清聴登場

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松本清聴の体験的政治学20 アベノミクス継承では先が知れてる

多少のジグザグはあったものの、よやく高市内閣がスタートし、10月24日には、総理大臣所信表明もやり遂げた。こうして停泊中の日本丸をとにかく再び船出させることができた。

憲政史上初の女性首相誕生というプレミアムがあったとは言え、彼女の言語明瞭な言葉遣いも受けたのであろう、高市内閣に対する支持率は、71%(読売)、68%(朝日)、64・4%(共同通信)と総じて高いものとなった。読売の調査によると、歴代新内閣では、小泉内閣、民主党鳩山内閣、菅内閣。細川連立内閣に次ぐものだった。

とにもかくにも、船が無事に出航したことを先ずは喜びたいと思う。というのも、ここから先には、たくさんのハードルが彼女を待ち受けているからだ。

その最大のものは、新総理が一丁目一番地に掲げた「強い経済」と「積極財政」である。

周知の通り、1991年のバブル崩壊に始まった「失われた30年」が現在も続いている。その間、日本の経済成長は低迷し、2024年では、OECD38カ国中32位と主要国に大きく水を開けられたままとなっている。歴代の内閣もこれを克服できずに過ごしてきたが、2012年に誕生した第二次安倍内閣で、異次元の金融緩和、積極的な財政出動、そして労働市場の緩和を推し進めたことが裏目に出て、その解決策が立ち往生してしまったことも大きい。ところが、新内閣は、このいわゆるアベノミクスをそのまま反復したかのような路線を掲げているのだ。

アベノミクスは、円安で輸出を伸ばした一部の企業と、大量の国債引受けで儲けた企業は別にして、以下のような結果を導き出してしまった。

①世界の一人当たGDP 世界38位。これは、経済先進国からなるG7では最下位で、7位ノルウェーの半分、13位オランダの6割強に過ぎない。アジアでもシンガポール、台湾、香港にはるかに及ばず、韓国にも劣る数値だ。

②一人当たり労働生産性 49位。これは、G7で最下位なのはもちろん、香港、台湾、韓国をも下回り、ポーランドやロシアを肩を並べる状態だ。

③高い政府債務残高世界2位。政府債務残高の対GDP比では北東アフリカの国スーダンに次いで、世界で最も高く、G7の中でも突出している。

これが何を意味するか。

先のアベノミクスの実験は、「積極財政」が経済成長には結びつかなったことを示唆している。それどころか、膨大な赤字のために毎年30兆円以上を債務返済に振り向け、その分、社会保障費などに回す財源を失っているのである。さらに、官僚OBが群がる基金創設などの無駄遣いも目立つものだった。

残念なことは、野党も含めてこうした難題について真摯な検討や議論がなされいないということだ。ましてや、議員定数削減なんぞはこの国の当面の優先課題ではないのである。

松本清聴の体験的政治学19 曖昧さを衝かれた自公政権

センシティブでナイーブなな問題をセンセーショナルにフレームアップして、有権者に過剰に訴える手法こそ危ういものはない。まちがっても、何処かの大国のように、「不法移民」「外国人」との言葉で人々を煽り、市井の人々のまっとうな暮らしを政治家が一夜にして破壊するような所業は避けなければならないだろう。コロナ禍の時には、<中国コロナ>などという怪しげな言葉で何か起こったのか、すでに経験済みである。中国人だと誤解され、街中で暴力を奮われて瀕死の状態にまで追い詰められた日本人が何人もいたことをよく覚えている人も少なくないであろう。

政治の役割は、そうした<暴力>や<ヘイト>を抑制し、よしんば新たな規制が必要な時でも、透明度が高くかつ公平なルールを定めて、日本人であれ外国人であれまっとうな庶民の生活を守ることにあるのであって、その逆ではない。

政府はこれまで、日本に受け入れた外国人との共生については、自治体任せにしたまま、本格的な対応策をとってこなかった。それどころか、長い間、外国人問題については法務省内の出入国管理事務に押し込めて、公正な手続きも曖昧で不透明な処置に任せてきた。それが主にアジアや中東からの外国人に対する人権をも軽視した対応となってしばしば<密室の中の死亡事故>すら生んできた。

こうした事態が繰り返されてきたことの背景には、そもそも政府にはいわば人手不足対策として外国人を場当たり的に受入れる策はあっても、正面から「移民」を日本社会に受容し社会統合するという努力を避けてきたという曖昧さがある。

