにない。

こうした狂気と悲惨は、イングランドでも例外ではなかった。

ウォルシンガムによって摘発された陰謀事件に絡んだ二十歳の若者は、八つ裂きにされた上獄門となった。謀反に対する処刑は、見せしめのために残忍極まりないものとなった。イエズス会士(カトリック教徒)トマス・コッタムの場合、ロンドン市中を板に乗せて引きまわした上、首つり台に一度かけた後、まだ息のあるうちに引きずり下ろし、生きたまま腹を切り裂き、まだ辛うじて息のある当人の前でその内臓を焼き、それから首を切り落とした。そして引きちぎった遺体をバラバラにしたまま獄門に曝したのである。

イングランドでは、ローマ教皇庁やフランスやスペインとつながるだけでも国家を脅かすものとして警戒された。ましてや、イエズス会士としてスパイの疑いをかけられた者に対しては容赦がなかった。

加えて、今度はピューリタン(清教徒)たちの演劇攻撃が続いた。

シェイクスピアら劇作家らの活動には絶えず警察と道徳的な厳格主義を求める清教徒たちの目が光っていた。男女の淫らな(?)駆け引きや王の殺害、あるいは貴族を笑い、道化を使ってまで「真面目」をからかい、さらに妖精などを登場させて邪教(非キリスト教)の世界を信じ込ませるなど、劇場はペストなどの疫病と同じように「汚れたもの」と見なされ、とりわけロンドン市当局はこれに神経質なまでに干渉しようとしていた。また、生真面目な清教徒たちはそれを道徳的な攻撃の対象にすらしたのである。

恋におちたシェイクスピア』では、おそらく道徳的に最も厳格だった清教徒の一人であろうと思われる黒衣の男が、芝小屋の前で叫ぶシーンが二度ほど出てくる。

「役者どもは、女の心を乱し、子供に悪を教える。ここ(劇場)は、悪臭の根源だ」

そもそもピューリタンとは、厳格な潔癖主義者を揶揄する呼称として生まれた言葉で、彼らはプロテスタントの中でも徹底した改革を求めて、英国国教会の改革すら生ぬるいとして立ち上がった宗派の塊であった。シェイクスピアが活躍した時代には、反カトリックの急先鋒で、その極端な道徳主義は、キリスト教的な道徳の基準を脅かす文学や演劇を攻撃する社会運動を生み出したとされているが、それはやがてアメリカ独立革命まで繋がってゆくのである。

 

こうした激しい宗教対立と演劇文化への攻撃などにもかかわらず、かろうじて演劇の興行を続けることが出来たのは、エリザベス女王や続くジェームズ一世が公然とそれらの劇を楽しんだことに加えて、海軍大臣一座や宮内大臣一座、そして国王一座などの形態をとって特別の庇護の下に置かれたからでもあった。一見、陽気な喜劇に映るシェイクスピアの戯曲も、こうした世間の緊張した空気の中で創られ演じられていたのである。

それが後世になってエリザベス朝演劇と呼ばれる前代未聞の黄金時代を築き上げたのは、まさに歴史の奇蹟としか言いようがない。四つの映画は、そうしたシェイクスピアの時代を雄弁に伝える物語として鑑賞し、楽しむことができるものばかりである。

                                           (文:支根摩奸太郎)

「ライオン」

渋谷で、ライオンを見た。

土曜日の夕方になって、慌てて飛び込んだ映画館でのことである。

本当は、平日、つまりウィークデーの仕事の後に立ち寄りついでに見ようと思っていたのだけれど、何かと次々に用事が入って、目指す劇場に向かうことができずにいた。その分、「何としても、これを見なくちゃ」という気持ちが昂り、必死になって駆けつけたのでる。

映画「ライオン」は、インドの片田舎から1600kmも離れた大都会に迷い込んだ一人の少年の物語である。そんなちょっとした運命の悪戯が、貧しい家族の人生を大きく覆していくとともに、やがて孤児として少年を我が子に迎い入れたオートラリア人夫婦の人生をも深い悲しみや辛い思いへと巻き込んでいく。

‥‥‥‥‥

その運命の歯車をほんの少し狂わせていく瞬間がある。

あまり丈夫そうにも見えない、まだ若い美貌を持ち合わせた母親がしている仕事は、何に使うためなのか、岩場に残された石の小さな塊を拾い集めるというものだった。5歳になった少年サルーも、その母の周りを自由に動き回りながら石を運んでくる。

「もっと小さなものでいいんだよ」

お母さんの少年にかける声は温かく、優しい。

でも、サルーは大好きな母親に自分を大きく見せたいと願っているためなのか、たどたどしい体つきにもかかわらず、できだけ大きな石を拾ってみせる。それは、少年の母の愛情に対する精一杯の応答なのだった。

