清聴登場

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ウクライナ侵攻という、出来事をどう読み取るか?

―O君への手紙

ウクライナ侵攻という、この出来事をどう読み取るか?

O君、

君の返事を読んで、僕は反論を試みようとする前に、思わず悲しみに似た感情に囚われている自分を感じていました。それはウクライナ侵攻のことよりも、ずっと手前のところで君の思考が閉じていることに強い失望を感じたせいでもありました。有能な官吏としても“成功”した君が、存外に素朴な思考に囚われて、世界を見るその眼が恐ろしく無邪気なことに僕はまず驚いたのです。

 

君は、僕がバイデン米大統領の一連のメッセージの中に、その問題点を指摘した途端、いきなりアメリカを非難する者は<左派である>とか<所詮、〇〇党は…>とか、あたかもイデオロギーの反対側の声であるかのように語り始めたのです。それは全くウクライナ事件とは無関係にアメリカをひたすら擁護するだけでなく、それとアメリカの傍に身を寄せるばかりの日本の政治の貧しさをも弁護する論述とつながっていたのです。そして、肝心の出来事、つまりウクライナ侵攻については政府の公式見解そのものを繰り返して、“悪の象徴”と化したロシアを非難するだけにとどまったのです。

最初に断っておきますが、僕はこのたびのウクライナ侵攻は非難すべき事柄であり、ロシアはその責めを負うべきだと考えています。それは、戦争はいつでも非人道的であるということが第一ですが、それとともにこの侵攻には正当性が一切ないということ、その論理が、国際社会が築き上げてきた国際法上のルールを無視したものであることもその理由の大きな背景ともなっています。この後者の「理屈」面については、おいおい語っていくつもりです。

 僕が言及したのは、そのことを当然の与件として、この予測された出来事を回避する手立てを十分に行使することも出来なかった要因についてのことだったのです。

 

一般に、政治の世界で起きる出来事についてはそうでありますが、殊に国際政治の出来事を語る際に、僕たちが常に気をつけておかなければいけないことの第一は、“出来事をあたかも自然現象のようにして語ること”の罪の深さについて決して忘れはいけないということです。

実際的なパワーのせめぎ合いの中で生じる政治的な出来事は、どのようなものであっても、それは不断に、国際関係をその底層で支えるシステム(例えば、国際法や国際機関など)とそれを運用する政治力学の相克の中で生まれているものであって、仮に、一方が<悪>に見えて、他方に<正義>があるような場合にあっても、出来事の発生の要因は常にその両者の決断と行動選択に依存しているのです。

それも、後でも触れるつもりでいますが、同じ行動選択に見えるような場合にあっても、その選択の道筋や論理の立て方の違いによって、長期的にどのような効果の相違が生まれるのかも、よく観察しておかなければなりません。というのも、その選択が、目前の出来事の処理にとどまらず、それが、より望ましい、つまり、それ以後のより安全で平和な国際社会を強めていく方向に作用するのか、それとも、それが短期的にはともかく、長期的には逆効果をもたらすのか、それを冷静に見極める鋭い分析力と洞察力が、専門家たちや職業的ジャーナリストたちはもちろん、時代をリードする政治家に最も求められる資質でもあると思うのです。その具体的ケースについては、また後程に触れるつもりでいます。

そうした幾分複雑な思考回路を一切飛ばして、善か悪か、右か左か、あるいは西か東か、といった安易な思考図式で目の前の歴史的な出来事を「理解」したつもりになることほど、軽率で安易なことはないのです。世界はそんなに薄っぺらには作られていないのです。

 

一般的に流布されている情報と初歩的な教養だけで世界の出来事と理解したつもりになる自称知識人やエリートたちの中には、目前の生きた出来事をあたかも自然現象と同じく理解し、あとは一通りの解釈を加えるだけだと思い込んでいます。要するに、政治の世界の中で生じた出来事を眺めるのに際して、自分の眼で物事を冷徹に、つまり予見を排して観察する努力と、それを自らの思考力と判断力を以て鍛え上げた見取り図の中に描いてみせるという思考態度に著しく欠けているのです。しかも、それらの出来事が国際政治のダイナミックな、それもし烈な抗争の結果として生じていることにも思考をめぐらすこともないのです。そして、その与えられた二項図式の認知枠に頼って「善悪」を判断したつもりになっているのです。僕に言わせれば、こうしたことはまさにある種の思考停止に思えるのです。

