清聴登場

映画・社会・歴史を綴る

親切過ぎる女

「お客さま、お飲み物は何にいたしましょうか?」

羽田から千歳に向う飛行機の中で、僕は女性の声で目を覚ました。薄いグリーンのコスチュームに身を包んだスチュワーデスの声だった。首には濃い赤と緑のネッカチーフを巻いている。

どうやら、通路側の狭いシートに深く沈んだまま、ぐっすり居眠りしていたようだ。それもそのはず、羽田空港にぎりぎり飛び込んで、やっとのことで搭乗手続きに間に合った僕は、昨晩、というか今朝まで続いたパソコン作業のために寝不足で、飛行機が飛び立ったらそこで睡眠時間を稼ごうと決めていたのだ。

その思惑が目論見と少し違ったのは、僕は自分が乗った飛行機が滑走路を飛び立つ前に、強い睡魔に襲われてしまい、離陸の瞬間すら覚えていなかったということだった。

ややベテラン風のそのスチュワーデスが声をかけたのは、窓側の若い男性のお客さんに対してのものだった。僕は、僕の頭上で発したその声に、いきなり眠りから引き起こされたというわけである。

薄目を開けた僕に気づいた彼女は、今度は僕に声をかけてきた。

「お客さま、何にいたしましょうか?」

僕は、機嫌を損ねた顔を向けながら言った。

「いいえ、結構です。」

…………………

それにしても、こうしたことは国内便でも国際便でもしばしばあることだった。

もう半年以上も前のことであるが、ベトナムハノイの空港を深夜の12時過ぎに飛び立った飛行機の中で、突然、英語で声をかけるスチュワーデスの声で起こされた。食事の時間だというのである。

日本食がよいか、洋食がよいかと尋ねるその声に不機嫌なまま目を覚ますと、何と夜中の4時半である。

前日、ハノイから車で1時間ほど離れた農園を見学に向った時は、まさに炎天下で白いワイシャツ姿の僕はそこを一通りめぐっただけですっかり疲れ切っていた。それに狭い車の中に詰め込まれての移動だったので、それだけでもエコノミー症候群になりそうな1日だった。

当然、僕はハノイ空港を飛び立った瞬間から体を休めようと、備え付けの毛布に身を包んで居眠り態勢を整えていた。それでもなかかな寝付かれずにいたところに飲み物を差し出されてそれを受け取り、しばらく日本から持ち込んだ文庫本を拡げて小さな文字を追いかけていた。そして、いつの間にか深い眠りに落ちていったのだった。

不機嫌な僕は、小柄なそのスチュワーデスに向って言った。

「有り難う、でも食事は結構です。」

そう言い放つと、再び眠り込んでいったつもりだったが、まもなく便は下降を続けて成田国際空港への着陸態勢に入るとのアナウンスに呼び戻されてしまった。

僕にはどうしても、この飛行機の中の<奇妙な親切>に馴染むことができない。<熟睡>という名の至福を妨げるこの<残酷>を許せないのだ。それでも彼女たちはマニュアル通りに僕を起こすことに笑顔をつくって迫って来るのである。

とうとう僕は1つの事件に巻き込まれてしまった。

北京から羽田に戻る便で、今度は隣の席にいた年配の女性に何度もたたき起こされたのである。

「お客様、あいにく間の席しか空いておりません。」

訳あって一便早くの時刻で帰路に立とうと搭乗手続きを済ませる僕に、カウンターの向こうの綺麗な女性が流暢な日本語で言った。

僕のシートは三人掛けの真中の席だった。

エコノミーなので狭く、心配しながら機内のその席を見届けると、中年女とやや年配の女が中国語で空いた真中の席を挟んで何やらしきりに話し込んでいた。これはやばいな、と思った瞬間、窓際の年配女性が僕に席を譲ると言ってきた。二人の女性は旅仲間のようで会話を続けるために、僕に窓側の席に座るよう勧めたのだった。僕がすかさずその提案に快諾したのは言うまでもない。

便が北京国際空港を飛び立つの確かめてから、新渡戸稲造『武士道』誕生の軌跡を綴った本を拡げて読み始めていた。

事態はここで起こった。

その親切な年配女性は日本語が得意で、通路側の中年女性に中国語で語りかけたかと思うと、今度は窓際に顔を向けて日本語で僕に話をかけてきた。僕は窓際の席に坐れたことを感謝しながら、声をかけてくるその女の気遣いに付き合わされることになった。

それでも、しばらくして例にもれず睡魔が襲ってきたので本を畳み、そのままの姿勢で眠りに落ちていった。ところが、この女性に僕は三度も起こされる事態に巻き込まれたのである。

一度はビザ申請を必要とする用紙に記入するためのものだった。どうやらスチュワーデスに手渡された黄色の紙を、眠ってる僕を起こして差し出そうとしたらしい。が、ふと気づいてそれが日本人の僕には不要であることを思い直して、彼女は詫びを入れてきたのだったが、僕の睡眠がそれによって妨げられたことは言うまでもない。

二度目は、飲み物サービスがあった時だった。スチュワーデスではなく、その女が僕を起こして尋ねてきたのである。

「何にします? コーヒー? それとも…。」

僕は、その<親切>にお礼を言いながら丁寧に断り、再び眠りに就いた。

そして三度目が襲ってきた。

今度は機内食のサービスだった。僕はそれも断りつつ礼を言おうと思った。でも、僕は不機嫌と共に目を覚ましながら、今度はその親切を受けることにした。彼女が好意をもって僕を起こしたことは確かだっだし、これ以上断り続けるのにも少々気が引けたのである。北京空港に向かう直前まで食事を囲んで農業研修の話をやり取りしていたので、お腹は空いていなかった。僕は差し出されたトレイの中からデザートを口に入れるだけで<食事>を済ませた。

…………………

結局、僕はほとんど熟睡することなく、チャイナ航空の機内で時を過ごした。窓の外はもうすっかり夜になっていた。ちょうど朝鮮半島の上空を通りぬける頃だったのだろう、眼下には金色に輝く町の灯りがぎっしり詰まって見えた。

通路側の席はいつの間にか、中年の男に代わっていた。おそらく、日本語が得意な彼女を頼って中国人一行が日本への旅行を計画したのであろう、と思われた。やがて小さな子供も姿を現した。

それはそれで実に微笑ましい光景なのであるが、それにしても、どうして飛行機の中ではこうも人の睡眠を平気で妨げることが続くのか、僕は密かに、その<親切過ぎる女>の横顔を見つめながら思った。