ところが、この「僕だって力はあるんだよ」って見せたがるサルーの見得が、一つの怪しげな運命を呼び寄せることになるのだ。

もう一人前の少年になっていた兄が離れた町の駅に仕事を探しに出かけると告げた時、まだ幼い妹の面倒を見るよう伝えたというのに、サルーは言う事をきかない。自分も一緒に仕事に行きたいと言うのだ。小さすぎて足手まといにしかならないと思う兄は、相手にせずに済ませようとするが、ここでサルーは一つの行動に出る。重いものを続けて持ち上げ、自分にも力はあるんだと、必死になって兄に迫るのである。

結局、二人は一緒になって列車に乗り、別の鉄道駅へと向かうことになった。小さな少年のサルーは列車に揺られている間にいつの間にか眠り込んでしまう。目的の駅に到着しても目を覚まそうとしない。やっとのことで彼を起こしてホームまで連れ出したものの、一度襲った「眠気」の妖精はサルーをつかまえたまま放そうとしない。仕方なく兄は弟をホームのベンチに残して、去って行く。

「ここを動くんじゃないよ。ここで待ってるんだよ!」

って言い残して。

誰もいなくなった、空っぽの寂しいホームから駆け下りて、兄は幾分静けさの漂う線路の向うへと消えて行った。

まもなく目を覚ましたサルーは、その兄が戻ってこないのにえも言われぬ不安を覚えて兄の名前を呼び続けるが、それに答える声は聞こえてこない。ホームを走り回って立ちすくむと、暗闇に中に、大きな給水塔が黒い影を描いて佇んでいるだけだった。

運命の女神がこの仲の良い兄弟に二度と再会することのない人生を歩ませることになる瞬間だった。

主人公のサルー少年はこのあと、たまたまホームから隠れるようにして乗り込んだ長距離回送列車で、1600kmも離れた東部の大都市へ迷い込んでしまった。そこから先は、まるで、あの「スラムドック$ミリオネア」の逃げ惑う少年たちのシーンを再現したかのようだった。追いかける不気味な大人たちと恐怖に怯える貧しい少年たちという構図が、ぼくの記憶を呼び起こしたのだ。そして同じように、それを観ているだけのはずのぼくも恐ろしさに胸を引き締められる思いに襲われて行った。

それでも、この作品の大きな流れは、ぼくに別のシーンを思いだせるに十分だった。君も観たことがあるだろうか? ぼくが想像したのは、ブラジルで制作されたあの「セントラルステーション」という映画のことだ。

この作品は、ほんのちょっとしたことがきっかけとなって、見棄てられたかのような一人の少年と元学校の先生だったという中年女との絶妙な出逢いを画き尽くした静かな映画だった。ぼくがそれを思い出したのは、こういうことがあったからだ。

リオデジャネイロの中央駅で代書業を営んでいるドーラは、ひょんなことから、遠く離れた夫への代書を頼んできた女性が直後に交通事故で死んだため、孤児同然となった少年ジョズエを近くの「養子縁組斡旋所」に連れていく。ところが、それは表の話で実は幼い子供を売買する臓器密売組織であることを知らされる。もう報酬はもらっていて、すでに狭いアパートにテレビも買いそろえた後だったが、ドーラは自分の仕出かしたことを後悔し、夢中になって少年をその「斡旋所」から連れ出し、闇の世界から必死の思いで逃亡する。

それがきっかけで、血のつながらぬ中年女と少年が長い長いバス旅を続けて、少年の父親たちが住む遠い田舎町まで向かうドラマとなったのである。 不安とほんの少しの貧しさと二人のちょとした諍いがシーンを彩ってゆく、そんな場面が続くロードムービーだ。

しかし、やっと二人が分かち合えるほどに親密な絆で結ばれ出したというのに、少年はやがて、いまや父も亡くなった故郷で兄たちと出会うことになる。それだけであれば、文句なしのハッピーエンドだ。だが、それは、まるで母子のようになったはずの二人が再び別れ別れになる時を告げるものでもあった。

そして、二つの孤独が再びそのまま大きくなっていった。

距離的に遠く離れた世界を繋ぐ点でも、少年が闇に飲み込まれそうになる場面があるという点でも、「ライオン」と共通するものがあるが、ぼくにはその静かな余韻とかすかな悲哀という点では、「セントラルステーション」の方がより強い印象で刻まれている。

f:id:kantarocinema:20170513195650j:plain

それにしても、「ライオン」の小さな少年役をやった男の子の何とも円らな大きな瞳と、ニコール・キッドマンの物静かでありながら迫真力あふれる演技にはまいったね。それだけでも、この作品を観た報酬は十分だったよ。

                            (文:志根摩奸太郎)