センシティブでナイーブなな問題をセンセーショナルにフレームアップして、有権者に過剰に訴える手法こそ危ういものはない。まちがっても、何処かの大国のように、「不法移民」「外国人」との言葉で人々を煽り、市井の人々のまっとうな暮らしを政治家が一夜にして破壊するような所業は避けなければならないだろう。コロナ禍の時には、<中国コロナ>などという怪しげな言葉で何か起こったのか、すでに経験済みである。中国人だと誤解され、街中で暴力を奮われて瀕死の状態にまで追い詰められた日本人が何人もいたことをよく覚えている人も少なくないであろう。
政治の役割は、そうした<暴力>や<ヘイト>を抑制し、よしんば新たな規制が必要な時でも、透明度が高くかつ公平なルールを定めて、日本人であれ外国人であれまっとうな庶民の生活を守ることにあるのであって、その逆ではない。
政府はこれまで、日本に受け入れた外国人との共生については、自治体任せにしたまま、本格的な対応策をとってこなかった。それどころか、長い間、外国人問題については法務省内の出入国管理事務に押し込めて、公正な手続きも曖昧で不透明な処置に任せてきた。それが主にアジアや中東からの外国人に対する人権をも軽視した対応となってしばしば<密室の中の死亡事故>すら生んできた。
こうした事態が繰り返されてきたことの背景には、そもそも政府にはいわば人手不足対策として外国人を場当たり的に受入れる策はあっても、正面から「移民」を日本社会に受容し社会統合するという努力を避けてきたという曖昧さがある。
今回の参議院議員選挙の終盤になって、政府は慌てて『外国人との秩序ある共生社会推進室』を発足させたが、これ自体、これまでいかに無策であったかを証明するような出来事だったと言えよう。参政党が躍進した背景には、こうした曖昧な姿勢を声高に衝いたという面もあったのである。
私は、政権の中で仕事をしていた時も、その後もしばらく技能実習生や留学生の受け入れに関して、そのトラブル処理にあたってきたことがある。その都度、前者に関しては民間企業を罰したり、実習生を国外に追いやったりするだけで、その発生原因を具に調べて仕組みを改善するということるようなことはほとんどなかった。要は、「臭いものに蓋をする」ことでその場を凌ぐだけのものが目立った。
また、ある留学生の受入れに係るトラブルでも、学生や学校などの管轄をする文科省は、外国人に関わるものが自省ではなく出入国管理局の領域だとして、いわば<盥回し>に遭って、随分難儀したことがあった。
選挙で躍進した政党も、そうでなかった政党も、こうした現状を正面から見据えて、この国の形を21世紀の開かれた国に変えていくための改革にチャレンジしていくことが求められている。