清聴登場

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20年後―その寂しい風景

カズオ・イシグロノーベル文学賞の発表が行われた時、発表者のスウェーデン・アカデミーのサラ・ダニウス事務局長は、受賞の理由を次のように語ったという。

「感情に強く訴える小説で、世界とつながっているという我々の幻想の下に隠された闇を明るみに出した。」(毎日新聞における「対訳」から)
“who, in novels of great emotional force, has uncovered the abyss beneath our illusory sense of connection with the world”

ヨーロッパ知識人に特有な彼女の難解な言葉が指している意味をどう受け止めたらよいのか、僕には戸惑いしか残らなかった。発表者のサラはまた、直後の記者インテビューに応えて、「ジェーン・オースティンフランツ・カフカを混ぜるとイシグロ氏になる」とも譬えたとのことであるが、この意味も理解は簡単ではなさそうだ。

 

それよりも、青山学院大学の生物学教授の福岡伸一氏の批評「忘れてはならない記憶の物語」(「毎日新聞」2017年10月15日付)の方がはるかに的をついているように僕には読める。その中で福岡氏は、次のようなコメントを行っている。

「イシグロ作品にはディストピア小説、預言小説などと評されることが多いが、私は必ずしもそうは思わない」と断った上で、次のように記している。

「イシグロ作品の通奏低音は『記憶』である。根源的な状況に置かれた誰かであれ、ごく普通に暮らす私であれ、その心を励まし、慰撫し、あるいは乱し、揺るがせるのは、過去の鮮やかで細やかな記憶である。」

「イシグロの小説において、記憶の問題がいかに重要な通奏低音になっているかは彼の長編デビュー作と最新作を読めばわかる。『遠い山なみの光』では、戦後まもない頃の長崎の風景が、まるで小津映画を観るようなきめの細かさで淡々と描かれていく。」

「寡作のイシグロの最新作は『忘れらた巨人』。舞台は中世。鬼や竜が出没する薄暗く、荒涼とした世界。彼は新しい角度から「記憶」の問題に挑んだのだ。個人の記憶ではなく、共同幻想としての集合的な記憶。原題は“The Buried Giant”,埋もれているのは社会的な記憶だ。」

NHKの番組で、イシグロと対談したとき、生物としての人間は絶え間のない合成と分解の流転の中にあり、それゆえ私たちの物資的基盤は確かなものではない、という動的平衡の生命観について私(福岡)が語ると、彼はがぜん興味を示し、だからこそ「記憶は死に対する部分的な勝利である」と言っている(福岡伸一動的平衡ダイアローグ』より)。

僕自身は、イシグロ作品の中でも、『日の名残り』を最も気に入っている。この作品もまた、彼の内面を流れる「記憶」が一つのテーマであるものだが、それもそのはず、主人公スティーブンス氏は、20年前の出来事をまるで昨日のことのように反復し、その20年前をありありと思い描いているのだ。
だが、彼のこの「記憶」は20年という長い年月を一気に飛び越えたもので、彼は最後まで人生が時間とともに大きく変容することに気づかずに時を送っていたことが次第に判明して来る。そして、それがこの主人公に静かではあるが、確かな「悲劇」を呼び寄せることになるのである。

人間とは誠に奇妙な生き物で、おそらく哺乳類の中でも特異な存在であること、それは目の前で推移する「現実」だけではなく、すでに「過去」となった出来事をも生涯抱き続けて生きる、誠に滑稽な生命体なのである。
困難に直面すると、すでにこの世に存在しない父親を思い起こして「父さん、俺どうしたらいいんだ」と叫んでみたり、今は亡き母親に向って「母さん、御免なさい」って謝ったり、死に別れた恋人を思っては、再び涙したりする。そして深い切なさに心を覆われることもあるのだ。この「記憶」という名の不在に語りかける、まことに奇妙な生き物が「人間」の、人間的なところでもある。

だが、そうした記憶はマシーンのように正確なものでは決してない。それどころか、自己に強いインプレッションを与えたものだけを取捨選択して長期記憶という名の貯蔵庫に奥深くストックされた「特別な記憶」なのである。

