清聴登場

映画・社会・歴史を綴る

松本清聴の映画講座8 「レオン」

 残業を終えると、もう時計は9時を回っていた。金曜日の夜、僕は、一人暮らしのマンションに戻る前に、ネオンが輝く新宿・歌舞伎町に立ち寄った。そして深夜の映画館に飛び込んだ。軽い疲れを癒すためにと、シリアスなものを避けて、軽快なものを観たいと思い、この作品に眼をとめた。

一人の精悍な男が、確実に、見事なまでの完璧さで殺しをする。場面はいきなりその無表情な殺陣シーンから始まった。そして難なく、男は相手のボスを追いつめていった。なんだ、かっこいいヒーローがスマートに敵をやっつける、安手のハードボイルド映画じゃないか、一瞬ぼくは無用な心配をしてしまったほどだ。リッュク・ベンソンの映画は、ともかくこうして僕の前でスタートした。だが、やがて、この作品があまたのアクション映画とはずいぶん趣向が違うことを知ることとなった。

 これは、華やかな大都市で、ゴミのように忘れ去られ捨てられてしまいかねない二人の奇妙な出会いが一瞬の輝きを残して消えていった物語である。たった、それだけの閃光=儚い夢を伝えるためにこの映画は作られたのだ。

 

 ニューヨークのリトル・イタリーに出入りする男レオン(ジャン・レノ)は、英語も満足に読めない移民であるが、寡黙にして、仕事を完璧に成し遂げる理想の殺し屋だった。他人との付き合いも避け、毎日を鉢植えの観葉植物だけを相手にひっそりと暮らしている。彼が日課としているのは、その植物に水をやることと、1日に2パックの牛乳を飲み、アパートの狭い一室で体を鍛えることだけだった。わずかに、イタリア・レストランを経営しながら殺しの手配師を密かに続けるトニー(ダニー・アイエロ)との連絡だけが彼の人間関係であった。

 そんな安アパートの同じ階に、マチルダ(ナタリー・ポートマン)の一家が住んでいた。マチルダは、家族からも疎まれる孤独な少女だった。煙草を吸うこの少女は、父からの暴力で生傷が絶えない毎日を過ごしていた。彼女は、日中はいつも部屋に入らず、廊下に連なる階段の上で、ひとり時間をつぶしていた。そして、ときおり、あの無表情な男が階段をのぼってきたときに、挨拶の言葉をかけるのだった。

 ある日、マチルダが街に買い物に出掛けて戻ってくると、悪徳麻薬捜査官の一味が、マチルダ一家の部屋に押し入っていた。商売道具の麻薬をくすねたと疑った奴らが、一家を皆殺しにやってきたのだ。父と母だけでなく、姉と幼い弟までが殺害された。その荒れ果てた部屋のドアの前を、買い物袋を抱えたマチルダがそっと通り過ぎる。恐怖の余り泣き出しそうになるのを必死にこらえながら、廊下の突き当たりに位置するレオンの部屋のドアを叩いて、助けを求めた。

「お願い。中に入れてちょうだい」

 女と遊ぶことさえ避けて、孤独を保ってきたレオンは、突然の訪問客に戸惑う。少女は悲壮な表情で彼に懇願した。そして、運命のドアが静かに開いた。

 プロとして、「女と子どもは殺らない」とのルールを守ってきたレオンだが、突然の小さな訪問客にすっかり困り果ててしまう。とはいっても、追い出すわけにもゆかない。しばらくかくまって欲しいと頼み込むマチルダの要請を断ってはみたものの、どうすることもできずに、奇妙な共同生活を始めるはめになってしまった。

チルダは、レオンに英語の読み書きを教え、ハリウッド映画スターのことも知らない彼の気を惹こうとして次々とその前で演技をする。そして、次第に自分の「居場所」を発見していく。レオンも、そうしたマチルダに父親とも恋人ともつかぬ感情を抱くようになっていった。