 今回の参議院議員選挙の終盤になって、政府は慌てて『外国人との秩序ある共生社会推進室』を発足させたが、これ自体、これまでいかに無策であったかを証明するような出来事だったと言えよう。参政党が躍進した背景には、こうした曖昧な姿勢を声高に衝いたという面もあったのである。
私は、政権の中で仕事をしていた時も、その後もしばらく技能実習生や留学生の受け入れに関して、そのトラブル処理にあたってきたことがある。その都度、前者に関しては民間企業を罰したり、実習生を国外に追いやったりするだけで、その発生原因を具に調べて仕組みを改善するということるようなことはほとんどなかった。要は、「臭いものに蓋をする」ことでその場を凌ぐだけのものが目立った。

また、ある留学生の受入れに係るトラブルでも、学生や学校などの管轄をする文科省は、外国人に関わるものが自省ではなく出入国管理局の領域だとして、いわば<盥回し>に遭って、随分難儀したことがあった。

選挙で躍進した政党も、そうでなかった政党も、こうした現状を正面から見据えて、この国の形を21世紀の開かれた国に変えていくための改革にチャレンジしていくことが求められている。

松本清聴の体験的政治学19 誰が政権選択を望んでいるのか?

首班指名を争うような総選挙でもないのに、この7月の参議院選選挙を“政権選択選挙”だと位置づける声がある。それは、こういうことだ。

昨年の秋の総選挙で過半数割れを起こして衆議院で少数与党に転落した石破内閣であるが、それでも参議院においては多数派を維持してきたので、衆議院で他の少数野党の要求を飲み込んで予算案や法案を通過させれば、楽々と参議院で決着をはかることができた。

ところが、それれもここにきて怪しくなった。現内閣の評判が思わしくなく、それを支える与党の支持率も低下し始めた。仮に今回の参議院選挙で50議席以上を獲得できなければ両院で過半割れとなり、そうなれば石破内閣の命運も尽きることになるだろうというのである。

先月末に行ったNHKの世論調査結果では、今回の選挙で与野党の議席がどのようになることを望むかという質問に対して、「野党の議席が増えたほうがよい」と答えたのが33%であるのに対し、「与党の議席が増えたほうがよい」はわずか20%にとどまった。他のどの調査でも、石橋内閣に対する評価では「評価する」を「評価しない」が軒並み大きく上回っている。

だが、問題はもっと別のところにもありそうだ。

先の国家終盤になって野党側が内閣不信任案を提出することを避けたが、それだけではなく、野党間に政権交代のための準備がまったくされていないばかりか、そした事柄について真摯に、あるいは水面下で協議した形跡も全く見受けられないということである。どの野党も真面目に政権交代を考えてはおらず、むしろ同じ野党間での「違い」をアピールために国民受けするバラマキ型の政策で生き残ることだけを考えて動いているように見える。

仮に与党が参議院選挙で50議席にとどなければ、現石橋内閣は退陣を余儀なくされるであろう。それでも与党が比較多数を占めて、今度は衆参両院を舞台に他の少数野党が競って政権との個別折衝の為の駆け込み合戦を始めることであろう。そうなれば、長い間、この国を舵取りし続けてこた自公政権そのものは変わらず維持され、首が据え変えられるだけに終わるであろう。冒頭に“政権選択選挙”という言葉を引用したものの、有権者は初めからそうしたゲームから外されているのだ。

その結末は、国家の大計に関わる外交や安全保障については議論らしい議論もないままズルズルと押し流され、年金見直しのような長期的課題についても先送りが繰り返されることだろう。ましてや沈み行く船となりつつある日本経済の立て直しをこれらの政党や政治家に望むことは難しいようだ。                     

※ちなみに、一人当たりGDPで見ると、日本はすでに先進国の集まりであるG7の中では最下位で、香港や台湾、韓国はもとよりプエルトリコ、バハマよりも低く、世界39位にまで落ち込んでいる。

松本清聴の体験的政治学18 スターバックスで解ること

もう随分前のことであるが、所用があってS議員に伴ってベトナムを訪ねることになった。

要人たちの懇談を済ませたあと、喫煙家のS氏が突如、タバコを吸える、落ち着いた場所はないかと言い出したので、一行は揃ってハノイ中心部の広大な公園の外れにあるスタバを見つけて休憩することになった。

そのスターバックスの建屋は、日本では見かけないほど豪奢な建造物で、一行がそこに到着したころには陽が高くのぼり、焼けつくような暑さに包まれていた。入り口の前には、数台のバイクとともに若者たちがたむろしていた。

一行がそこで1時間ほどを過ごし、帰り際、再びその入り口に立った時、あの若者たちがまだ何をするという様子もないまま、立ち話を続けていたので、私は思わず、「どうして店に入らないのだろう」と口走ってしまった。