物語の中で、スティーブンスは、二つの記憶に生きている。大戦後になって、すでに陽気なアメリカ人の主人のものとなった邸宅の執事となっているにもかかわらず、あの「品格」を備えた―と彼自身が今でも誇りに想っている―ダーリントン卿の時代の自信に満ちた記憶と、その時代に出会った女中頭ミス・ケントンとの記憶の二つである。
……………………
物語は、1956年7月のダーリントン・ホールでのことから始まる。そして、ミス・ケントンがここを去ったのは、ちょうど20年前の1936年のことだった。
理想の執事となるべく、これまでの生涯をダーリントン卿に捧げて来たことを誇りに思うスティーブンス。だが、その所有が、戦後米国人のファラディ様に移ったあと、僅か4人で、このダーリントン・ホールの仕事をこなさなくてはいけない。あの頃は17人の雇人を抱えていたこともあったのにである。
そして、どのような状況下に置かれようとも彼は水も漏らさぬ完璧な職務計画を立てて事に臨んでいた。だが、次第にこの計画にはあまりにも「余裕」が無さすぎることに気づいて不安に思うようなる。

 「これほど明らかな職務計画の欠陥に、なぜもっと早く気付かなかったのか。(中略)長 い間真剣に考え抜いた事柄には、えてしてこうしたことが起こるものではありますまいか。なんらの偶発的事件に接し、初めて「目からうろこが落ちる」ということが……。」

「この場合が、まさにそうでした。ミス・ケントンの手紙を読み、その長い、抑えた調子の文章の合間に、間違いなくダーリントン・ホールへの郷愁がにじみ、もどりたいという願望―だと私は確信しております―が込められているのを感じなかったら、私は計画を見直さなかったかもしれません。」

「考えれば考えるほど、明らかであるように思えてまいりました。このお屋敷に大きな愛情をもち、今日では捜しそうにも捜せない模範的な職業意識をもつミス・ケントンこそ、ダーリントン・ホールの職務計画を完璧にしてくれる人物ではありますまいか。」

主人公のこの「特別な記憶」が、この物語の序章であり、やがて結末へと結ぶ"灰色の伏線"となって展開してゆく。

新しい雇い主ファラディ様の奨めもあって、スティーブンスはちょっとした旅に出る機会を持った。ドライブのための車は、ファラディ様がお貸になるということなので、あとは旅の費用と新しいスーツを用意すれば何とかなるだろう。

「こうしたことを考える一方で、私は道路地図を調べたり、ジェーン・サイモンズ夫人の『イギリスの驚異』シリーズから、該当するいくつかの巻に眼を通したりもしました。全七巻のこのシリーズは、各巻でイギリス諸島を一地域ずつ取り上げております。これが書かれた1930年代には、国中の家庭で話題になったと聞いております。」

「それに、さよう、1936年にミス・ケントンがコーンウォールに去ったあと、その地方のことをまったく知らなかった私は、よくサイモンズ夫人の第三巻を手に取って、じっと眺め入ったものでした。デボンとコーンウォールの魅力が写真入りで記述され、さまざまな画家の、雰囲気に満ちた風景スケッチなども添えてあって、ミス・ケントンはこういう場所で結婚生活を送っているのかと、多少の感慨に浸ったことも覚えております。」

ところが、彼の生真面目過ぎるほどの「計画」にもかかわらず、新しい主人ファラディ様から、スティーブンスはからかいを受けることになる。

「自動車旅行の目的地になぜ西部地方を選んだのか。理由には、サイモンズ夫人の御本から魅力的な情景描写の1つも拝借しておけばよかったものを、私はうっかり、かつてダーリントン・ホールで女中頭をしていた者がここに住んでいる、と申し上げてしまったのです。」

「私のつもりでは、要するに、お屋敷が現在小さな問題を抱えていること、その理想的な解決策が昔の女中頭に見出せるかもしれないこと、私はその可能性を探りにいきたいこと……、そんなことを申し上げたかったのだと存じます。」

スティーブンスは、思わずミス・ケントンの名前を出してしまったあと、すぐに戸惑いをみせた。それというのも彼女のことは確実なことはなにも知らない自分に気づいたからであるが、その一瞬の<戸惑い>が余計にファラディ様のからかいをもたらす<好機>となった。

「おいおい、スティーブンス。ガールフレンドに会いにいきたい? その年でかい?」

「君がそんな女たらしとは、ついぞ気が付かなかったよ。」

「気を若く保つ秘訣かな?」

穴があったら入り込みたくなるような羞恥心に襲われながらも、スティーブンスは思い直し、自らに言い聞かせるようにして、こう思うことでその解消に努めたのである。

「私にはファラディ様を非難するつもりは少しもありません。決して不親切な方ではなく、ただ、アメリカ的ジョークを楽しんでおられたのだと存じます。アメリカでは、その種のジョークが良好な主従関係のしるしで、親愛の情の表現だとも聞いております。」