 現代社会では、血縁や地縁はもとより、組織を通じた人間のつながりをも超えて、もっと深く人間同士を率直に結びつける出会いを待っている孤独な人間たち、心を閉ざしたままの人間たちが超近代的なメガ都市の片隅に大勢たむろしている。それは、ニューヨークでもロサンゼルスでも、もちろんパリでも東京でも変わりはない。レオンとマチルダの出会いも、そうした都市の人間風景を見事に映し出している。

 レオンは初めて、大切な人のために生きる自分に目覚めていく。そして、とうとう、マチルダのために仕事をすることになる。だが、それはプロの殺し屋の世界を逸脱する行動であることを意味し、それが彼の運命を大きく狂わせていくのだ。あれほどまでに完璧に作られた男が、人間という生き物に触れ、心を動かし、情を通わせていったのである。生まれて初めて誰かのために生きたくなったと告げるレオンに、トニーはこの商売を続けさせることの限界をさとり、不安を抱く。 

家族からも疎外されていたマチルダだが、彼女を慕っていた4歳になる弟の死だけはやりきれないものだった。レオンを殺し屋と知った彼女は、弟の復讐を晴らすため、自分も殺し屋になりたいとレオンに懇願する。途方に暮れながらもマチルダとの共同生活を続け、殺しのテクニックをも教えるレオンであった。

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小さな少女マチルダとレオン

弟たちを殺した犯人を探していたマチルダは、それが麻薬取締局の人間であることを突きとめ、復讐のため、たった一人でそのオフィスに侵入する。が、逆に、その悪徳捜査官スタンフィールド(ゲイリー・オールドマン)に捕まってしまった。レオンは自ら麻薬捜査局を襲い、マチルダを助け出す。これが執拗な性格のスタンフィールドの怒りを爆発させることになった。雇い人のトニーを脅してレオンの居所をつきとめたスタンフィールドは百人を超える警官隊を出動させてアパートを襲撃する。トニーは、彼がどんなに案じても、この世界の掟を逸脱したレオンをこれ以上庇うことはできないと悟ったのだ。

 レオンと警官たちとのすさまじい闘いが切って落とされた。これが、とってもかっこいいんだな。たぶん、そのシーンを観た人たちは、あらためてレオンのプロ魂に惚れ込むと思うよ。それほど、この男は群を抜いた冴えを見せつけ、居並ぶ警官どもをたじろがせるのである。

 たが、所詮は多勢に無勢、次第に二人は追いつめられていく。とうとう最後の瞬間かと思われる場面にさしかかった。警官隊は銃撃隊による攻撃を諦め、重火器でドアを爆破する作戦に転じたのである。レオンはあくまでも冷静だった。ここを決戦場と決意した彼は、部屋の壁を打ち破り、換気口の通路からマチルダと観葉植物の植木鉢を部屋の外に送り出すのだった。泣き叫ぶマチルダ。「あなたと別れたくない」と彼女はしきりにレオンにしがみつく。その手をふりほどいて、マチルダを無理矢理通路に押し込むレオン。こうして、あれほどに心を閉ざしていた「孤独」な二つの魂がふと一つになって輝く一瞬が生まれる。その輝きのまぶしさに、観る者は誰もが心を奪われるであろう。

 

 この作品は、リッュク・ベッソン監督の国際的な出世作となった。公開と同時に全米での好成績が話題となったが、フランスでも驚異的な数値を記録する大ヒットとなったという。日本では『グラン・ブルー』のエゾン役で一躍有名になっていたジャン・レノだったが、この作品を見た人は改めて素晴らしい俳優が誕生したことの興奮を覚えたに違いない。そして、マチルダを演じた少女ナタリー・ポートマンの衝撃的なデビューがあった。僕は、この二人をクローズアップさせるに十分な名演技をやってのけたゲイリー・オールドマンの存在にも大いに注目したいと思っているが、こんな粋な組み合わせもまた映画のおもしろさを際立てていたのである。