 

O君、

僕がまず君の言説に感じたのは、その種の思考停止にも似た、実に他愛もない一般的な教養に依存するだけの知識で目の前の生きた出来事を理解したつもりになって、そこに満足しているという、その姿でありました。そこに、批評する精神も冷静な洞察力も全く見当たらないように、僕には感じたのです。

 

ところで、いま僕たちが目撃しているウクライナ侵攻という出来事は単なる自然現象とはまったく異なるものであるばかりでなく、ロシアやウクライナはもちろん、主にNATO諸国やアメリカの行動選択にも大きく依存している出来事なのです。実際、攻める側のロシアも、これらの国々や政治家たちの判断や備え、あるいはメッセージを重要な判断材料として、一連の決断を下し、行動を選択してきたと言ってよいでしょう。

 にもかかわらず、アメリカのバイデン大統領は、ロシアのウクライナ侵攻の直前に、メディアに向かって「まもなくウクライナ侵攻が始まるだろう」と、まるで気象予報士のようにコメントしたのです。僕が、この報道を知って驚いたことは言うまでもありません。この大統領は、この出来事をあたかも真夏のアメリカ大陸を襲うあのハリケーンでもやって来るようにして語ったのです。それは大統領だけでなく、報道官や国務長官にまで一貫しているのです。それどころか、それに先立って行われた米ロ首脳会談の席で、何と、「米国は軍事介入するつもりはない」とまで言い切って、ロシアを勢いづかせもしたのです。

一般に、政治力学、とりわけ軍事的な拮抗が物事の行方を左右するとき、政治の世界では“曖昧戦略”という選択肢が効果を発揮するとされています。例えば、核を行使しようする国に対して、時にこちらがそれを上回る攻撃力を行使する可能性を示唆することによってそれを抑止するというのが通常ですが、このため、核を搭載した原子力潜水艦がどの海域を航海しているのかを曖昧にすることによってその効果を増幅させる場合などがそれに当たります。それは必ずしもそうした行動に出ることを事前に約束するという意味ではなく、緊張した力関係が存在する場面での、いわば「威嚇効果」を狙ったものです。

もし、米国がロシアのウクライナ侵攻を少しでも阻止する意思があるなら、それをあらかじめ封印するような発言あり得なかったと思うのです。しかも、バイデン大統領は、いよいよロシアが侵攻開始となった時点で、「侵攻が小規模でなかったら、強力な経済制裁を行う」と、あたかも一定の侵攻それ自体を傍観するかのようなコメントまでしたのですから、実に奇妙な光景として僕には映って見えたものです。

 

いずれにせよ、このロシアによるウクライナ侵攻という出来事を理解するためには、その歴史的文脈や国際政治上の先例を咄嗟に思い浮かべ、それらとの対比で物事を読み取る資質が求められるはずです。

 

O君、

僕が君に僕の意見を送った時、そうした文脈と照らし合わせて、必要なコメントをしていたのです。ところが、君は、ほとんどそうしたことにも思いを馳せることなく、欧米の側につくか、それともロシアかみたいな二項図式でもって、僕を非難しようとしたのです。

 

しかし、これは、君だけではありませんでした。

ウクライナ侵攻発生前後において、報道番組で披歴されたコメントに中には、一部の例外を除いて、歴史的文脈にも配慮しつつ、いわば比較史的な視点に立った、奥行きある言説を聞くことはあまりありませんでした。それほどに、ジャーナリズムや専門家と自称するコメンテーターのあまりにも“軽い解説”にも僕は驚き、深い失望を覚えていました。

そこで、以下に、それらのコメントに何が欠けているのか、そしてウクライナ侵攻について思考するということはどういうことなのか。僕が考えるところのものを、5点ほど挙げて提示してみたいと思います。

ウクライナの選択肢と難題について

第一は、とあるテレビ局のニュース番組で、自称ロシア・東欧地域研究のスペシャリストと名乗るコメンテーターが、こんな発言をしているのを聞いて、僕は思わず叫んだものでした。