かくして、スティーブンは主人から借りたロールスロイスで目的地の西部地方へと旅立つ。この物語は、「ミス・ケントン」が住む町へと向かう自動車の旅の話であり、片道わずか1週間ほどの旅の間に、彼は、周りの景色や街並みに関心を寄せることもほとんどなく、ひたすら「過去」を回想し続けることになる。つまり、それはまた「過去への旅」の物語でもあるのだ。

…………………
二日目の朝、まだ「静寂の中で目覚め」たばかりのスティーブンスは、ミス・ケントンの手紙に書かれていることを反芻している自分に気づく。

「ところで、<ミス・ケントン>という呼び方については、もっと前にご説明しておくべきでした。正しくは<ミセス・ベン>といいます。もう20年前からそうなのですが、私が身近に接していたのは結婚前のミス・ケントンですし、ミセス・ベンになるためにコーンウォールに去ってからは、一度も会ったことはありません。(中略)それに、先日の手紙によりますと、<ミス・ケントン>と呼ぶことが必ずしも不適当ではないかもしれません。と申しますのは、悲しいことに、その結婚生活がいま破綻しかかっていると察せられるのです。」

結婚がこんな破局に至るということは、もちろん悲劇的なことです。中年も相当な年になったいま、なぜこんな孤独でわびしい思いをしなければならないのか……と、その原因となった遠い過去を、この瞬間も、ミス・ケントンは後悔とともに思い返しているのではありますまいか。そのような心境にあるミス・ケントンにとって、ダーリントン・ホールにもどれたらという思いが、大きな支えになっているのは、容易に想像できることです。」

この時スティーブンスが描いている「記憶」が、完全に時制が乱れていることに読者はすぐに気づくであろう。彼自身がその前段で「20年前」のことと断っておきながら、そのおよそ20年前の手紙について想起するときには、「先日の」手紙と記し、またその20年ほどまえの出来事であるにもかかわらず、「いま」破綻しつつある、と綴ることの不自然さに気づかないままである。彼は「事実」としては過去のことであることを認めながらも、「記憶」としてはその20年前を「いま」そのままに生きているのである。

いったい、どうして、このような錯誤が生じてしまったのだあろうか。それは、スティーブンス自身の心の裡に、彼女、つまり<ミス・ケントン>は特別に鮮明な「記憶」となって植え付けられ、しかも、この20年の間にも昨日の出来事のように反復されてきたからなのである。そのことは、先のミス・ケントンに対する想起、「ミス・ケントンの手紙を読み、その長い、抑えた調子の文章の合間に、間違いなくダーリントン・ホールへの郷愁がにじみ、もどりたいという願望―だと私は確信しております―が込められている」や「この瞬間も、ミス・ケントンは後悔とともに思い返しているのではありますまいか。そのような心境にあるミス・ケントンにとって、ダーリントン・ホールにもどれたらという思いが、大きな支えになっているのは、容易に想像できることです」に象徴的に示唆されている。

スティーブンスは執事としての誇りの中には「私情」は不要だと思い込んではいたが、その「私情」の奥底では、ミス・ケントンがこのダーリントン・ホールにいつか戻ることをあたかも無意識の欲望のごとく、20年間も抱き続けてきたのである。
それがいかに強いものであったかは、ミス・ケントンが運んできた花瓶をめぐる些細な出来事を鮮明に覚えていることでも「立証」できよう。

スティーブンスはつぎのように「証言」しているのだ。

―あれは、ミス・ケントンと父がお屋敷に来て間もない、ある朝のことでした。食器室で書類整理をしておりますと、ドアにノックがありました。そして、返事も待たずにミス・ケントンが入ってきましたので、あっけにとられたのを覚えております。ミス・ケントンは、花を生けた大きな花瓶を抱え、にっこり笑ってこう言いました。