すると、一行の1人が言った。

「このスタバのコーヒー1杯が1000円もするので、彼らにはぜいたく過ぎるためだろう」

すでに日本で第1号店が渋谷で開設されてから7,8年が過ぎていて、スタバと言えば若者の行くところというイメージが定着していたころだったが、あの当時は、まだここではスタバは高価なものだったのだ。

そのスターバックスの「トール・ラテ」価格を指標として、世界各国の購買力を比較することが今では恒例のように行われているのをご存じだろうか。英国の「エコノミスト」誌が始めたもので、それによると、2024年6月時点でのレート換算では、日本の価格水準は、世界で一番高いスイスの半額で、他のヨーロッパ諸国はもちろんこと、香港やシンガポール、タイ、南米のチリやアルゼンチンよりも安く、何と、世界のランキングで41位に留まっている。そして、あのベトナムとほぼ同水準にまで落ち込んでいたのである。

◇◇◇

長期政権を全うした安部内閣の経済政策について、その人為的な円安政策が日本の産業的な国際競争力を著しく弱めてしまったのではないかとの見方が昨今は専門家たちの間で広がっている。日本は今や、自動車産業を除けばモノのづくりの分野では中国にはるかに及ばず韓国にも追い抜かれつつあり、デジタル経済の分野ではアメリカをはじめ中国や韓国・台湾にも後塵を拝している。

加えて、円安が世界との相対的な購買力を著しく低下させて、国民生活のレベルをも下に押し下げてしまったのではないかとの指摘すら受けるようになった。

この国に今もっとも必要なのは、こうした事態を反転させ、国民生活と産業に活気を取り戻す中長期的な戦略だ。それは、ひたすら<分配>を競うだけの政治では達成できそうにもないのだが…。

松本清聴の体験的政治学17 「鼠を獲らない猫」の先に

親しい仲間が久しぶりに再会した。その宴席が興じてきた頃、一人がこんなことを言った。

「おい、君たちも見たことがあるだろう。公園を歩いていたら、犬の散歩をサポートしている中年の女性が何とその犬を抱っこしているんだ。思わず、考えたね、いったいあれは犬の散歩と言えるのだろうか。と」

すると、今度は、別の男が言った。

「そう、でも犬だけじゃないな。猫も同じだよ。最近は団地の中でも猫がその辺を歩いているのを見たことがない。みんな、家の中で大事にされているんだ。そんなことをしていたら、いまに、鼠を見たら逃げ出す猫が出て来るんじゃないかな」

◇◇◇

先の総選挙で、自公民政権が少数与党に転落した。しかし、野党の分極化によって政権交代は起こらず、日本の政治システムの大きな転換は望めそうもなくなった。

それでも、少数与党の状況下では、何事を決めるにしても野党からの支持を調達することが避けられず、しきりに特定の野党と政権党の間の<事前協議>が頻繁に行われるようになり、その様子が報道されるようになった。こうしていわゆる「年収の壁」や高校授業料無償化案件が浮上して国民の関心の的ともなった。

これらは確かにこれまで十分な議論も欠けたまま放置されてきた問題でもあったので、その点では、少数与党状況下での一定の<成果>ということもできるのかのようではある。しかし、いずれもこの国の将来を見据えたものではなく、むしろ中長期的な<日本の宿題>を先送り、目先の利害や選挙目当ての政策実現といった側面が強いものだった。どちらも、有権者に負担を求めるような政治的決断を回避し、その機嫌を取るような、いわゆるバラマキを優先するものであって、そこにおいては一部の野党はいわば「圧力団体」化していると言っても過言ではない。

実は、こうした<事前協議>方式は、もともと長い間の自民党長期政権で生まれたシステムをそのまま活用したもので、その仕組みを強める形で運営されたものである。つまり、いま日本が直面している難題―巨額の累積財政赤字、30年以上に及ぶ「失われた成長」、格差の拡大等々―に対して一向にその打開のめどが立たないまま放置されていることの大きな要因の一つに、この隠微な調整システムが、時代に即した転換を回避する装置として作動し続けてきた。

案の定、年金見直し問題や財政問題、あるいは高額療養費制度をめぐる問題は先送りされままとなったのである。

その光景がもはや「鼠を獲ることを怖れる猫」のようにも見えるのは、果たして自分だけであろうか。

松本清聴の体験的政治学入門16 メディアと政治2―ある記者会見

比較的安定した政権運営を全うした安倍内閣ではあったが、その末期は何かとスキャンダルの絶えない時期が続いた。加計学園問題や森友学園問題などに加えて、最後には桜の会疑惑を遺して政権の座を去って行ったことは誰もが知っていることであろう。

