清聴登場

映画・社会・歴史を綴る

「やさしい猫」余情

『やさしい猫』は、中島京子による日本の小説。読売新聞夕刊の連載小説として2020年5月7日から2021年4月17日まで書き綴られ、2021年8月19日に中央公論社より刊行された。作品は、第56回吉川英治文学賞の受賞作となった。 この原作を基に、NHKがテレビドラマ…

エリザベス・ギャスケルの短篇

19世紀のイギリス小説はまさにアルプス山脈とでもいうべきもので、ディケンズ、サッカレー、エミリー・ブロンテ、ジョージ・エリオット、トーマス・ハーディーなど、多くの巨匠が肩を接してそびえ立っている、と語ったのは、英文学者兼翻訳家の小池滋氏です…

ヘルンさんの「日本昔ばなし」

小泉八雲という人のことは、多少は知っているでしょう。子供の頃に、「耳なし芳一」や「のっぺらぼう(むじな)」の話、あるいは日本の怪談でも最も有名な説話の一つ「雪女」の物語なら、一度は聞いたことがあるに違いありません。 たぶん、そのいくつかはTBS…

新美南吉の童話の世界

新美南吉とは、キツネの物語「手袋を買いに」でもよく知られる童話作家のことです。南吉は、東京外国語大学英語部文科へ入学した19歳の時に、『赤い鳥』に「ごん狐」などの童話を寄稿しています。その後、いくつかの職を遍歴した後、生まれ故郷の村に近い安…

ウクライナ侵攻という、出来事をどう読み取るか?

―O君への手紙 ウクライナ侵攻という、この出来事をどう読み取るか? O君、 君の返事を読んで、僕は反論を試みようとする前に、思わず悲しみに似た感情に囚われている自分を感じていました。それはウクライナ侵攻のことよりも、ずっと手前のところで君の思考…

松本清聴の映画講座8 「レオン」

残業を終えると、もう時計は9時を回っていた。金曜日の夜、僕は、一人暮らしのマンションに戻る前に、ネオンが輝く新宿・歌舞伎町に立ち寄った。そして深夜の映画館に飛び込んだ。軽い疲れを癒すためにと、シリアスなものを避けて、軽快なものを観たいと思い…

デービッド・アトキンソン『国運の分岐点』を読む

この著者の発言やテキストは、いつ見ても実に歯切れがよく、分かりやすい。先ごろ出版されたこの本も、読みはじめると、ほとんど立ち止まるところもなく、先へ進むことができた。それというのも、その論旨が明快だからだ。要するに、日本の生産性が国際比較…

ロスジェネ世代の「問題」は何でないのか(1)

❑ドイツと日本の狭間で作品を発表し続けている多和田葉子が、岩波現代文庫にもなった『エクソフォニー』というエッセイ集の中で、こんなエピソードを紹介している。 ―もう20年以上も前になるが、まだ日本に住んでいた頃、アテネ・フランセで『車に引かれた犬…

松本清聴の映画講座7 ジャック・ニコルソンの「カッコーの巣の上で」

まだ人が寝静まっている未明、薄明かりの原野を一台の車がゆっくりと画面の前方に向かって進んでくる。車はやがて、いつもの1日が始まったばかりの、山中の精神病棟の前で止まった。場面が一転して、明るい一室に変わり、焦点の合わない大きな眼をギョロギ…

松本清聴の映画講座6 「グリーン・ブック」

この作品は、ニューヨークの下町ブロンクスで生まれ育った一人のイタリア系アメリカ人の物語である。「おじさん二人の物語」と銘打ったキャンペーンが張られた作品だというのに、敢えて<一人の>と言ったのは、映画の全体が一貫して彼の眼を通した形で描か…

小さな声でー恩師との再会

平成も30年目になる2018年正月の4日、僕は、札幌駅から「スーパーとかち3号」に乗り込んでいた。千歳空港駅の1つ手前の南千歳駅からは、空港に向かう列車、苫小牧や道南の函館に向う列車、そして道東の帯広・釧路へ向かう列車が三つに分岐してゆく。僕を乗せ…

松本清聴の映画講座5 根岸吉太郎監督の『雪に願うこと』

季節はもう春だというのに、温かな陽が差し込むことがない。僕は、仕事帰りの黒い鞄と一緒に、夕暮れ時の繁華街を通り抜けて映画館に飛び込んだ。友人が勧めてくれた作品を想い出して、何の予見も持たずにその作品と出会うことになった。 陽が沈む頃なのか、…