「ミスター・スティーブンス、これでお部屋が少しは明るくなりますわ」

「なんのことですか、ミス・ケントン?」

「外はお日さまさがまぶしいほどですのに、この部屋は暗くて、冷たくて、お気の毒ですわ。お花でもあれば、少しはにぎやかになるかと思いまして」

「それはどうもご親切に」

「ここは、お日さまが少しも入りませんのね? 壁もじめじめしているみたいで」
「いや、ただの水蒸気の凝縮です」、そう言って、私はまた帳簿に向いました。

ミス・ケントンは、テーブルの私の前あたりに花瓶を置き、もう一度食器室をぐるりと見回しました。

「お望みなら、もっと切り花を御持ちしますけれど」

「ご親切はありがたいが、ここは娯楽室ではないのですよ、ミス・ケントン。気を散らすようなものは、できるだけ少ないほうがよろしい」

「でも、………」

この微妙な会話の直後、スティーブンスは執事の模範的な生き方をしてきた自分の父を「ウィリアム!」と呼び捨てにすることへの苛立ちを含んだ非難を彼女に浴びせるのである。以降、二人の会話もとげとげしいものになっていく。

二人の関係に隙間が広がっていったのには、それなりの理由があった。ミス・ケントンの「大きな花瓶」は、単に薄暗い、湿った部屋への飾りつけということにとどまらず、彼女のスティーブンスに対するある種の好意だった。にもかわらず、スティーブンスは、相変わらず頑な執事の職業意識のままにそれを断ってしまうのである。だが、彼はその「好意」を受け止めるだけの余裕を持ち合わせてはいなかったものの、ミス・ケントその人に対しては心のうちに「特別の関心」を抱いたのである。だから、20年後の今日でもその些細な出来事を反芻することを止めなかったのであろう。

この物語は、もう一つの筋、執事としての誇りの源であるあったダーリントン卿にまつわる黒い噂、彼がナチスへの協力者であったという事実に関する漠然とした不安とそれを受け入れたくないと必死で思う主人公の姿というストーリーがまとわりついている。彼がラストシーンで海辺の夕暮れに映える桟橋の灯りを眺めながら涙するのはこのためである。それは暗い底へと沈んでゆく記憶への別れの涙でもあった。

だが、彼はもう一つの「記憶」の意味を読み取ることもできない不器用な人間でもあった。
なぜ、遠くコーンウォールの街で結婚すると言ってダーリントン・ホールを去っていたミス・ケントンが、かつての上司であるスティーブンスに、何度も家を飛び出しては彼にそのことを伝え、今の結婚に自分の幸福はないとの手紙を寄せたのかについて最後まで気が回らないまま、うぶな質問を彼女にぶつけている。これはもう救いようのない無頓着である。

カズオ・イシグロは、人は、目の前の移ろい続ける「現実」よりも、自己の中に蓄えられた確かな「記憶」とともに生きる存在であることを小説に仕立て上げた稀有な作家である。その彼が、作品「日の名残り」で繰り広げてみせたのは、そうした「記憶」が壊れゆく時、そこに明確な悲劇が立ち現われること、それほど「記憶」は自己という存在にとって欠くことのできないものであることを表現している。


丸谷才一が、1990年11月に「週刊朝日」のために書いたカズオ・イシグロ日の名残り』の書評がある。丸谷才一木星とシャーベット』の収めるときには「桟橋のあかり」という題をつけていたものである。その評論がカズオ・イシグロ(土屋政雄訳)『日の名残り』の「訳者あとがっき」に続いて「旅の終わり」という標題で再掲されている。さすがに要を得て簡潔だが、明瞭にイシグロ文学の特徴を捉えたものであり、ここに若干抜き書きをして紹介しておきたい。

「物語は整然としてそしてゆるやかに展開して、スティーブンスが信じてゐた執事としての美徳とは、実は彼を恋ひ慕っていた女中頭の恋ごころもわからぬ程度の、人間としての鈍感さにすぎないと判明する。そしてこの残酷な自己省察は、彼が忠誠を献げたダーリントン卿とは、戦後、対独協力者として葬り去られる程度の人物にすぎなかった、といふ認識と重なりあふ。
 これは充分に悲劇的な物語で、現代イギリスの衰へた倫理と風俗に対する洞察の力は恐ろしいばかりだ。これだけ丁寧に歴史とつきあひながら、しかしなまなましくは決してなく社会をとらえる方法は、わたしを驚かす。殊に、登場人物に対する優しいあつかひがすばらしい。イシグロは執事、女中頭、貴族を、ユーモアのこもった筆致で描きながら、しかし彼らの悲劇を物語ってゆく。」

この小説は、最後のシーンを捉えて「日の名残り」と標題されているが、物語全体を貫いているものは、明らかに「20年後」の主人公の何とも形容し難い寂しい風景なのである。