その女性は、こう言ったのです。

ウクライナの大統領はNATO加盟を求めているが、これに対抗する何某氏は、中立を唱えており、ロシアの後ろ盾を受けていると言われている」[ただし、これは筆者が聞き取った要旨]

僕には、その名指しされた人物が実際にどのような人間であるのか十分な情報を持ち合わせていないので、この真偽について判断する資格はないのですが、彼女の語りに、「中立」という選択肢は当初から外されたままになっていることに驚いたのでした。

仮にも、ロシアや東欧の専門家と称するのであれば、ロシアと直接国境を接している国々の実例を挙げて、それを論じる地政学的な素養を持ち合わせていなければならいなはずですが、そこにそうした言及は一切見受けられなかったのです。

と言うのは、僕はこの話を聞いたとき、咄嗟に、第二次大戦直後のフィンランドの歴史的体験を思い出していたからです。

ヨーロッパ北方の「小国」であるフィンランドは、当時のソ連との激しい戦争を戦って国家の独立を維持するという稀有な体験を持った国ですが、如何せん圧倒的な軍事力を誇る当時のソ連に優位な講和を結ぶことになります。それでも、第二次大戦後、そして世界とヨーロッパが東西冷戦に突入した後も、ソ連との間に安全保障上の協定を結んで、西にも東にも与しない「中立」を維持し続けたという経験もしくは「実績」を持っていたからです。この当時、いわゆる西側の知識人や政治家たちが、冷戦思考(西か東か)そのままに、そのぎりぎりの選択をも揶揄してロシア(旧ソ連のこと)に追従する(ようにも見える)の国民の選択を「フィンランド化」(大国に従属する態度の意)と嗤ったほどでした。

だが、およそ千数百キロの長い国境を接するフィンランドにとってロシアとの関係を如何に抑制的なものにするかが極めて現実的かつ切実な課題でした。それが、いわば”生活の知恵”のようにして、国家としての「自立」と引き換えに、西側への参入を回避しつつ「中立」の道を選択するという態度を採らせたのです。この頃のフィンランドはまた、実際に経済的にもソ連との結び付きが強かった。こうして、近隣のポーランドバルト三国がロシアの勢力圏である「東欧」に組み込まれていったのに対し、フィンランドは「中立」を維持し続けることに成功したのです。

こうした歴史的事例にも言及することもなく、あたかもNATOに与するか、それともロシアに屈するかの二者択一が議論の焦点であるかのような印象を与えてしまっていたことに、僕は驚き、また落胆すらしていたのです。

旧ソ連のなかでも軍事的要衝にも位置し、しかもロシアの戦略物資でもあるエネルギーの領域でも重要な拠点となってきたウクライナには当初から二つの選択肢があったと思えるのです。それは、欧州の集団的防衛機構であるNATOに加盟するか、それともロシアともNATOとも軍事的な連合を組まない「中立」の道を選ぶかの、二つの選択肢です。

しかし、ウクライナ国家の現状を覗き見れば、これとても簡単な選択肢ではないことが分かります。

実は、この問題については、ウクライナという国家は自らの中に、当時のフィンランドは別の意味での強い難題を抱えています。と言いますのも、ウクライナは西部と東部の間で反ロシアと親ロシアの両勢力が拮抗してしばしば激しい戦闘をも交えた内紛を生じている国であるからです。国連の調べでは、すでにこの紛争で、ウクライナ東部でおよそ5000人もの死者を出すほどだったのです。この新興の国家はナショナル・アイデンティティすら未だに曖昧な道を歩んでいるのです。1960年代のアフリカでの旧植民地からの独立国の例のように、この国も宗主国(大国)の恣意によって人工的に作られた国家でもあって、歴史も言語も宗教すら異なる人々が混在したまま立ち上げられた国の一つなのです。それが、政府軍と分離派勢力の軍との衝突までもたらしていたのです。その国にいきなり、<あれかこれか>を迫ることすら困難なことは火を見るより明らかなことであろうと誰もが推測できるような事態です。