わけても、森友学園問題にまつわる財務省による“公文書書き換え事件”は、事が総理夫人(当時)の関与が話題となったことからも大きな注目を浴びた。この出来事は、財務省職員に自殺者を出すという、あってはならない悲劇を生み出したことでも記憶に生々しい。

この事件の渦中にあった森友学園の経営者夫妻が、懇意の関係にあった安部夫人から帯封のついた百万円を受け取ったとの証言をしたことが大きなニュースとなったときのことだ。

当時のS官房長官が定例会見の席上で、この問題で官邸の番記者たちから厳しい質問を浴びせられた時、勢い余って次のような答弁をするという出来事があった。

百万円のやり取りが「発覚」したばかりで真相もまだ定かでないこの段階で、S長官は、こんな趣旨の言葉を放ったのだ。

「そもそも明確な証拠はどこにもない。第一、領収書がない。」

私はこの場面とテレビで見ていて、思わず興奮してしまった。というのも、この時点で、一体、どうして彼は「領収書がない」と言い切ることができたのだろうか?

私が「興奮」したのは、この点についてであった。それは、S氏だけが「領収書」の有無を知っていたからである。

私には確かな経験があった。いわゆる官邸機密費が使われる時は、それがどのような使途であっても、そこに「領収書」というものが存在することはあり得ず、そこがまさに「機密費」と言われる所以でもある。

恐らく、夫妻の証言では「これは主人(安部)からのものです」と安部夫人から手渡されたものは、その官邸機密費から支払われたものであって、だからこそ長官は自信をもって「第一、領収書がない」と言い切ることができたのだと思う。

私がこのことを今になって改めて言及するのは、ことの暴露のためではない。問題は、この発言を受けた側の記者たちがそこで何事も追求することがなかったことについて強い違和感を抱いたからである。むろん、元大手新聞社論説委員だったテレビの解説者なる人物からもそれを鋭く指摘するようなコメント聴くこともなかった。

そこにまた、番記者たちの未熟さから来る感度の低さと、政治とメディアの奇妙で無難な関係を覗き見たように思ったからである。

松本清聴の体験的政治学入門15 大臣とバックベンチャー

アメリカの大統領補佐官の記者会見やイギリスの閣僚たちの議会における答弁などを見ていると、彼らが手元の原稿を読み上げるような語りをしている場面をほとんど見かけないことに気づくだろう。これに対し、前回でも少し触れたが、日本の大臣には、官僚文書をそっくり読むだけの姿が珍しくない。

こうした違いは一体、どこから出てくるのであろうか。

日本と同じ議院内閣制を採っているイギリスとの比較で検討してみると、およそ次のようなことが分かる。

日本では、各省庁の大臣は、いわば議員にとっての名誉職のようなところがあり、派閥均衡人事や年功序列的な人事で選ばれることが珍しくない。つまり、個々の議員の力量とは関係なく、内閣が変わるたびに、もしくは内閣の組み換えがあるごとに、その年功や派閥事情による「在庫一掃」人事で事が決まることが少なくないのである。だから、大臣になっても自由闊達な議論に耐えられるだけの技量をもった人材が選ばれるとは限らないのである。

これに対し、イギリスでは議員の中ではそうした高い能力をもった者が閣僚に仲間入りする。かくして、記者たちの鋭い質問や野党議員らの厳しい追及にも縦横に対応できる人材が選ばれることになる。

では、いつまで経っても大臣にも成れない議員たちはどうなるのか。彼ら多くは、そうした力量に欠けると自覚している者であって、敢えて閣僚などにはならないのである。

イギリスでは、こうした議員のことを比喩的に「バックベンチャー」と呼んでいる。彼らは、日本で言えば、ある面では県会議員のような存在で、地元の利害関係の処理などに専念することが多く、外交や重要法案作成、あるいは経済戦略などのハイポリティクスには直接関わらないことも少なくないようだ。

このどちらがより望ましいあり方なのか一概には決めかねる側面もないわけではないが、少なくとも、多様な論争や複雑な政策課題にも対応することができ、官僚たちをリードする能力をも合わせ持つ政治家が国家経営に携わるという点では、日本の政治の仕組みの見劣りは否定できないように思われる。

日本では、長い間、官僚支配を打破する政治主導の内閣の形成が課題となってきたが、今のところそれを変えるだけの政治的陣形が確立されているようには見えない。そうこうしているうちに、「失われた10年」が「20年」になり、いまや「失われた30年」にもなっている。一刻も早く政治の体質を変えることが望まれている。