20年後―その寂しい風景

カズオ・イシグロのノーベル文学賞の発表が行われた時、発表者のスウェーデン・アカデミーのサラ・ダニウス事務局長は、受賞の理由を次のように語ったという。 「感情に強く訴える小説で、世界とつながっているという我々の幻想の下に隠された闇を明るみに出…

偶然の「50年後」

週末だというのに何の約束もない帰り道、僕は新宿の大きな書店に立ち寄り、喫茶店で一服した後、久しぶりに映画館に飛び込んだ。懸案の仕事も一段落して、静かな金曜日を過ごそうと思い立ったのだ。いつも通り、鑑賞前に作品の穿鑿など一切せずに、タイトル…

15年後の夜

岐阜からやってきた知人を案内しようと、僕は単身赴任先の東京から札幌に飛んで、久しぶりの札幌すすき野の案内役を買って出ることにした。地元の友人の招待で、ちょっと贅沢な和食を囲んで陽気な時間を過ごした後、彼らを率いて得意げに言った。 「まだ、札…

余計なお世話

暑い日だった。僕は全身に汗をかきながら道を急いでいた。 渋谷駅を出て宮益坂を上り、明治通りを少し戻るようにして進むと、右手の方にその映画館はあった。 だが、エスカレーターで3階に上り、そこからにエレベーターに乗り換えて8階へと進まなければいけ…

明治座公演『ふるあめりかに袖はぬらさじ』

大地真央が舞台の中央で、床にしゃがみ込んだままの姿で、最後の「一人芝居」を見せる。芝居は、いよいよ終幕へと近づいていた。 「あーあ、恐かったぁあー。」 ちょっと前まで啖呵を切っては男たちをきりきり舞いにするほどの元気を見せていた女が、大きな…

父の日のプレゼントと喫煙・禁煙

近くに住む娘が、2週間も早く、父の日の贈り物だと言って、何やら小さな固い箱を包んだ包装紙のプレゼント持ってきた。喫煙癖から抜けきらない父を想ってか、中には「iQOS」という無煙タバコのセットが入っていた。どうやら、札幌にいる母親と相談しての喫煙…

親切過ぎる女

「お客さま、お飲み物は何にいたしましょうか?」 羽田から千歳に向う飛行機の中で、僕は女性の声で目を覚ました。薄いグリーンのコスチュームに身を包んだスチュワーデスの声だった。首には濃い赤と緑のネッカチーフを巻いている。 どうやら、通路側の狭い…

北京はもう夏

北京国際空港は、とにかくバカでかい。この日は、朝のエア・チャイナ便で北京へ飛んだが、予定より30分ほど遅れて到着した上に、いつものように第三ターミナルの長すぎる通路を通り抜け、シャトル電車でさらに移動して手荷物検査を終える頃にはすでに昼時間…

松本清聴の映画講座4 『トランスアメリカ』

彼は、子どもときから男性であることに違和感を抱いていた。そして、世間体を重んじる一族のなかで、次第に孤独感を募らせていった。周囲の誤解に取り囲まれて、「孤独」はますます深まり、人が人を無意識のうちに傷つけ合う社会への強い違和感となってそれ…

松本清聴の映画講座3 「ドライビング・ミス・デイジー」

映画の記憶とは不思議なものだ。 ニーノ・ロータのあの独特のトランペット音楽が流れると、条件反射のように僕は、モノクロ映画『道』のジュリエッタ・マシーナの寂しげな顔を思い浮かべてしまい、突如、時間が止まる。それは、例えば、東京・中央線の四ツ谷…

松本清聴の映画講座2 「シェイクスピアの時代と四つの映画」

20世紀も終わりを迎えた、いわゆる世紀末転換期に、400年以上も前の英国に生れた劇作家シェイクスピアの消息と時代を伝える映画が相次いで制作・公開された。まず、1998年に、『恋におちたシェイクスピア』が公開され、第71回アカデミー賞で作品賞をはじめ7…

「ライオン」

渋谷で、ライオンを見た。 土曜日の夕方になって、慌てて飛び込んだ映画館でのことである。 本当は、平日、つまりウィークデーの仕事の後に立ち寄りついでに見ようと思っていたのだけれど、何かと次々に用事が入って、目指す劇場に向かうことができずにいた…