もし賢明な為政者がいたとするなら、この混沌とした状況をどのようにして<一つの国民>としてまとめ上げていくことができるのか、苦悶しつつも、反ロシアか親ロシアかといった二者択一的な選択肢以外の道を模索したことだろうと思うくらいです。こうしたことに想いをめぐらすこともなく、ひたすらに二百年以上も前に国民国家を立ち上げたヨーロッパの国々と同じようにしかこの国を理解していなかったとすれば、自ずとその判断は正確さを欠くものとなるに違いありません。これは、「自由主義の側に与するか否か」といった素朴な思考で捉えられるものでもないのです。なぜなら、そこではいわばネーション・ステイト・ビルディングという、古典的ながらも、とても困難な課題の克服それ自体が問われている状況だからです。

 僕は、この国には、何よりもまず、あれかこれかという前に、どの大国にも左右されずに、長い時間をかけて国造りをしていくという「大事業」が残されていると思っています。

なぜ、NATOは動かなかったのか?

二つ目は、なぜNATOウクライナ侵攻に対して軍事的介入をしないのか、という点にかかわるものです。これもまた、自称専門家と称するコメンテーターがテレビの時事報道の中で応えていたことですが、これにも僕は再び驚いたものでした。

彼及び彼女は口を揃えて、「それは、ウクライナがまだNATOの加盟国ではないからだ」と言ったのです。むろん、ここでもキャスターと言われるテレビ局の人物もそれ以上そのコメントに質問することはありませんでしたが、これも過去の歴史をひもとくならば、<それが何を語っていないのか>、すぐにも分かることでした。

と言うのも、NATOは東西冷戦構造が崩壊した直後、国連の正式な手続きすらも経ないまま、ヨーロッパ南部に位置するコソボ地域を有するユーゴスラビアにいきなり空爆を加えたという歴史を有しているからです。仮にNATOを構成する主要国にその意思があれば、たとえ域外であっても武力を行使することが可能だったのです。この時の実際の行動選択の是非についてはここでの話題ではないので省きますが、このことを念頭に置くならば、コメンテーターはあのような素朴な回答で事態を解釈したように振る舞うことはできなかったはずです。

問題は、NATO加盟国であるのかどうかにあるのではなく、NATOとしての行動を起こすことがそれ自体として困難であったことにも起因しているとのだと僕は見ています。バイデン政権が誕生する直前までのトランプ時代にそれは極限まで広がっていたのですが、ヨーロッパの主要国とアメリカの間にNATOをめぐって距離が生じていて、フランスなどはNATOについて、アメリカが自国の都合にあわせて舵取りを左右する現状を打破したいとさえ考えるようになっておりました。

しかも、その当のアメリカ自身が、アフガニスタン戦争の後遺症もあって、内向きの国内世論に顔を向けていたのであって、当初から武力介入は選択肢から外されていたのだと見られています。

そこに加えて、ロシアとの経済関係の繋がりの相違がヨーロッパ諸国内でも意見を統一させることを困難にしていたことも作用していた傾向が見受けられます。NATOは、少なくとも武力の行使についてはまとまらなかったのだと僕は見ています。そして、これが真相に近いと思っています。

そうした政治的な現状に深く切りこむことなく、あたかもウクライナNATO非加盟であることが制約であったかのように語ることは、政治の現実に対する考察や分析なくして素朴な見解を披歴するようなものです。もし、ロシアがウクライナ侵攻し、戦闘状態に陥れば、かならず悲惨な結果がもたらされるであろうことは、誰にも予測がついたことです。それにもかかわらず、その軍事的侵略行為を未然に防ぐ行動選択をNATOは回避したのであって、これはウクライナの人々からの期待にも応えるようなものではなかったと僕は思っています。先に引用したアメリカのバイデン大統領の発言もこうした文脈で読み取ることができるでしょう。プーチン氏のロシアは、そこをよく見てあの暴挙にでたのかもしれません。

他の選択種はなかったのか?

