清聴登場

映画・社会・歴史を綴る

父の日のプレゼントと喫煙・禁煙

近くに住む娘が、2週間も早く、父の日の贈り物だと言って、何やら小さな固い箱を包んだ包装紙のプレゼント持ってきた。喫煙癖から抜けきらない父を想ってか、中には「iQOS」という無煙タバコのセットが入っていた。どうやら、札幌にいる母親と相談しての喫煙家対策のようだった。

そう言えば、近頃は喫煙できる喫茶店の中でも、この「iQOS」とやらを使っている男がやたら増えている。おそらく、自らの健康を意識してというより、マイホームでは喫煙禁止にされていることからやむを得ず、本物のタバコを諦めて、その代用品に「転向」した連中であろうと思っていた。そこには悲しい(?)ことかな、家庭の中での妻との力関係も反映しているに相違ない。

そういう我が家の長男も同居中の彼女に押されて、ついにこの新製品に飛びついてしまった1人である。

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僕は公の場ではもちろんタバコを吸わないが、自分の個室にいるときや喫煙可能な喫茶にいるときにはヘビースモーカーになりきっている。依存症と言われればそれまでだが、タバコが僕の情けない頭脳を刺激し、活発化させることは確かなので、とうてい禁煙なんぞあり得ないと思い込んでいる。

そうは言っても、世の中はいまや禁煙ブーム真っ盛りである。東京オリンピックに合わせて、公開の場であれば、飲食店のすべても禁止すべきだとの潔癖主義的(ピューリタン)な意見も出始めた。確かに喫煙は身体によくないとの報告もあるし、何より受動喫煙が社会問題となっている中ではどうも喫煙派には分がよくない。先の都議会選挙で多数派をしめた「都民ファースト」を名乗る集団も禁煙勢力だ。

最近はもうすっかり分煙が当たり前のようになっていて、それを嫌う人のいる閉じられた空間ではタバコを吸わない、通りや広場などの公の空間でも吸わないなど、喫煙者のマナーもしっかり守られるようになってきた。それでも「全面禁煙派」の連中は、タバコそのものが気に入らないようで、それだけにとどまらず「喫煙者」という存在そのものを消しゴムで消してしまいたいような勢いだ。劣勢のままじりじりと後退を迫られる僕にしてみれば、思わず「喫煙者は都民ではないのか」と叫びたくなるほどだ。 

世界保健機関(WHO)の統計2016年によると、日本の男性の喫煙率は33,7%で世界60番目。トップはインドネシアで、これにヨルダン、キリバスが続いてロシアも何と5位にランキングされている。日本は、韓国、中国や東南アジアの国々には及ばないものの、スイス・オランダ・北欧諸国はもとよりドイツ・イタリア・イギリス・フランスよりも高く、いわゆる産業先進国の中でもトップクラスだ。おそらく、こうした事情がオリンピックを前にして喫煙率を押し下げたいとの衝動につながっているのだろう。

これに対して、日本の女性の喫煙率は最近はその高止まりが問題だと国内で指摘される向きもあるが、その数値は10.6%にとどまっている。というのも、女性では産業先進国のドイツ・フランスはもちろん、オランダ・スイス及び北欧諸国よりもはるかに低く、何と喫煙に厳しいカナダやオーストラリアよりも低いのである。むしろここでは、日本が欧米に比べて「男女格差」が目立っていることは少々気になるところである。

女性の喫煙率で世界のトップはナウル(52.0%)であり、これに先のキリバスセルビアが続いている。ちなみに、キリバス共和国は、太平洋上の群島からなるイギリス連邦の1つで、人口11万人の赤道直下の小さな国。また、ナウル共和国イギリス連邦加盟国で、国土面積ではバチカン市国モナコ公国に次いで世界三番目に小さな国だ。

少々話がズレたので元に戻すことにしよう。

タバコは確かに、健康にはマイナス面が少なくなく、決して勧められるものではない。一般に喫煙する人は、あるいは受動的喫煙者であっても、がんや心筋梗塞、気管支ぜんそく慢性閉塞性肺疾患にかかりやすいとの指摘を受けている。

特に近年では、発症する人の9割が喫煙者であるとされた、慢性閉塞性肺疾患に注意が向けられている。一般に、「慢性気管支炎」とか「肺気腫」と呼ばれているものがその例であるが、専門家の間ではこれが将来的に死亡要因の大部を占めるようになるとさえ言われている。ただし、これも必ずしも喫煙との因果関係がすっきりしているわけではない。ディーゼルエンジン排ガスや、ビル群から排出される異常な熱や新鮮な空気に触れる機会の少ない都市生活など多様な環境要因も原因との指摘もあるからだ。

加えて、<タバコ=がん>という、喫煙(者)を敵視するほどに騒がれた因果関係については、今日でも専門家の間で論争が続いている。  

僕自身は愛煙家に近いので、喫煙の害についてあれこれ文句をつけつる資格はあまりないのであるが、タバコにはストレスを軽減・抑制するというメリット効果があるとされているし、長寿にはむしろ適度な喫煙が望ましいとの説もある。

実は、これにはあながち無茶な議論とは言えない興味深い論点が潜んでいる。もしタバコにストレスを軽減する効果があるとすれば、それは様々な病気の抑制や長生きにも貢献している可能性が出てくるからだ。

オランダの研究グループが行った研究調査では、喫煙者は非喫煙者に比べてアルツハイマー病に罹る率が遥かに少なかったことが判明したという。喫煙には確かにボケの防止効果もあるされているのである。これは適度の喫煙が脳の活性化(脳細胞のネットワークづくり促進効果)をもたらしているせいだとも言われている。

また、日本免疫学会会長も務めた順天堂大学の奥村康教授は、自殺者34,000人の中から無作為抽出した2,000人を調べたところ、何とすべての自殺者が非喫煙者であったとの報告を発表している。むろん、この結果に対しては様々な方面から「反論」も出されているが、仮にタバコがストレスを抑制する効用を有しているとするならば、頷ける傾向だと言える。

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しかし何よりも、僕にとって一番気になることは、医学的・実証的結果もさることながら、その検証結果についても専門家の間ですら見解が分かれているにもかかわらず、タバコを嫌う人たちが一斉に<汚れ>を社会から<排除>しようとし、まるで風に草木が靡くようにして、世論が一方向に動き出すことの怖さである。

喫煙反対論者は、その時、自分たちが何をしているのかさえ落ち着いて考えることもしなくなる。それが、例えば、共にどうしようもない強度の喫煙家である、あの創造的なアニメ映画を編み出した宮崎駿や、「北の国から」の人気ドラマを生み出した倉本聰などの人間を<非道>あるいは<非国民>と揶揄して、そうした連中をこの世界から<追放>しようとする試みに通底するということすら思いも寄らぬのだ。

いや、僕は別に喫煙を推奨しているわけでも、ましてや喫煙家たちを称賛して言っているつもりもない。そうではなく、喫煙家の存在も認める<寛容>がこの国には大事だと言いたいのである。

マナーを守り、分煙を徹底することができるならば、その方がはるかに多様性を受け入れることできる懐の深い、より<豊かな社会>を構想することが可能になるのだと思う。少なくとも、世の中を一色に染めて、互いを監視し、社会全体がストレスを貯め込むような風潮は避けたいものである。