この問題に付属して、もう一つ、ウクライナ侵攻に関して見逃してはならない事柄があります。それが3つ目の焦点です。それは、二度にわたって交わされたミンスク合意の件です。

2014年のウクライナ紛争の直後、同年9月に、ベラルーシの首都ミンスクで、欧州安全保障協力機構(OSCE)が介在して、ロシア、ウクライナ、それに未承認の「ドネツク民共和国」と「ルガンスク人民共和国」の4者が著名した停戦合意が署名されています。でも、これはあまり機能しませんでしたので、2015年になって、今度はフランスとドイツが仲介するかたちで、より包括的な合意が交わされます。

その内容は、

 〇ウクライナと分離独立派双方の停戦の合意

 〇停戦のOSCEによる監視

 〇ウクライナ・ロシア間の安全地帯の設置とそのOSCEによる監視

 〇ウクライナ領内における不法武力勢力や戦闘員・傭兵等の撤退

 〇ドネツク及びルガンスクの特別な地位に関する法律の採択、両地域での選挙の実施

などです。

ところが、2019年に大統領に就任したゼレンスキー氏は、これを反故にしようと訴え始めたのです。彼は、2021年の訪米の際にもこのことをバイデン米大統領の申し出たほどでした。しかも、国内では分離独立派との交戦を開始し、あまつさえロシアに対しても挑発的な発言を繰り返したのです。そこには、こちらにはNATOがついているという気負いもあったように見受けられます。

ドイツやフランスはミンスク合意を尊重するという姿勢でしたが、ゼレンスキー氏の行動選択は、まもなくロシアの強行を誘因することへとつながっていったのです。本来なら、アメリカも含めて、このミンスク合意を守らせる働きかけを行う場面で、バイデン米大統領はロシアがウクライナ国境近辺で大規模な軍事演習を始めた際に、その行動を「侵略行為」だと激しく非難するメッセージを発信してゆくことで、そうした一触即発の状況に油を注ぐ形になってしまったのです。一体、何のためにその合意はなされたのでしょうか。

僕は、何度も繰り返しますが、ロシアに如何なる口実があったにせよ、他国を武力で侵攻する行為を断じて否定しています。そしてその憤りは、それらの悲惨なシーンが映し出されるたびに深く、強くなっています。

しかし、そうした事態をいかにして阻止するかは、それを止める側の行動選択にも深く関わっているのです。こうした点から見れば、ウクライナのリーダーも、とりわけアメリカも、そうした事態の回避に十分な行動選択をしたようには見えないのです。今日になって、僕たちが毎日テレビ報道やネットで覗き見るウクライナ国民と若いロシア兵士の悲惨は、こうした国際政治の力学の顛末でもあるということを片時も忘れてはならないと思っています。

再び、ウクライナNATO加盟問題について

4つ目は、再びウクライナNATO加盟問題についてです。

おそらくヨーロッパの主要国やアメリカがウクライナの首脳陣に対してNATOへの加盟を受け入れることを促し、ゼレンスキー大統領もそれを信じて行動し始めたのでしょう。

プーチン氏のロシア側は、それだけは止めさせたいと思っていたはずです。ロシアに敵対的な政権を排除できないにしても、先に紹介したフィンランドのようにせめて「中立」であってほしいと考えていたに違いありません。だからこそ、あのミンスク合意にも同意したのでしょう。ミンスク合意は、少なくとも、OSCEによる監視という仕組みを取り入れることによって、当面は「中立」に似た効果を期待できるものだったからです。

これは、あのキューバ危機の際にアメリカがソ連の行動に異様なほどの危機感をもって対処したことを想像すれば理解できることです。ロシアにとって自国の領域が接する地理的なゾーンで、対峙する勢力の軍事的拠点が造られることを何よりも回避したいと考えたのであろうと思います。

では、どうしてこんな事態にまでなってしまったのでありましょう。その背景には、以下の二つの事柄が絡んでいると僕は見ています。

その一つは、先も触れましたミンスク合意をウクライナ側が履行する気もなかったことです。そして、もう一つ、ウクライナNATO加盟問題に絡む経緯が決定的な要素として現れてきます。

その前に、いくぶんアメリカが主導するNATOサイドの一連の軍事演習のことにも触れておかねばなりません。なぜなら、それがロシアの、あの軍事演習と侵攻へと繋がっていると思うからです。

NATOはこれまでも何度もウクライナを交えた合同軍事演習を実行しています。

2017年には、9月11日から23日までの間、15カ国約1650名が参加する合同軍事演習を行っています。アメリカの欧州軍は、これを、NATOウクライナの連携を強める訓練が中心だとまでコメントしているほどです。この時点で、ロシア側は、協力の姿勢をみせなくなり、独自の動きを強めていくことになります。

ロシアの侵攻が始まる前年の2021年6月28日にも、NATOは、黒海で合同軍事演習を開始し、アメリカもこれに加わってウクライナから軍艦約30隻と航空機40機が参加する演習をおよそ2週間続けたのです。

そして、2021年10月、バイデン米大統領が主導して、NATOを中心とした15カ国6000人規模の多国籍軍による軍事演習を、ウクライナを交えて実施しています。10月23日には、ウクライナに180基の対戦車ミサイルシステム、シャベリンを配備しています。このミサイル配備は、バイデン氏がオバマ政権の副大統領時代に提案していたものでした。そして予想通り、これに反応して、ロシアのプーチン大統領が10月末からウクライナとの国境沿いに大規模な軍事演習を始めたのです。

にもかかわらず、驚くべきことに、バイデン氏は、プーチンに首脳会談を呼びかけてその実現に成功すると、会談直後の12月7日、「ウクライナで戦いが起きても、米軍派遣は行わない」と公言してしまったのです。そのことはすでに述べた通りです。

バイデン氏は、副大統領の間(2009年1月20日―2017年1月20日)、6回もウクライナを訪問しています。それも訪問のたびに息子のハンター・バイデン氏を伴い、そのハンター氏が2014年4月にウクライナ最大手の天然ガス会社ブリマス・ホールディングスの取締役に月収500万円の高収入で就任したことが発覚していることはすでに周知のことで、大統領時代のトランプ氏がこれを暴こうと、脅しを交えてウクライナの大統領に直接圧力をかけたことでも知られています。ま、このことは特に詳細に及ぶ必要はないでしょう。

しかし、これにもまして見逃せないことは、彼が副大統領をしている間に、当時のポロシェンコ・ウクライナ大統領を説き伏せて、ウクライナ憲法に「NATO加盟」を努力義務として聞き入れさせたことです。

<若干の経緯>

2017年6月8日 「NATO加盟を優先事項にする」との法律を制定

2018年9月20日 「NATOEU加盟をウクライナ首相の努力目標とする」旨の憲法改正法案を憲法裁判所に提出する。

2018年11月22日 憲法裁判所から改正法案に関する許可が出る。

2019年2月7日 ウクライナ憲法116条に「NATOEUに加盟する努力目標を実施する義務がウクライナ首相にある」旨の条文が追加された。

つまり、アメリカは、ウクライナの選択肢を、NATO加盟という一本に絞らせる役割を果たしたのです。

このようなアメリカ側の動きを一つの背景として、ロシアの軍事行動が活発化し、危機に発展する様相が色濃くなってきていました。ところが、実際にウクライナ侵攻が開始されたにもかかわらず、NATOのストルテンベルグ事務総長が2月24日の記者会見で、東欧の部隊増強の方針を示す一方、「ウクライナには部隊を派遣しない」と述べたのです。NATO事務総長のこの発言は、すでにそのような発言を行っていたバイデン氏の見解をなぞる形のものでした。

ところが、バイデン米大統領は、記者団らの「なぜ、部隊の派遣を行わないのか」という質問に応えて、ウクライナに米軍を派遣しない理由に「ロシアは核を持っているから」とも発言してしまったのです。これが、何を意味することになるか、すぐにも想像がつくことでしょう。この発言が、核を持つ中国が尖閣列島や台湾を巡って武力侵攻しても米軍は参戦しないということにもなろうと思われるが、どうでしょうか。

 それはともかく、ロシアと間に長い国境で接するばかりでなく、自国内で親ロシア派と反ロシア派とが抗争を繰り返しているウクライナに対する地政学的、国内政治状況を十分に配慮せず、徒にロシアを刺激することを続けたアメリカの行動選択をどう理解すればよいのか戸惑う話であろうと思うのです。それも、自らは「武力関与はしない」として、ウクライナにその責任を委ねてしまったのです。

国連憲章の精神とルールに立ち返って

最期の点になりました。

僕には、わけても、ロシアのプーチン氏が、ウクライナ侵攻に際して、「ロシア人住民の安全を守るため」のやむを得ざる選択であり、これはいわば「自衛のための闘い」だと発言していたことが気になっています。

話は少々飛びますが、このプーチンの発言を聞いていて、僕には、あのアメリカの湾岸戦争イラク戦争のことが思わず浮かび上がってきたのです。

同じアメリカが起こした戦争でも、ブッシュ父の湾岸戦争とブッシュ息子のイラク戦争では全く質が異なります。その最大の相違は、前者が一通り国連の正規の手続きを経た、いわば国際法上でも合法的な武力の行使であったのに対し、後者はそれを無視した武力行使であったということです。だから、フランス、ドイツ、ロシアがこれに反対したのです。ヨーロッパおいてはブレア氏のイギリスが即座に参戦を決めて、やがて同国内でもブレア首相を「アメリカに尾をふる犬」だと揶揄されたことは記憶にも新しいことです。

しかし、問題はここから先です。その時、正当性を失ったブッシュ・ジュニアアメリカがその戦争を合理化するために持ち出したのが、「先制的自衛権」論だったのです。これは、仮にその相手国が直接アメリカに攻撃を加えていない場合であっても、アメリカの国家と国民に脅威を与えるものには、「自衛」の名の下に攻撃を加えるのは当然であり、かつアメリカはそれを必要とする時には単独でも実行すると、大統領直属の報告書で「宣言」したのです。

もうお気づきだと思いますが、プーチンはこれをそっくり真似たのです。ここにこそ、今回の出来事の深い意味が潜んでいると僕は考えるのです。

一体に、あの大戦の想像を絶する悲惨からの再出発となった国際連合憲章は、二つの原則から成り立っています。

注)ちなみに、あの大戦では、軍人・民間人合わせて、6000万人から8500万人の犠牲者を出したとされています。当時のソ連ナチス・ドイツに蹂躙されたポーランドでは、実に人口の2割が失われたとされています。

 〇国際紛争解決の手段としての国による武力の行使の禁止

 〇自衛の名の下のすべての戦争(武力行使)の原則禁止

戦後復興計画と併せて、戦争のない国際秩序を形成するために、当時の主要国が誓ったのは、何よりも自衛権なるものを封じ込めることにありました。なぜなら、ナチス・ドイツ大日本帝国も、自衛の名の下に戦線を拡大し、あの狂気に満ちた悲惨な戦争を引き起こしたからです。ですから、当初は国連憲章の草案段階にあっては自衛権なるものは一切ご法度になっていたのです。ところが、現実の憲章には「固有の自衛権」という言葉は入っています。

このことから、僕は私事ながらも、こんな場面があるとき生まれたことを思い起こしています。

ある研究会の席上で、国際政治・ヨーロッパ政治史を専門とする大学の教授がこうコメントしたのです。

国連憲章では、国家の『固有の自衛権』を認めている。なぜなら憲章にそれは書かれているからだ」と。

僕はこのとき、発言を求めて、こう切り返したのです。

「確かに、憲章第51条には『固有の自衛権』という文言が書かれている。しかし、この条文全体を読むと判るように、それには二重三重の制限が加えられている。第一に、それが直接的な攻撃を受けた場合の、いわば緊急避難的なものに限っていること、第二に、そうした行動をとる場合には直ちに国連に報告しなければならないとされていること、そして第三に国際機関がその紛争を抑止するための行動に出た時点で停止すること、その三つである。だから、憲章が認めているのは、いはば『制限された自衛権』であって、それこそが基本である」と。

そこには、いかなる場合であっても「自衛」に名の下で武力行使することは原則的に禁ずるという強い決意が潜んでいると、そう語ったのです。

それに、当初の原案になかった「固有の自衛権」なる文言が憲章に入ることになった背景には、大国の一つであり、連合国(戦勝国)でもあったフランスが、アメリカが主導する集団的安全保障への不信から、「それなら、国連に加盟することはできない」と不満を漏らしたという事情があったのです。その結果、いわば政治の妥協の方策としてこの言葉は新たに書き入れられたのでした。その言葉が入った瞬間、イギリスの代表が「それが自由に認められるなら、何のために国連をつくるのかわからなくなる」とまで言ったくらいでした。

それでも、ぎりぎりの選択の中で、憲章51条は、それに二重三重の縛りをかけることを止めなかったのです。

注)それからしばらくして、その研究会の席にいた知人が、その教授がある論説のなかで「制限された自衛権」という言葉を使っていたということを教えてくれました。

 

いずれにせよ、国際連合を立ち上げるまはでもちろん、その後も、国連を構成する国々はこの「自衛の名の下の戦争」を如何に封じ込めることができるかに最も腐心していたのです。

 

実は、国連憲章は、パリ協定やジュネーヴ協定のような「戦争の違法化」という用語を一切使用していません。この用語を使わず、代わって「武力行使の禁止」を掲げたのです。それには確かな理由があるのです。

あの大戦では、先に触れたように、侵略はいつも「自衛」の名の下に繰り返されてきました。その時の論理がことごとく、「これは戦争ではない。これは自衛のための活動だ」というものだったのです。ナチス・ドイツチェコスロバキア(当時)を侵略したときも「ドイツ住民を守る」ための自衛の行為だとされて、宣戦布告なき戦争に突入していったのです。だから、戦争の定義如何にかかわらず、国際紛争の解決の手段としての「武力の行使」それ自体を禁止したのです。それが「戦争の違法化」という曖昧な用語を回避する理由でもあったのです。

ブッシュ・ジュニア氏のアメリカは、「先制自衛権」論を打ち出すことによって、そのパンドラの箱を開けようとしているようにも読めます。そして、今日、プーチン氏のロシアにそのもう一つの逸脱を覗き見ているのです。こうした論理が通れば、国連憲章の精神とその条文はいとも簡単に捨て去られることにもなりましょう。そして、これが、僕が冒頭の部分で、目先の処理はともかく、その選択が長期的にどのような方向に及ぼしていくか、そのことを読み解く知的判断力が求められるといったのも、こうした文脈においてのことでした。

 

僕は、国連憲章という一片の文書がどんなに素晴らしくてもそれだけで世界の平和と安全が維持できるなどとは思っていません。それでも、もしこの精神と条文の内容に沿って世界の国々が行動するなら、そのときはじめて世界の平和と安全は現実的なものになるだろうと考えています。

要は、国政政治を動かす国々の意志と行動力にそれはかかっているのです。そして、それは、プーチン氏のロシアが侵攻の口実とした論理(「これは、自衛のためだ」!)を真っ向から否定するものでなければなりません。いかなる国も自衛の名の下に、国際法上の正規の手続きもなしに他国に武力を行使するようなことがあってはならないのです。

 

O君、

僕がこのように長々とお話したからと言って、今日目の前で繰り広げられている戦争の悲惨を本当の意味で理解したつもりになっているわけではありません。

 また、アメリカとEU諸国が連帯してプーチン氏のロシアに対する経済制裁を断行したり、ポーランドをはじめとる周辺国がウクライナからの避難民を大量に受け入れてその生活支援に当たったりしていることにも、不安とともに期待をもって連日その様子を見守っています。

ただ、ウクライナで起こっている悲惨は、当初から生じさせてはいけないことであって、それを回避するためのぎりぎりの妥協の策をもっと模索するべきだったと今でも思っています。それが何人であれ、いかなる国籍を持つ者であれ、その生活を破壊し、その生命を脅かし、あまつさえ殺戮にまで及ぶ行為を世界は引き起こさせてはいけないと考えるのです。その手前で止めることができるかどうか、それが問われていたのです。それは、決して自然現象にようにして語ってはいけないのです。

少なくとも、それは善悪の二元論で解釈して済ませる事柄ではなく、悲惨を回避するための政治の意志と現実的な技量の問題だと、僕は思うのです。それにしても少々、現実の政治の世界にそれに相応しい指導者が欠けているようにも僕には見えるのです。

 

O君、

僕がアメリカのバイデン大統領の行動選択や彼が発するメッセージに、幾分厳しい批評を行った背景には、こんな思いがあったのですよ。これらは、右とか左とかいったもので処理できる手合いのではないどころか、それを語る僕たち自身の自省の問題としても語られているのです。

 

2022年春

                                    O.M